マガジンのカバー画像

#自分探し #自分らしさ #何者

49
誰もが通る道。
運営しているクリエイター

#就活

スタバにいる自分が好き、みたいなやつ

スタバが好きなのではなく(それ以上に)、 ・スタバにいる自分が好き ・スタバを好きな自分が好き のような「〇〇する自分が好き」というものを、色々洗い出してみると自分についてよく分かりそう。 自分の状態や性格など、例えばこんなものが挙げられる。 ・忙しい自分が好き ・××で働く自分が好き ・周りから頼られる自分が好き ・最先端に詳しい自分が好き ・右腕となって誰かを支える自分が好き ナルシシズムのように感じられるかもしれないが、せっかく一度きりの自分の人生を生きるなら、

本当の自分は、決して1つじゃない

「あんまり素でいられてないな」 「ありのままの自分が分からなくなった」 「自分自身が何者であるか知りたい」というのは、「素の自分とはどんな自分なのか知りたい」という欲求に近いのかもしれない。 地元の友人に見せる自分、高校時代の友人に見せる自分、親に見せる自分、上司に見せる自分、部下に見せる自分、恋人に見せる自分。 どれも違う。 そう感じる度に、「本当の自分って何なのだろう」とモヤモヤする。 けれど、実際はどれも本当の自分だ。 「自分はこういう人間だ」 どうも、一

何もうまくいかない。いつも“大きく”考えてしまう僕ら

うまくいっていない時、何となく「何もうまくいってない」と思いこんでしまう。 「あー、恋愛と趣味と友人関係はけっこう良い感じなのに、今月の営業成績だけが悪くて仕事がうまくいかねぇ」 とはあまり思わない。 それくらい冷静に考えられる内は、むしろ「大丈夫」なのかもしれない。 「全然だめだ」、「何もできていない」、つい事を大きくしてしまう。 それ自体はよくある話だけれど、度が過ぎると不毛な自己嫌悪や自己否定に陥ってしまう。 何か失敗をした時に「もうこれから先何をやっても失

流れゆく日々の傍観者、変わらない何かを探そうとする僕ら

友人の幸せに対して、喜びよりも先に焦りや嫉妬を感じるようになることが、「大人になる」ということかもしれない。 転職、独立、結婚。 人生の転機を迎える、新しいステージへ進む、そんな変化の真っ只中にいる友人の“変わらない何か”を探そうとする。 「昔からこういう人好きだったもんな」 「昔からこういうノリで生きてたもんな」 「相変わらず、我が道を行くタイプだな」 それもまた、「大人になる」ということかもしれない。 - 僕らは、日々変化にさらされている。 「自分は傍観者で

万人受けしようとすると、誰にも受けなくなる

マーケティングやブランディングといったビジネスに限らず、人間関係や生き方にも同様のことが言える。 みんなに好かれようとすると、広く浅い関係値になってしまうかもしれないし、ツッコミどころのない生き方をしようとすると、無難になってしまうかもしれない。 自分が周りに合わせていくことも大事だけれど、どこかで“わがまま”にならなければいけない。 誰にだって、譲れない何かが一つや二つある。 それを譲ってまで維持したい人間関係、生き方、果たしてそれは本当に自分が欲しいものなのだろう

どうして、「ビジョン」が必要なのか

あなたのビジョンはなんですか? 入試、企業の選考、上司との面談、様々な場面で聞かれる。 自分は「ビジョンなんて別にいらない、無くてもいい」と思っている。 だって、先のことなんて分からないし、先のことを考えたって結局今しか生きれないじゃないか、と考えているから。 ただ、そんな自分にモヤモヤしているのも事実で。 今を全力で生きるモチベーションこそ、ビジョンなんじゃないか 良くも悪くも行き当たりばったりなんじゃないか なんてことを考えてしまう。 - 企業や上司がビジ

