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しらす漁紀行

1月12日。

僕は知り合いの紹介でしらす漁に参加させて頂いた。

昨年末に体験してみないか?との声に二つ返事で参加を決めたのが始まりだった。

和歌山県は一次産業で成り立つ地方都市であり、しらすはその中でも有名で大きな産業の一つだ。

山や畑の仕事は経験があるものの、海での仕事の経験は初。

憧れの漁の現場、過酷であると分かっていても、飛び込む以外の選択肢は僕の頭には浮かばなかった。

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しらす漁は四隻の船で行われる。

しらすをとる網を引く船が二隻、魚群探知機を駆使して網船を先導する旗艦。そして引き揚げたしらすを乗せて漁港へと運ぶ船が一隻。

僕は最後者へ乗ることに。

漁の開始は午前7時。
まだ空に星が瞬く時間に起き、凍てつくような空気の中漁港へ。

6mはあろうかという船の上で開始時間を待つ。

事前に船酔いするかもしれないから、薬を渡すよと聞いていたのだが、朝にその箱の中身が入っていないことが判明し、丸腰で戦場へ赴くことになってしまった。

だが、なぜだか不思議と、一切緊張していなかった。

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定刻が近づくと船は順番にスタートラインよろしく堤防の間へと並ぶ。朝日が射し始めた7時、堰を切ったように船たちは一斉に沖へと走り出した。

僕たちは一度氷を積み込んでから遅れて出発。

無線の音、排気ガスの匂い、海のうねりの上を跳ねるようにしながら仲間の座標へ。

135°の表記を見て、日本の標準時子午線がある明石と同じくらいの経度なのか、なんてことを考えながら、魚群探知機(略して魚探)の見方や漁法などを教えてもらった。

湾内から遠ざかるにつれ強まる波へ割り入るように進む船はまさしくメディアで見るような、激しい水飛沫に晒されていた。

操舵室の中からフロントガラスへ打ち付ける海水と、その水滴たちの起こす光の屈折でころころと姿を変える水平線の様子をじっと見ていた。

絶叫系アトラクションが大の苦手な僕だが、水切りの如く跳ねる漁船は最高に楽しかった。

同じ湾で海洋冒険家の方が行っているカヤックのツアーへ二度参加したことがある。

3mほどのカヤックは海面のすぐ真上を滑るように進む。

その分、波の影響を受けやすく、より海のうねりと体の軸を合わせてやらねばならない。

その冒険家の方が出している書籍を拝読したことで、一層僕は海と仲良くなる作法を学べたように思う。

今回も、その経験が活きたように強く感じた。

海の絶大なグルーヴに逆らうのではなく、体の軸を預けて、ダンスを踊る感覚。

恐怖心や懐疑心を向けられると、人も生き物も自然も、たとえ隠されていようとも簡単に見破ってしまい、その感情の大きさと同じだけのエネルギーで以って相対してくるようだ。

踊りを楽しみながらも、油断することなく。

山肌、無人島、水平線に並ぶ白い船、朝日のグラデーション。

見えるもの全てが美しかった。

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沖合では既に網を引いていて、その周りを旗艦と運搬船が行ったり来たりを繰り返す。
魚探でしらすの群れを探り、無線で網船を誘導するのだ。

長い時で3時間ほどそうして網を引き続けるのだという。

流れに揉まれていると、実に多くの言葉が僕の脳裏へと流れ込んできた。きっと、海が言葉を運んでくるのだろう。

僕の姓は海や川に関係している。
最近まではほとんど意識したことがなく、単に周りにそんなにいない苗字だ、くらいの認識だった。

だが、魚や自然が好きなこと、それに関わる営みに並々ならぬ興味関心を持っていること。とても繋がりがないとは思えなくなってきた。

憧れていた漁業の現場、生き物との営み。
遠くから眺めていただけだった以前と、その現場へ立つ今。いつの間にか、導かれるようにして海へ出ていた。

僕たち日本人には薄れてしまっているかもしれないが、世界の人々は自らのルーツについてとても関心が高く、大切にしているように思う。

だが、僕たちも意識していないだけでルーツは必ず存在している。
大いなる歴史の譜面上に僕たちは確かに存在していて、知らず内に数多の文化を接種しては次の文化を築き上げている。
僕たちは単一の音に過ぎないかもしれない。しかしながらそれらを繋げていくと確かに、一つの楽曲になっている。

海に浮かぶ島々も大陸も、その根本を辿れば地球という大きな一つの譜面で繋がっているのだ。

そしてその楽曲たる文化の脈絡を、僕は何よりも尊んでいるのだ。

母なる海の揺籠の上で、僕は僕自身が生まれるよりもっともっと前の、原始の記憶とまどろみの中で邂逅していた。

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長い導入が終わり、ついに漁の大一番、網揚げだ。

四隻をピッタリと寄せ合い、機械で網を巻き上げていく。

この時に初めて操舵室から出て甲板へ立った。止まっていても横揺れは大きく、しかし清々しい日差しと潮風が僕の体を駆け抜けた。

巻き上げた網袋から海面で他の網へ中のしらすを移す。
無数のしらすたち。透き通った体も集えば光を通さず、灰色の塊のようだった。

タモでコンテナひとつひとつへ彼らを開けていく。


海水か魚体か、どろりとした彼らの重さは一つのコンテナにつきおよそ25kg。

しらすは鮮度が命だ。いかに手早く作業を済ませ、帰港するかの勝負。

外洋の三角波に揺さぶられながら、コンテナを一つひとつ運搬する船へ積んでいく。魚の赤子たちに塗れながら。

この日は比較的多かったらしく、運搬するのは本当に骨が折れた。運んでは並べ、氷を敷く。その間も足場は滑り、船体は弾み、漁業初体験のヒョロヒョロの僕がなぜ船酔いしていないのか不思議で仕方がなかった。

なんとか作業を終え、合間に撮影することもできた(スマホはもれなくしらすまみれになった)。

親方に健闘を讃えてもらいつつ、雑魚の混じったしらすを頂いた。

しらすに混じる他の稚魚。食べるとしっかり骨が当たる。

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改めて、漁師の方々に対して畏敬の念を感じた。
船上は覚悟していたが、想像以上に過酷だ。そしてしらす漁はその中でも、とりわけ楽な方だと思う。さらに沖合の漁場へ赴く漁船や、一層過酷で危険な現場などいくらでもあるだろう。

僕たちは本当に何気なく食べ物を購入したり、口にしている。
しかし、そこには例外なく生産者の努力が存在している。

スーパーなんかで簡単に手に入ってしまうから、大変効率化が図られていて生産の苦労は減っているのだと思ってしまいがちだ。

だが、現実はそんなに甘くないのだ。
確かに昔よりは道具が進化し、効率的に作業できる部分も多くなってきているのは事実だろう。
ただ、細かな作業や肝心な部分は大抵の場合、依然として人間の仕事であることの方が多い。

大変な仕事であることを身を以て経験したからこそ、その恵みのありがたみをもっと多くの方に知ってもらいたいと思うし、スーパーなどの身近な場所でも商品の裏側にあるストーリーを知ることのできる仕掛けを用意してほしいと切に願う。

海のうねりと共に陸へ持って帰ってきたこの経験は、僕の生涯の宝物のひとつだ。

心にうっすらと立ち込めていた靄も、
照らす朝日と絶えず変わりゆく海原がさらっていってくれたようだ。


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