私が日記やnoteを書く理由とその結果について。
仕事がある。家がある。体がある。何もしなくても明日がくる。友達がいる。家族がいる。好きなものだってある。それなのに、なんだろう。この憂鬱感は…。
不思議だ。理解はしている、贅沢なんだと。
昨日も今日も書くことがないな、とか、書きたくないな、と思う日だった。でも、筋トレをしないスポーツ選手はいない。私はスポーツ選手ではないのだけど、自分を変えたいと思いヨガを始めた。弱いメンタルをどうにかしたいと思い決断したのが、ヨガと日記だった。そう自分に言い聞かせ、今パソコンに向かっている。
毎回、三日坊主で終わっていた日記も、2017年から毎日とはいかないが一応続いている。書くことがないので、珈琲の香り漂う部屋の中で、ぼーっとノートを開いたまま時間が過ぎてしまう事もしょっちゅうだ。
ところが、書くことのない日々の中にこそ、人生の偉大なヒントが眠っているのだ、と気が付いた。この日記を書くという日常から素晴らしい成果が生まれることを知ることになった。ブログは日記帳とは別なので、書けないことの方が多いのだけど、でも、工夫をしながら、1週間分の日記をまとめた形で、正直に記してきた。
日記は、時間を奪われる、面倒くさいなど、デメリットもあるだろうけど、圧倒的にメリットの方が多い。中でも書くことがない時ほど、自分の心の癖や弱い部分、或いはズル賢いところが見えてくる。今日という日の自分に決着をつけ、その結果が良くても悪くても、納得しスッキリするのだから不思議だ。そして後悔や苦悩を悩むことをやめて、考える方へとシフトしていく。悩むということは、頭がごちゃごちゃした状態。考えるということは、冷静である状態のようだ。明日に持ち越さずに済む上に、最終的にささやかな心の安心を掴むことが出来るのだ。
時は金なり。時はお金以上に価値のあるものだというのに、私は、過ぎてしまった3日前の事だって順序立って語るのに自信がない。これでは、生まれて死ぬまであっという間に流れてそれで終わってしまうんだろうと不安になったのを覚えている。自分の今をきちんと見つめることで、確認でき、未来への大きな方向性や希望を手に入れることが出来るのだ、ということを日記が教えてくれた。
人間は生きているだけで苦しくなったり、不安になったりする。その時々で、自分がどう在りたのかを把握できれば、行動力もわいてくる。少なくとも負のループに毎度引きずり込まれることはない。人生の意味や答えは自分の中にこそ存在する。
前の記事に娘のことを書いた。
読んだ方が、面白い、次は何が起こるのだろうと毎回ワクワクしながら読んでると言ってくれた。
実はあの後からブログをアップするまで、また事件(娘とのトラブル)は起き、私は髪の毛が逆立つぐらいに沸騰したのだけど、ブログに記すと、いつの間にか冷静になる。そして笑いになるように工夫したりする。
その工夫は、皆んなを笑わせる為じゃなくて、自分を笑わせる為の工夫なのだ。
全ての行動の元となる内側。
行動できない。継続できない。決断できない。悪いことばかりを考えてしまう。生きていても楽しくない。
自分の考え方や、心の動き、心の仕組みを知らないがために起こる、自分をうまくコントロールできない元の原因が内側(メンタル)なんです。
自分探しをし、モヤモヤしてる人におすすめしたい。
今日を振り返る為のもの、未来の架け橋になるような日記を…。外側の変化は、内側の変化から始まるのだ。
それでは今日も良い一日を〜。
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