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わたしのヨガヒストリー #1

苦しかった10〜20代

私は群馬県の山間部で生まれ育ちました。

中学生の頃から家族関係をはじめ人生に困難を感じていましたが、18歳で大学進学のため千葉で一人暮らしをはじめ、同級生との恋愛がうまくいかなかったことを皮切りに、対人関係、勉強、仕事などで挫折を感じる出来事が頻発しました。

その頃の私は、自分も他者も信じられず、孤独を感じ、自分の思いをうまく友達にも話せずにいました。

20代後半でNGOの活動に携わり、やりがいや使命感は感じていたものの、やはり自分に自信が持てず、地に足がついていない感覚がありました。

どん底

ヨガを始める1−2年前、私の身の上にトラウマになるような大きな出来事が起き、一層自分の価値を感じられなくなっていました。

どん底まで落ちて「こんな人生はもう嫌だ」「自分で自分の人生を変えよう」「心身を強くするために運動でも始めよう」と思い立った30歳の頃、ヨガに出会いました。

運動の中でもヨガを選んだ理由は2つ。

・小学生の頃から運動が苦手で嫌いだったけれども、マット運動とか体操的なものはなんとかできた

・”ヨガはどうやらただの運動ではないらしい”という噂を聞いた

から、でした。

ヨガを始める

最初に始めたのはホットヨガでした。

近所にあるスタジオに通い始めて、その後、銀座の本店の朝クラスに出ていました。

ホットヨガクラスに出ると何故かぐったりしてしまって、その日1日が辛く感じたのと、何度かふらふらになってクラスの途中で外に出ることがあったので、内心「このままでいいのかな...」と思っていました。

”綺麗になるヨガ”

ホットヨガを始めて2年目位の頃。

芥川舞子先生の「綺麗になるヨガ」というクラスに参加する機会がありました。

私はそれまで先生に直接お逢いしたことはなかったのですが、先生の写真から伝わる美と内側から感じる強さに憧れていました。

「綺麗になるヨガ」のクラスでは、先生のように外見が綺麗になる秘訣を教えていただけるかと思いきや...、

教えてくださった(というか、その中で私が覚えている)のは先生が生活の上で大切にされている、ヨガのアシュタンガ(八支則)のことと先生がアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガというヨガを練習されているということ。

アシュタンガ(八支則)は8段階からなる、幸せに生きる方法。

・ヤマ(禁戒):非暴力、正直さ、不盗、禁欲、不所有

・ニヤマ(勧戒):清浄、知足、苦行、聖典の学習、信心

・アーサナ(ヨガのポーズの練習)

・プラナヤーマ(身体内の気をコントロールするための練習)

・プラティヤハーラ(意思の働きをうちに向ける)

・ダーラナ(集中)

・ディヤーナ(瞑想)

・サマディ(悟り)

この時に私はやっとヨガがただの運動ではないらしいと言われていた理由が少しわかった気がしました。

「綺麗になるヨガ」を受けて舞子先生のような超美人になれたわけでないけど、先生の在り方や言葉のひとつひとつから、この教えが私の心が求めていたものだと強く感じました。

そしてこの時から、私のヨガジャーニーが始まりました。

アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ

アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガを学ぶべく、荻窪や飯田橋のケン・ハラクマ先生主宰のIYC(インターナショナル・ヨガセンター)に通い始めたのが2010年の秋。

その半年後に東日本大震災が発生。

電気や燃料が足りていない中でホットヨガをすることに違和感を感じ、ホットヨガをやめて完全にアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ一本を練習し始めました。

最初、私の体にはクラス中ずっと動いているアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガの練習は正直、最初きつかった...。それでもなんとか週1ペースで細々と通っていました。

では、きつかったのに練習が続けられたのは何故だったのか?

それは多分、アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガを通して多くの素敵な先生に出会い、先生方を目標にできたからと、前述した八支則をはじめとしたヨガの教えが支えてくれたおかげだったと思います。

出会った先生方

YICで出会ったアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガの先生方は、日々のご自身の練習をしっかりされており、優しく芯が強くて、自分の人生に真剣に向き合っていている方々でした。

中でも、大きな愛から大切なことに気づくための言葉をくださった先生、私を含めた生徒を友人として大切にしてくださる先生、そして、人生を180度変えてくれるきっかけをくれた先生に出会えたことは私にとって本当に大きな出来事でした。


続きは「わたしのヨガヒストリー #2」で書きます。





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