見出し画像

『ボヘミアン・ラプソディ』が平成生まれにもぶっ刺さる理由

胸を打つ映画だった。

冒頭の20th Century Foxのロゴが映し出されるシーンからニヤリとさせられ、自由奔放なレコーディング方法や音楽事務所との論争などあらゆる場面での精緻な再現に舌を巻き、好きな人に振り向いてもらえない彼の懊悩には胸がつまる思いがした。そしてラストシーンで歌われた『Bohemian Rhapsody』の「死にたくない。生まれてこなきゃよかったとさえ思う」という歌詞には、病に蝕まれながらもパフォーマーであり続けようとするフレディ・マーキュリーの気持ちがそのまま憑依しているかのようで、心が震えた。

ぼくが観に行った金曜日夜の六本木TOHOシネマはほとんど満員だったけど、お客さんの世代は非常に幅広かったように思う。しかし、考えてみれば、30年も前に人気のピークを迎えたバンドのドキュメンタリー映画を、今時の若者が異口同音に讃えるのは少し不思議でもある。今回はこの理由について自分なりの考えをまとめてみた(本当はnoteをはじめるネタを探していただけですすいません)。

以下、ネタバレ注意です。



『ボヘミアン・ラプソディ』が平成生まれにもぶっ刺さる理由、それは、

メッセージが極めて現代的だから

だと思う。

作品の終盤にこんなシーンがある。世界的なミュージシャンたちが集う『ライブ・エイド』での公演を1週間後に控えた練習の最中、フレディはバンドメンバーに対して、自分に死期が迫っていることを告白する。そして涙を堪えきれない仲間たちと、フレディはこんな言葉を交わした。

「フレディ、お前は伝説だよ」
「俺たちQueenが伝説なんだ。・・・でも確かにそうだな、俺は伝説だ」

破顔一笑する彼らを背に、「爽やかな決意」とでも言うべき表情で彼は続ける。

「おれはパフォーマーだ。死ぬまで観客を魅了し続ける」

異国育ちというコンプレックスを打破し、人生観の違いから仲違いし続けた父親とも最後は抱擁とともに和解し、パートナーとの離別の先に新たな絆を結んだ彼が放つこの言葉は、彼の生き様を鮮やかに物語ると同時に、非常に今日的な意味を帯びている。すなわち、無数の価値観が目まぐるしく行き交う現代に生きる我々の胸に、「あなたは今をどう生き、どう死ぬのか」という強烈な問いを投げかけるのだ。

だからこそ、良い大学→良い企業→良い人生という幸せの方程式が存在しない象限を生きる平成生まれ世代が、親よりもさらに年を取っているフレディというシンボルに自分を重ねるという逆転現象が起きる。

この映画は、過去を振り返るドキュメンタリーであると同時に、今日の世界へむけられたクエスチョンなのであり、Queenというバンドの物語であると同時に、観客一人ひとりにとっての自分の物語なのだと思う。


・・・大上段に構えてみたものの、大したことを言ってない気がしてならないけど、done is more important than perfectという言葉もあるし、とりあえずこれで完成かな。とにかく、恥も外聞もなく泣くほど良い映画だったので、是非見て欲しい(できればDolby-ATMOSとか、IMAXとか音がいいやつで)。

そうそう、ぼくは去年の夏、あるTシャツを高円寺の古着屋で購入し、その後ライブの衣装として身につけたのだけど、実はそれがクライマックスシーンの舞台であるライブ・エイドのグッズだったことがわかり、この映画がますます好きになってしまった。それは反則だよ、さすがに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?