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自己紹介のようなもの(2) -野中郁次郎教授との出会い-

(前回の続き)

なんだかんだで、貧乏学生生活をあっという間に終えました。

真面目に大学に通って、どの授業も一番前の席に座りひたすら先生の話を聞いてノートする。
そんな学生は早稲田には少なく、後に国家公務員になった柴田、早稲田大学の教授なった杉浦、そして僕は、いつも一番前に座るという共通点から自然と友達となりました。三人とも東京出身でなく、親元離れて貧乏な大学生活をしたことが共通点だったのかもしれません。

後々知ったことですが、馬鹿真面目でつまらない人間と我々は陰で言われていたらしく、同期の連中は我々を「老人クラブ」と呼んでいたそうです。

就職は、博報堂に決めました。
私の時代だけ、電通よりも博報堂の方が、内定が早かったのです。

当時の岡田副社長が最終面接で、  
「なんで電通じゃなくて、博報堂にくるの?」
と言われて、一瞬困ったことが思い出されます。
苦し紛れの末に咄嗟に思いついた
「博報堂の当時神田錦町にあった古いレトロな建物が、人間味があるから好きだから」
と答えた時、副社長が笑顔になったのは、今でも覚えています。もしかしたらあの回答をしなかったら、博報堂には入っていなかったかもしれません。

入社後、マーケティング部署に配属になった私に待ち受けていたのは、
大学で学んだことなど、全く意味のない世界。
シンプルに言えば役立たなかったことです。理屈があまりにも通らない。
ハッタリの効くマーケッターだけが、私の配属先を牛耳っていました。

そんな模索し続ける日々の中、博報堂に在籍中に私は途轍もない巨人に出会ったのです。それは何を隠そう一橋大学の"野中郁次郎教授"でした。

はじめてお会いしたのは、ブランデングで有名な"ディビィド・アーカー教授"がご夫婦でや来日して、博報堂で講義(受講三人という豪華なセミナー)をしてくれた時です。

当時、コトラーの名著「マーティングマネジメント(第三版)」を翻訳された明治大学の稲川和男教授が、コトラーさんとの対談形式で3日間講義を行ったのですが、何とその翻訳作業を、稲川和男教授は、野中郁次郎教授に頼まれていたのです!(今考えるとありえない、おそろしい話です)
あの野中郁次郎教授が、必死に翻訳してくれるという前代未聞の3日間でした。

私の記憶では当時から野中郁次郎教授は、マーケティングそのものへの関心というよりは「組織論」での論文が多く、すでに 「S E C Iモデル」の原型になる「暗黙知→形式知への変換」とか「知識を生み出す組織活動」への関心が高かったように思います。加えて数学、統計学にも精通されていて、リサーチの結果など、実に詳細を見ながら的確なる指示をされていらっしゃいました。

このセミナーをきっかけに、野中先生(ここからは親しみと尊敬をもってこう呼ばせていただきます)とご一緒できる機会を得た私は、
あるコンセプトプロジェクトのキーマンに野中先生にお願いしたいと考え、国立市にある一橋大学の野中先生の研究室に訪問させていただきました。
先生からは、快諾いただき、
「君は、何を早稲田大学で学んだのですか!」
と聞かれ、佐藤慶幸先生にMウェーバーの理論と申し上げたら、野中先生は、すごく嬉しそうに
「そうか佐藤慶幸のウェーバー研究か!」
周りの一橋大学の教授に話されていたことが思い出されます。

プロジェクトで5年、その後の戦略的デザイン研究では、3年指導を受けさせていただきました。その貴重な時間において、
■共同化の時(暗黙知→暗黙知)の西田幾多郎
■表出化の時(暗黙知→形式知)のプラトン
■連結化の時(形式知→形式知)のデカルト
■内面化の時(内面化→暗黙知)のデューイ
と四つの知識創造のモードと哲学の知の型を説明するあの「 S E C Iモデル」をその時に完成させていく初期段階を間近に見る機会を持っていたわけです。振り返っている今ですら、あの頃の知的欲求が満たされていく毎日に震えがきます。

2008年に野中先生は、ウォールストリートジャーナルで最も影響力のあるビジネス思想家トップ20に選出されることになりました。http://www.ric.co.jp/expo/ucs2010/S-1_nonaka_web.pdf

そういえば野中先生が禅の研究者で西田幾多郎の直弟子だった花園大学学長と会いたいとおっしゃって、二人の対談できる場を学長の自宅で設定するという荒技セッティングをすることも。聴講したのは、「コンセプト創造プロジェクト」メンバー10名だけ。これもまた今思えば、とても貴重な機会であり素晴らしい学ぶ時間だったのでしょう。

野中先生は、ウェーバー、デュルケーム、タルコットパーソンズ、などの社会学の知アプローチに精通されていて、
【行動、行為、意味、統合】の研究をされていることを知りました。
それが、フィールドワークという野外調査、観察に役立つ。
文化人類学、社会学、経営学に生かされていることを先生から学びました。

さらに事物や現象の意味を深層構造のレベルから、創造的に把握するという
レビュストロースの構造主義も、この頃知りました。
フィールドワークと、異なる文化に、自らの身を置きながら、理解する五感を駆使する方法論、エスノグラフィー(民族誌)もここで知ります。
まさにマーケティングではなく、人間の原点や、社会の在り方を野中郁次郎教授を通じて、学び直していったのかもしれません。

私の旅は「知の巨人」との出会いで、大きく舵をふり転換していくのです。

そして私の人生の旅をさらに加速するもう一人の巨人との出会い。
それが"青井忠四郎"さんでした。

(続)

©️WORKSIGHT(謝:写真転用)