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峯田和伸が呼んでいる

10代の頃の僕はというといつも何かに腹が立っていて、常に周りを睨みつけるように日々を過ごしていた。知識不足と経験のなさからくる乱立する憎悪が心の中を渦巻き、何もかもを破壊したい、全てをひっくり返してしまいたい衝動が常にあった。そんなどうしようもない僕に手を差し伸ばしてくれたのがパンクロックという音楽だった。

パンクロックといえば「反体制」であったり「攻撃的」といったイメージを持つ人も多いかもしれない。ただ、その当時の僕にとってのパンクロックは「優しさ」そのものだった。僕らのようなはみ出したどうしようもない、行き場の無い感性の人間を掬ってくれる存在だった。そんな中でも僕の精神的な居場所になっていたのが銀杏BOYZであり、峯田和伸という人間だ。

銀杏BOYZのライブは"普通"の人間が見たら異常だと感じるのかもしれない。服を脱ぎ、血塗れになり、歌と言えないほど叫び、ギターを掻きむしり、メンバーを殴り、ステージで機材を破壊する。ライブ?音楽?アート?どの言葉にも当てはまらない。これはパンクロックとしか形容できない。そんな彼らの全てが当時の僕の内側で沸々と渦巻いて壊れてしまいそうな感情や怒りを解放してくれる存在だった。何もかもに怒り狂うのではなく正しくエネルギーを放出すること、"普通の人間"を演じている人間の異常さを彼らが教えてくれた。そして僕はギターを手に取り、彼らの楽曲を演奏することで生きるエネルギーへと変換していた。

今思えば幼稚で稚拙で何も生み出さないものかもしれない。それでも小さくとも日々何かと闘ってた。学校や教室、クラスメイト、その何もかもをひっくり返したい。そう感じていた。子供から大人になるあの頃の焦燥感を僕はパンクロックで消化していた。歌詞やバンドのスタイルではなく、ギターを掻きむしり、喉を潰すほど衝動的に叫び、暴力的な行動の中で自分の信じる優しさを体現しようと必死な姿に強く惹かれていた。人の心は綺麗でない。ヘドロのような醜い姿をしている。大抵の人はそうだ。そんな姿を体現して、その全てを彼らの音楽は包み込んでいた。

あの頃の僕は自分のライブがあるたびに声がかすれて声が出なくなるほど叫んだ。心の奥底の怒りと優しさを振り絞って、ギターを掻きむしった。ギターの弦が血まみれになって、弦を切ってでも発したいエネルギーがあったから。ここでは暴れたい衝動や日々の怒りを抑えることはない。誰かを想う怒りの全てが優しさへと変換される。

20代を過ぎ、そんな10代の日々から10年が経過した。もうすっかりおじさんだ。会社で働き、生活をして、怒りだけでない大切な気持ちを飼い慣らしながら生きている。あの日々のことを「若かったから」などと言い訳して、あの頃の自分と変わり果てて大人になった気になっている。
でも本当は理解している。僕はなんら変わってはいない。"27歳の成人男性"を今日も演じているだけだ。心の奥底にはいつだって変わらない怒りと憎悪を抱えている。きっとあなたもそうだ。その"優しさ"をどうか今日も大切に暮らしていこう。愛していこう。

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