ありがとうを言うまでに考えたこと
"コミュ障"という言葉がある。
いつからこの言葉が使われ始めたのだろう。おそらく今から10年も経たないくらい前の自分が高校生から大学生の頃から頻繁に使われ始めた気がする。
医学的な"コミュニケーション障害"とは違って、ネットスラング的に使われる"コミュ障"という別の存在で、以下ような特徴があるようです。
・自分から話しかけることができない
・会話が続かない、キャッチボールができない
・まわりの空気を読まない言葉を発してしまう
・人との距離感がうまくはかれない
・自信をもって話すことができない
・緊張してしまう など
一般的にこうした人を"コミュ障"と呼ぶらしい。ただずっと僕はこの言葉や考え方には疑問を感じている。
もちろんコミュニケーションが上手くとれない、人と話を合わせたりすることが難しい医学的な意味での"コミュニケーション障害"の人もこの世にいることは理解している。
ただ僕の経験と実感として"自称コミュ障"を語ってコミュニケーションを雑にしてるだけの人にがとても多い。
「自称」することで人との関係性において保険をかけてガードを作り、コミュ障だから許されるor仕方がないという環境を作ろうとしている人間ばかりだ。気分が乗らないから人と話したくない、自分の都合のいい話だけがしたい、めんどくさいから返事したくない。それはコミュ障ではなくコミュ雑です。コミュニケーション雑症候群です。
コミュニケーションを雑にして疎かにすることはとてつもなく失礼。コミュニケーションにおいて非常に大切な"相手に伝わるように伝える"ということを忘れて、自分が疲れない最低限のパワーで相手に伝える。伝わったかどうかは関係ない、伝えたからいいでしょといった幼稚な3歳児レベルのコミュニケーションを図ろうとしてくる人に最近よく会う。めちゃくちゃムカつく。一人一人胸ぐら掴んで「お前大人だろしっかりしろや!!!」と叫びたいくらいに心は荒れている。
何しろほんとにコミュニケーションを取ることが難しい人たちにとって、コミュ障を言い訳に使われることは迷惑すぎることなのだ。
それと最近では相槌や細かい返事をしない人も多いな〜と感じる。それはもしかしたらLINEやSNSでのコミュニケーションが増えた弊害なのかもしれない。基本的にLINEなどの文字のやりとりでは相槌や細かい返事は省略されることが多い。そのため日常でもそういったコミュニケーションにおいて大切な相槌などを忘れてしまっている人が増えているのかもしれない。
これは個人的な感覚なので言い切れないけど、相槌はめちゃくちゃ大事。会話はテンポなので、頷きでグルーヴを作らないと会話にノリは生まれない。いつでも心に最高のベーシストを飼っておかなければいけない。心にハマオカモトだ。
言葉や思いを"伝えること"と"伝わること"には1文字だけの違いに見えて大きな隔たりがある。
「気持ちは言葉にしないと伝わらないよ!」みたいなセリフや歌詞をよく目にする。確かにそれはそうなのだけど、それだけでは足りない。
「気持ちは言葉にした上で、相手にしっかり伝わるように伝えないと何も届かないよ、人間なめんなよ、もっとがんばれよ」くらいにしないと圧倒的に足りない。
人間は当たり前だけど他人であれば外見も声も考え方も何もかも同じ人は存在しない。だから人によって受け取り方や感覚も完全に違ってくる。自分が持ってる言葉も他の人にとっては違う捉え方をする可能性は大いにある。それはもちろん関係性によって変わってくるとは思うけど基本的に全く違うと言っていいほど同じ捉え方をできる人はいない。
だからこそ自分の言葉や思いを伝える時には、できるだけ溢さないように相手の心に伝わるように伝えないといけない。
めんどくさいよね。でもコミュニケーションっていうのは基本的にそもそもめんどくさくて厄介なものなのだ。誰かと関わることなんて基本的にめんどくさい。人が2人いなければ争いも生まれないし、優劣もなく自由でいられる。
それでも自分以外の誰かがいるからこそ喜びも興奮も倍に倍に増えていくし、新たな可能性が広がっていく。
SNSが発達して、毎日毎時間毎秒誰かとコミュニケーションがとれるような時代になった。それでも日々人間同士の争いは絶えないし、益々コミュニケーションは複雑になった。
正直ここまで書いていてまとめ方も分からないし、何が言いたいのかも分からなくなってきている。とても眠い。なのでここら辺りで止めようと思います。
とにかく言いたいことはレジでお会計したら、「ありがとう」くらい言おうよ。「ごちそうさま」くらい言ってお店を出ようよ。その程度で社会は少しずつ良くなるのよ。その一言が連鎖して地球の裏側の誰かを助けるかもしれないよ。
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