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いつか止む雨なら、傘ではなく雨宿りを

季節の変わり目にいざなわれるように毎度文章を書いていたつもりだったけれど、今年の梅雨には不意打ちを喰らってしまった。すっかり油断していた。

じめっとした日々に塗り重ねられる名前のつけがたい感情を、言葉にして、誰にも配慮せず好き勝手に表現して、ネットの海に放り投げてやろうと思っていたのに、いつの間にか夏。

少しでも梅雨の時期を前向きに過ごそうと、奮発して雨用のレザーブーツを新調してみたりしたけれど、晴れの日に試し履きしたっきり出番はなかった。

そういえば去年も、少しでも雨の日をご機嫌に過ごしたくて、傘を新調したような。

ずっと家にいるのは退屈だから、雨の日も外に出ていたいし、雨の日をご機嫌に過ごせる方法があるなら、必要なアイテムは何だって揃えるし、偏頭痛に効く食べ物も喜んで摂取する。

どんな逆境でも前進することをめてはいけない、現状維持は衰退だ、人生は一度きりだから立ち止まっている時間はもったいない、何だか聞き飽きてしまった。

自分が無意識にミュートしているだけかもしれないけれど、少なくとも今の自分は、そうと分かったうえで立ち止まる選択をしたい、という感覚でいる。

誰にだって人生は一度きりしかない、それはつまり、今日という日が何かの「はじまり」にもなれば、「おわり」にもなるということで、どういうわけか、僕らは「おわり」より「はじまり」にばかり気を取られている。

思い立ったが吉日、何かを始めるなら早ければ早いほど良い、確かにそうだけれど、明日や明後日があるとは限らない。いつも通り過ごせば良かった、そんな後悔もあるかもしれない。

二十数年生きてきて何となく思うのは、決して無駄な日なんてなかった、けれど、全ての日に何か意味があったわけでもない、ということだ。

後になって振り返ってしまえば、「あの時ああしていれば」、「もっと早く始めていたら」、そんな後悔は尽きない。けれど、同じように、「あの時ああだったから今がある」、そんな風に意味付けすることだってできる。

無駄かどうか、意味があるかどうか、そんなことは「ビジネス」とか「仕事」でのみ勝手に考えればよくて、「人生」というフィールドにはあまり持ち込まない方がご機嫌でいられる。


たとえずぶ濡れになろうとも降りしきる雨の中を走り抜けたくなる時もあれば、無駄な時間を過ごすことになるかもしれないと分かったうえで、雨宿りしたくなる時だってある。

いつか止む雨なら、止むまで雨宿りしてみるのも悪くない。たいてい、それは無駄にならない。

もうすぐ、いや、もう夏が始まっている。

いつからが梅雨でいつまでが梅雨だったのか、もはや分からないけれど、心躍るほどの空の青を見れば、梅雨なんてとっくに明けてしまったのだと分かる。


曖昧な6月に置いてきてしまった、まだ言葉にできていない感情や自戒、この夏、カラッとした気持ちに漂わせて全て言葉にしてしまいたい。

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おがたのよはく
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