”自然中心主義”でうまくいくだろうか 自然と機械の合わせ方

自然の流れ、動きのほうを優先し、それに人が寄り添う。それでうまくゆくはず。そう信じてきました。
みな、イメージではわかっているでしょう。

なかなか、工業的アプローチ、自然を作り替え、強引に支配する世界観の行き過ぎから、修正ができず、ひどいことになっているのだと思います。人が、物事をなんでも変えられるのだという信念。

原子力をやめようと3・11のあと騒ぎになったら、ある評論家が「それはサルに戻ることだ」と言い物議をかもした。しかし、上手にサルを見習うのも一方法だと思われる。動物福祉、アニマルウェルフェアが注目を浴びているが、そこには一種の知恵がある。人が、動物に学ぶことがある。動物、植物が健全に生きられる世界でこそ、ヒトも幸せになれるはず。


なぜキャンプやペットがブームなのか。パソコン、ビデオゲームが飽和的に進化しつくした後、飽きた人が、「当たり前のリアル世界」に回帰している。私見だが、そっちのほうが面白い。生成AIより、会話の相手なら、平凡な人のほうがはるかに面白い。(使い方だけれど)

培養肉なんてものもあるけれど、たとえば健康を例にとろう。薬、人工臓器を多用するより、できるなら、可能な限り自然な「健康状態」を維持できたほうがいいでしょう?

科学が後を追いかけてくる。AIも、教師を不要にしたり、スレスレのところまで、攻めてくる。

気候も、変わってきて難儀だけれど、元に戻す努力が必要。適応しようにも、難しいことが多い。海水淡水化や、気象工学の助けで時間を稼ぎ、そのなかで大気や海を、修正、元に戻してゆく。科学も、いろいろなのだ。自然を尊重する意識のある科学、ない科学。

実際問題、もう機械なしで暮らすことは不可能だ。であれば、うまく、繊細に神経を配って、機械を使う。火力発電、ガソリンエンジンが自然に負荷をかけるのならば、文句を言わず別の方法に代替してゆく。

テスラのイーロン・マスクが、惜しげもなくEVの特許を公開したことは、すごいこと。世界の小国も、真似できることになった。




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