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#書く

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2021年11月の記事一覧

「何でも書く」は、結局「何も書けない」

余裕のない日々が続いていて、なかなか腰を据えて文章を書けていない。 「書くテーマが決まっていたら、書きやすいのかな」 なんて考えてみたりした。 「書くテーマが決まっていないから書けない」といった言い訳にも聞こえるけれど。 ・〇〇について文章を書く ・毎日の日記を書く のように、書くテーマやスタイルを予め決めていたら、もっとスラスラ書けるのだろうか。 自分は、noteを始めた時から漠然と「人生のモヤモヤについて書く」と決めてはいたものの、実際、「人生」というテーマが

「書きたい時に書く」を信用できない

僕が毎日投稿を辞められないのは、正直なところ、「◯日連続で記事公開」というインセンティブに完全に依存してしまっているからだ。 創作を続けるために設計された機能が、僕にとっては、創作を義務づける機能になってしまった。 何だか、すごく申し訳ない気持ちになっている。 ただ、このインセンティブのおかげで間違いなく「文章を書くこと」を習慣にできたし、noteのおかげで文章を書くハードルが格段に下がった。 文章を書くことを「習慣」と呼べた時期もあったし、「惰性の取り組み」としか思

毎日書くか、全く書かないかのどっちか

「毎日書くのをそろそろ辞めよう」と、もうずっと思っている。 とは言ったものの、実際は毎日書き続けているのだけど、最近いよいよ時間的にも体力的にも厳しくなってきている。 「だけど、毎日書く」 というのがこの文章のオチなのだけれど、きっと、ここで毎日書くことを辞めたら、僕はもうしばらく文章を書かないと思う。 「気が向いたら書こう」 「週に2,3個書ければいいや」 これらは「行けたら行く」みたいなものだ。 元々自分の生活に「書くこと」は存在していなかったわけで、その生活

noteを書き始めてから半年、今思うこと。

2021年の始まり、新鮮な気持ちで初めてのnoteを書いた。 誰しもにとって特別だった、いや、図らずも特別になってしまった2020年。 自分自身を知るために、思い切って仕事を辞めた2020年。 「あの日常が取り戻せるかもしれない」と心躍ったし、新たな環境や人生のスタートにワクワクもした。そんな自分の人生や気持ちを、文章として残していくと決意もした。 しかし、思い通りにはいかなかった。 日常はそう簡単には取り戻せなかったし、自分のやりたいことはいつまで経っても分からない

文章を書いていると、写真を撮りたくなる

日々文章を書いていると、何だか物足りなさを感じる。 つい半年ほど前まで、日常に「文章」の「文」すらなかった自分が、一丁前に物足りなさを感じるなんて、半年前に想像できただろうか。 例えば、文章中に写真を挿れてみたくなったり、音をつけてみたくなる。 きっと、こういう感覚が大切なんだろうな。 ひょんなきっかけで始めたブログ、気づけばもっとカスタマイズしたくなって、コーディングやデザインの技術を身につけたくなったり。 YouTubeで動画を観ていたら、自分でも動画を撮影した

なんか違和感。気持ち悪くない文章を書くコツ

僕は、昔から文章を書くということがたくさんあったのですが、書くということを続けているうちに、分かりやすい文章と分かりにくい文章の違いを解説します。 ・ ・ ・ 何か、気持ち悪くないですか? 上の文章はやや誇張して書いていますが、note然り、チャットなどのコミュニケーションやフォーマルな文章において、上記のようなパッと分かりにくい文章を見かけることがあります。 それもまた個性や味と言ってしまえばそれまでですが、誰かに何かを伝えることが目的の文章を書くなら、注意して文章

言葉は、拠り所にもなるし、自分を縛るものにもなる

日々言葉を使っていると、言葉を使っているのと同時に、言葉に使われている、と感じることがある。 言葉に救われている、と感じると同時に、言葉に縛られてしまっている、と感じることもある。 自分ではうまく表現できないモヤモヤを言語化できたとき、他の人がまさに同じようなモヤモヤを言葉にしていた時、拠り所が見つかったような、そんな感覚になる。 「ああ、自分のモヤモヤってこういうことだったのか」 少し安心する。 決してモヤモヤしていたのは自分だけではなかったんだ、と。 例えば、