よづる

日本淡水魚をはじめとした魚や自然を愛する人間です。絵を描いたり、文字を書いたり、哲学に…

よづる

日本淡水魚をはじめとした魚や自然を愛する人間です。絵を描いたり、文字を書いたり、哲学に耽ったり。僕という一人の人間のために、素直な思いをここに書いておこうと思います。

最近の記事

ミルクを愛する余白を作る。

その日、僕は、生まれて初めて大きな映画館でなく、劇場へと足を運んだ。 その映画の存在は約1年前。 あるシンポジウムにて小耳に挟み、その後何度か情報を得てはいたもののなかなか上映のタイミングなく、手をこまねいていた。 好きが高じて淡水魚の図鑑めいたものを作ってしまうくらいには重度の淡水魚オタクであるところの僕にとって、巡ってきたチャンスをみすみす逃せるはずもなかったのだった。 . ミルクの中のイワナ(A Trout in the Milk)とは、作家ヘンリー・デヴィッド

    • なぜ日本淡水魚なの?

      僕が幾度となく聞かれた質問だ。 口頭ではそれっぽいことを言って納得してもらっているが、せっかく書き記す場があるので詳細をここへ置いておこうと思う。 - 原体験 僕は幼少期、自然と生き物が大好きな少年だった。 ゲームを買ってもらえず外で遊ぶしか選択肢のない僕は冬でもお構いなく外へ出掛けていた。 網を片手に生活用水路を探り、およそ生き物など存在していないような場所に確かに築かれた生態系に触れていた。 少し深くなっているところにはフナやカワムツの子供が群れていたり、石造

      • 幸福欲

        都会を好み、いわゆる今時の若者であるところの弟から言わせてみると、僕は「仙人みたい」らしい。 . 都市部出身である僕は、ずっと前から望んでいた自然溢れる地方暮らしを体現し、さして流行り廃りや都会の利便性にも全くと言っていいほどに関心がない。 欲しい物は何かある?と誰かに聞かれても頭を抱えるばっかりで、物欲もからっきし… 厳密に言うと、欲しい物はもちろんある。 だが、ノートパソコンやソフトのライセンス等のデバイス周りや観葉植物・本など、どれも買いきれなかったり面倒が付き

        • うおとひと 2024 for きんたい廃校博物館

          おそらく日本初の「日本淡水魚」がメインのイベントが1/21(日)に行われました🐟🐟🐟 テーマは"日本淡水魚の魅力と保全を考える"。 日本淡水魚に関わる10名を超える様々な作家さんや活動者さんが集いグッズの販売を行う他、保全団体の方の展示や募金箱も用意されていました。 会場である「きんたい廃校博物館」はそもそも八尾市で"きんたい"と呼ばれ親しまれていたニッポンバラタナゴの保全と啓発を目的に運営されているため、グッズを購入すればそれが自然と環境保全に繋がります。 . 有難

        ミルクを愛する余白を作る。

          しらす漁紀行

          1月12日。 僕は知り合いの紹介でしらす漁に参加させて頂いた。 昨年末に体験してみないか?との声に二つ返事で参加を決めたのが始まりだった。 和歌山県は一次産業で成り立つ地方都市であり、しらすはその中でも有名で大きな産業の一つだ。 山や畑の仕事は経験があるものの、海での仕事の経験は初。 憧れの漁の現場、過酷であると分かっていても、飛び込む以外の選択肢は僕の頭には浮かばなかった。 . しらす漁は四隻の船で行われる。 しらすをとる網を引く船が二隻、魚群探知機を駆使し

          しらす漁紀行

          後悔よ、頼むから先に立ってくれ。

          僕は寂しがり屋で、人として誰かに必要とされたいと願っている。 以前記した内容だ。 僕はこの事実をごく最近まで受け止めることができずにいた。 他のことへ打ち込んで紛らわそうとしたりして、目を逸らして平気なふりをしていた。 それに加えて、僕は評価基準を減点方式にしていた結果、限りなく自己肯定感が低く、誰かに必要とされるにはその人にとっての価値を示す必要があると本気で信じ込んでいた。 そんな僕を、人として必要としてくれている人がすぐそばに居たのに。 そして案の定、失って

