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ヨガで自律神経調整、心身統一法、中村天風の教え。

いまさら天風さん?
しかも、心身統一法って、いまさらって感じだよね?
ひょっとするとあなたはそういうふうに思ったかもしれない。たしかに…。昭和初期の健康法や哲学って、堅苦しいし今の時代にはあわないという印象がある。1950年代、東京の晴れた夜空はまだまだ澄み渡り、無数の星空を仰ぐことができた時代であった。

私は、バルコニーのベンチに腰を下ろし、沈む夕陽を眺めながら、ひとり静かに、鉄人「中村天風」に想いを馳せた。

20世紀のはじめ、日露戦争に軍事探偵として参加、大活躍、まさに九死に一生を得て帰国した天風は、30歳にして重度の肺結核を患い、失意のなか人生を求めてアメリカに渡り、コロンビア大学医学部の聴講生となる。しかし、どこへ行っても満足な結果が得られず、失意のうちに帰国の途につくのである。帰路の途中エジプトのカイロでの出会いが、自分の運命を変えることになるなんて、その当時は思いもしなかっただろう。
こうして100年が経った今、自分に想いを馳せる人がいるなんて予想してただろうか・・・

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本棚の奥にしまい込んでいた、中村天風に関する本をしばらくぶりに開いたのは、カズちゃんからの連絡があったからだった。

「母のことで相談なのですが、右半身のみ汗をかき、左半身は汗どころか今までも分泌物すらでていなかったそうです。気づいたのは40代で、今日まで気にせず過ごしてきたそうです。病院にいったところ脳には異常がありませんでした。自律神経にかかわるものであるということで、薬や治療法もあることはあるのですが、私は今の先生のヨガで体も自律神経も整っていくのでは思ってますが、何かよいアドバイスがあればおねがいします」とのことだった。ヨガが自律神経系に良いということは、今や世間一般に知れ渡っていることなので、もちろん、ヨガをすることはおすすめだ。問題はどれだけ本人が自覚してヨガに向き合うかということだと思う。

ヨガには、様々なポーズがあって、どのポーズが自分に合っているか(例えば自律神経に良いポーズはとか)はあまり重要ではないし、どのタイミングで吸ってどのタイミングで吐くのかということも、それほど重要なことではない、それは続けていくことでできるようになる技術である。大切なのは、自分の内側で起こっていることであったりする。例えば、呼吸の波に動きをのせていくこと(ビンヤーサ)で、無意識に無中になっていることであったり、思考を休めることであったりする。無我夢中になっている状態は、ほどよい無心である。動く瞑想状態といったほうが、イメージしやすいかもしれません。
それから、次にくるのが、ポーズの形や細かい体の使い方に意識を持って練習を繰り返すことだと思っている。
初めてヨガをした人は、ヨガがストレッチだけではなく、バランスやスタミナをつけるような動きが多いことにびっくりするでしょう。とくに下腹部(おへその下)はどのようなポーズを行いながらも、引き締まっているような安定感をキープしていきます。この下腹部の体の使い方が、後に「プラナヤマ法」や、また天風の心身統一法では丹田呼吸法と言われるものにつながっていくのです(アシュタンガヨガではバンダと呼ばれる)。

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天風はエジプトのカイロで、ヨガの指導者カリアッパ師に出会い、「お前はまだ死ぬ運命ではない。私についてきなさい」と言われるのです。天風は、なぜか何の抵抗もなく無心な思いで、「はい、かしこまりました」と答えたという。天風が連れていかれたところは、ヒマラヤ山脈の第3の峰・ゴルケ村にあるヨガの修行場だった。ヒマラヤの大自然の中に、天風は病を抱えたままの身をゆだねるしかなかった。最初は病状の変化に一喜一憂し、頭の中は雑念妄想であふれ、いつになったら救われるのかと、師に詰め寄った。カリアッパ師は水のいっぱい入った器にお湯を注ぐように天風に命じた。天風は馬鹿にされたと「水のいっぱい入っている器に湯を注げば、こばれます」と抗議した。するとカリアッパ師は「それがわかっているのなら、なぜ自分の頭の中も空っぽにしてこないか」と論したという。
経験や知識にじゃまされ、新しいことにチャレンジできないことや、凝り固まった固定観念にじゃまされ、葛藤とストレスをつくり、やがては病気になってしまう。それは今も昔もかわらないことなのだと思った。ごうごうと耳が割れんばかりの音を立てて流れる滝のそばや、時に密林の獣が出没する大自然の中で、天風はひたすら瞑想にふけった。ある日、流れる白い雲を見つめてる自分が、何ものにもこだわっていない無心の瞬間にいることに気づいた。大自然と一体となって生きている自分の命を感じたのです。

2年半のヒマラヤでの修行を終え、健康をとりもどした天風は、実業界で大活躍するのです。しかし、事業家としての成功に心から満足できません。1919年、妻の握ったおにぎりを腰にぶら下げ、とうとう、上野公園前で辻説法に立つのでした。実業界から完全に身をひいたのです。自らインドで体得した心の統御法や体の訓練法を、誰にでも理解できるように「心身統一法」として体系づけるための研究に没頭した。一つひとつの動きに意識を向けることによって、日常的につかうことの少ない筋肉までを鍛え、自律神経を活発にして内臓器官を強くする。これらの伝道活動に情熱を注いだのです。これこそが、自分に与えられた使命なのだと天風は悟ったのです。それは一方では愚か者と思われたかもしれない。それでも、それこそが、おのれの命を輝かすしるしなのだと…。のちに、日本で最初のヨガの始まりになったのです。

と、一気に語った私の目の前には、赤々とした夕陽が沈みかけ、ご苦労さん、また明日ね。と聴いてくれてるのでした。
私は、ベランダの椅子の背にもたれかかり、川岸からの風に吹かれて、ひとつ、息をつく。
なぜだろう、私はね、生かされている大自然の命 という響きだけで、ふいに涙がこみ上げてくることあるんだよな。
昔、昔、ヒマラヤの麓で一人ぼっちで月を見上げてる若き日の天風が、母を想い涙したことを…。世間からどれだけ馬鹿にされても、自分の信念に忠実に生きた人に。いま、私たちがこうやって、ヨガができることは、彼が生きた証。彼が私たちに遺してくれたお陰だ。

未来の自分へ。
自分が信じた道を、愚直に、ひたむきに歩み続けるんだ。いいね。迷わず、まっすぐに。


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