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"It's NOT your fault."

彼は全てをなかったことにしようとしているんですよ。
呟いて顔をあげると、医師が私を見ていた。
そう、なかったことにしようとしていたのは君の父親だ。だけど君も、君は、全てをなかったことにしようとしていたんだよ。覚えている?

そうだった。私はすべてをなかったことにして、私が悪いんです私は勝手に壊れたんですと訴えてきたのだった。迫害者(仮にそう呼ぶ)の意図を私の意図として取り込んでいた。そしてたぶん今日、迫害者の意図を切り分けることができた。そういう成果。そのことが、とてもうれしかった。

圧倒的な暴力とはそういうものなんだと医師は、この治療の間何度も言った。
圧倒的な暴力には立ち向かうことができない。できるのは先回りして少しでもことを予見しようとすることだけだ。受け身がとれるわけではなくとも私たちはそうしないわけにはいかない。
予め知るために私たちは迫害者の顔色を読もうとし、憑依しようとし、彼/彼女になろうとする。迫害者自身になれば暴力を予見することができるから。そして錯覚に陥る。

「私が彼/彼女に暴力をふるわせているのではないか?」

あたかもそうであるかのように思われるほど、子供は憑依に没頭する。
そして思う。

「本当の加害者は私だ」

迫害者は子供がそう思うことを望むだろう。
だからその思い込みには幾重もの拍車がかかる。周囲がそういうかもしれない。そう見えるかもしれない。性虐待ならばますますそうだ。

悪いのは私。

でも違う。

だって彼らは大人で、だってそれは暴力への自然な子供の対応策、たったひとつ残された道だったのだから。

君は何も悪くない。

数ヶ月にわたって医師にとっても私にとっても負担の大きい治療が続いている。長時間毎週の面談、意図的な再体験、「そのとき」に完全に立ち返って彼女の思いを聞き出し、大人の視点から解釈をしなおす作業。さながら麻酔を打たない外科手術のようで、だけど、少なくともひとつは実を結んだ気がする。


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