          後悔よ、頼むから先に立ってくれ。

          素直な自分になりたくて。

          新年あけましておめでとうございます。 昨年は終盤から始めました、己が為のnoteにて抱負について記しておこうと思います。 昨年度の抱負は「欲張る」でした。 わがままを言う、二兎を追ってみる… 一兎をも得ずとは言うけれど、その真相は如何なものか? アーティストユニットとして本格始動し、実に様々な経験を積むことが出来、また魚類関連の方とも知り合うことが出来、結果としてはとても多くのものを得ることが出来ました。 ただ、それと引き換えに失ったものも少なくなく、僕にとって大

          素直な自分になりたくて。

          昔住んでいた借家の裏には、大きな橙の木が生えていた。 背丈を2mほど超えてそびえる大木には、冬になると握り拳よりも大きな果実をたわわに実らせた。 名前の通り、鮮やかな美しい橙色を纏ったその果実は縁起物とされ正月の飾りに用いられたり、ポン酢の原料になったりする一方で、木々の至る所から鋭く大きな棘が生えていた。 棘に怯えながらも、時折大きな橙の実をとってきて、おかずに少しばかり絞って香りを楽しんだものだ。 あんまり一般的ではないが、檸檬やオレンジとは違う豊かな中に芯のある

          寂しがりやだから。

          ここ数年で僕は僕自身に対する解像度がグンと上がってきたように思う。 モラトリアムを経て、僕は何者なのか?という問いが常に頭の片隅にあり続け、必死にそれを解明しようと四苦八苦している。 僕の核は“哲学”だということはわかった。 ただ、ここに至るまでに多くのものを犠牲にしてきたように思う。 未だに未熟な僕だから仕方のなかった、必要な工程だったのだろうと頭では理解しているつもりでも、心の中はどうしようもなく寂しいのだ。 - ラジオだったか、どこかで「人は常に寂しさを埋め

          寂しがりやだから。

          てつがくのさかな

          僕は小学生の時「くもん」という学習塾に通っていました。 当時から特別に好きな訳でもないのに、なぜだか異様に国語だけ出来がよく沢山の文字と物語に触れました。 かなり作業的に問題を解いていた中でも、いくつかの物語を断片的に覚えています。 中でも奇妙だ、と感じたのは「てつがくのライオン」という物語でした。 題名通り、ライオンが哲学を実践するというものなのですが、そもそも哲学が何者なのかわからぬまま、読み進めてなんとなく「わからないことをこねくり回してみることなのだ」程度の認

          てつがくのさかな

          料理は結局、塩とオイルが一番美味い。

          こんにちは。 唐突ではありますが皆様方におかれましては「生き甲斐」に何を据えて生きていますか? というか、そもそも「生き甲斐」ってありますか? 何より、「生き甲斐」って、なんでしょうね? 僕もある時までは人生の生き甲斐を全く見出せずに彷徨うように生きていたので、物悲しさというか、心ここにあらぬ状態を強く覚えています。 では今はどうかと言いますと、なんと一転やりたいことが多すぎて、つまるところ生き甲斐まみれで全然手が回らない、と言った具合です。 このご時世、インター

          料理は結局、塩とオイルが一番美味い。

          僕という人間について。

          こんにちは。 僕はインターネット上で「よづる」という名前で描いた絵を投稿しているものです。 ツイッターやインスタグラムでは主に作品を投稿すること以外は日々のつぶやき程度しかしておらず、僕が一体全体何者なのか?ということを話してこなかったように思います。 ゆえに、ここにそれを記しておこうかな、と思い書き始めた次第です。 (noteというプラットフォームを使ってみたかった、ある物書きの人に文章を褒めていただき嬉しく思って書いてみている、という本心はここでは言わないでおきま

          僕という人間について。