答えられないアイツを見て、安心したいだけなんだよな

「お前は何がしたいの?」 「将来のビジョンはありますか?」 友人からも、企業の人事からも、自己啓発本からも、散々浴びせられた。 「分からない」 分かろうとしても、結局やってみないと分からない。 あれだけ「やりたい」と思って始めた習い事も、蓋を開けてみたら大してのめり込めなかったし、反面、やりたくなかったけど引き受けた「リーダー」は案外楽しかった。 「結局、やらなきゃ気づけない」ということだけが、唯一分かっていることだ。 - 僕は就活生ということもあり、周りからの

Whyってそんなに大事なんだろうか

いや、大事なんだけれども。 なぜその会社で働くのか、この業務にはどんな目的があるのか、なぜ生きるのか、「なぜ」を考えること、追求していくこと、それらは大事だし、その結果思いもよらない気づきやアイデアが生まれたりする。 いや、そうなんだけど。 「なぜ」はもっとも根本にあるし、コミュニケーションだって「Why」から始めるとうまくいく。 確かに、ゴールデンサークル理論とかあったけど。 「なぜ?」と5回問いかけると本質に辿り着ける。これは自己分析においても効果的らしい。

「差」じゃなくて、「違い」だった

「違い」を「差」だと思うから、前に進めないのだ。 誰かと自分を比較した時に何を感じるかは、誰かと自分の間にあるギャップを「違い」と解釈するか、「差」と解釈するか、そのいずれか次第かもしれない。 ネガティブな気持ちになるのか、何とも思わないのか。 ネガティブな気持ちになる時は、たいてい「差」と解釈した時だろう。 どこか相手に憧れていて、いや勝手に憧れていて、勝手に遠く感じて、勝手に追いつけない気がして、勝手に自己肯定できなくなる。 さらに、そういう時に限って、向こうは

たまには、自分の期待にも応えたい

誰かの期待に応え続ける人生が悪だとは思わない。 だって、ほとんどの人は誰かの期待に応えることで金銭的にも精神的にも満たされて、生きていけるから。 ただ、誰かの期待に応え続ける“だけ”の人生は、辛いかもしれない。 何のために生きているのか、どこを向いて、誰のために自分は存在しているのか、次第に自分自身が分からなくなってしまう。 誰かの期待に応えるのは自分ではない誰かでもできるけれど、自分の期待に応えられるのは、おそらく自分自身しかいない。 この世界は、「自分」以外のモ

選ばなかった方を、どうして選ばなかったのか

Aを選んだ理由ではなく、Bを選ばなかった理由は何だったんだろう。 自分が今まで選んでこなかったもの、選択してこなかった道、「どうしてそうしなかったのか」について考えてみたい。 選んだ理由を考えると、前向きな考えばかりが出てくるけれど、選ばなかった理由を考えると、ネガティブな理由もいくつか出てくる。 自分はどのようなことをネガティブに受け止めているのか、そのような傾向から、自分らしさや自分の価値観が分かることもあるような気がして。 思考の癖や習慣は人それぞれだけれど、〜

誰か、私に私らしさを教えてくれ

どうやら自己分析には限界があるらしい。 今までで一番頑張ったことは受験勉強くらいしかないし、その受験勉強ですら、人より頑張ったかと言われればそうは言い切れない。 だいたい、大学生までの人生の中で「最も頑張ったこと」なんて受験勉強か部活動くらいしかないのではないか。 企業の人事はきっともう聞き飽きているんでしょ。似たり寄ったりのアピールポイントに。 そんな屁理屈を並べてしまうほど、自己分析で行き詰まっている。 自分のことは自分が一番分かっていると思っていた。 確かに

誰も自分に興味なんてなくて

若者でごった返す日曜日の宮下公園。 自分自身も「若者」のはずなのに、居心地の悪さを感じる。 何となく自分だけ浮いているような、見かけは若者なのに若者らしくないことが見透かされているような、そんな気がして嫌な汗をかく。 ほとんど1年生しか受けていない授業に紛れ込んでしまった留年生のような気持ち。 自意識過剰。 自分自身を痛い目で見ている人はほとんどいないどころか、誰も自分自身の存在すら特に気にかけちゃいないのが、実のところだ。 「周りの目が気になる」 本当に、周り