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水路(1)

「ねえ、理迦(りか)と蒼(そう)ってさあ、自分が覚えてる一番小さい頃の記憶って何歳?」

私は夫の四十九日を済ませたお寺の帰り道、2人の子供に尋ねた。

「うーん保育園の年少さんくらいかなあ」

「赤ちゃんの時にアレルギーと喘息が酷くて、お父さんがいた同じ大学病院通ったの覚えてないの?」

「全然覚えてないー。」

「『とびひ』になってお尻にも水ぶくれが出来ちゃって、触ると潰れちゃうから抱っこも出来ないし、ずうっと歩いて。5分かからないとこが1時間かかってねえ」

「そうなの?知らんかったー。あんな大きい病院にお世話になっとったんか・・・」
「症例が少ないのか、めっちゃ写真撮られたり学生さんに囲まれてたから、あの時は有名人だったかもしれんよ」
「え!裸?やだーーー恥ずかしいじゃん!」

「蒼は?」
「え?俺3歳くらいに外で遊んでて、シベリアンハスキーにぶっ飛ばされて泣いた記憶あるよ?未だにでかい犬怖いわ。」

「あーーー?あれレトリバーだがね。同級生のあっちゃんとこが飼ってたやつな。」
「あの犬私も突っ込まれたことある!!喜びすぎておしっこしちゃう犬でしょ?」
理迦が声を上げて笑う。
「そうだったっけ?とりあえずでかい犬は勘弁。母さんは?」

あの頃

今まで生きてきた人生の中で、1、2を争う壮絶な時期だったが、今は健康に過ごせている高校生の娘と、社会人になりたての息子を見て、笑って話せる。


あの時
家族と共に死ぬことを選びかけた自分がいた。
墓場まで持っていく秘密。


「ん?オカンは哺乳瓶を右手に持って、叔母さんにオムツ替えてもらった記憶あるよ」

2人は声を揃えて「嘘だあー」と笑った。

私の一番小さい頃の記憶には、右手に自らの持つガラスの哺乳瓶、左手には何も持たずばたつかせ、笑顔の叔母と言葉にならない声でコミュニケーションしている姿が、魚眼レンズを通したような映像で、くっきりと頭に残っている。

その次の記憶はなぜか、泣いている記憶ばかりだ。

3歳の終わり頃だった。

私は1歳の誕生日に買ってもらった三輪車が大のお気に入りで、いつも外へ出かけてはペダルを漕いで、庭で遊んでいた。
家の近くには少し高低差がある池が2つあって、人工的に水量が調整される水路が設けられていた。

コンクリートで固められたそれは、雨が沢山降ると溢れた分がもう片方の池へ滝のように注がれるための道となり、近所の子供たちにとって格好の遊び場だった。

水路の上には公園へと続く細い一本道があって、当時脳梗塞を患い右手と左足が不自由になった祖母が、リハビリ代わりに行く散歩道になっていた。

底に着けられた保護用のゴムキャップはとうに破れ、金属が剥き出しになった杖を「カツカツ」と突いて
麻痺した脚に着けられた補助器具のバックルが「チャリン」と鳴る。

一定のリズムを刻みながらゆっくりと

カツカツ
チャリン。

カツカツ
チャリン。

キイキイキコキコ
そこに私が漕ぐ三輪車の油が切れた音が重なって。

カツカツ
キイキコ
チャリンチャリン。


雨の日以外はほぼ毎日、祖母について散歩しながら公園へたどり着き、蓮華の花を摘んで髪飾りにしたり、四つ葉のクローバーを探して遊んでいた。

それを見ながら祖母はいつも、日本語ではない歌を唄っては、何かを唱えていた。



「ポョォニ チュムシプッシオ」


なんて言ったの?と聞くといつも

「いい言葉だよ。」と笑う。

「ポョォニ チュムシプッシオー ポョォニ チュムシプッシオー」

私が勝手に節をつけて歌うと
「大事な言葉だから、ハンメとの内緒の言葉ね。はい、指切り」
祖母はいつも自分の事を「ハンメ」と言っていた。

「うん!約束!ゆーびーきりげーんまーん・・・」
握りしめたまま石のように動かなくなった右手の小指を私が握って、
約束と歌と共に揺らす。

そんな毎日を過ごした幼少期。
私は祖母が大好きだった。
その頃理由は分からなかったが、同じ年頃の友達と遊べなかった。

いじめられて泣いて帰っても
近所の男の子にけしかけられた「ジャングルジムの一番高いところから飛び降りる勝負」に、ねん挫しながら勝った喜びを伝えても
ただ丸く柔らかな笑顔で迎えてくれた。



ある日

なぜか独りでその公園を目指してペダルを漕いでいた。

キイキイキコキコ
キイキイキコキコ

毎日、毎日、同じ道。
迷わない1本道。


公園に着いて、花を摘む。時々蜜を吸いながら。

「ギーッタンバーッコン」
「ギーッタンバーッコン」

つなぎ目が外れそうになった腐りかけた木のシーソーを行ったり来たり歩く。
ひび割れた古タイヤに金具が打ち付けられて、鈍い音を繰り返し奏でる。

少し周りを見渡し、誰もいない事を確認してから
ハンメがいつも座る石のベンチに腰掛けて

「ポョォニ チュムシプッシオー ポョォニ チュムシプッシオー」
風に揺れる桜の青青とした葉に呼びかけるように、唱えていた。


気が付くと
日が傾き始め、夕日が公園の木々を照らしていた。

私が行ったことのない
公園のその先の道から

のっそりと現れた知らないおじさんが笑顔で声をかけてきた。

「るみちゃん、お母さんが迎えにくるから、おじちゃんとお店で待ってようね。」

私の名前を知ってる人だ・・・
言われるままついていくと
私が行ったことのない、公園のその先に続く道には、「フジ」という古びた看板と黄色い回転灯があって

中に入ると
ふわりと香るコーヒーの匂いと
壁に染みついた煙草の匂いが混ざり合った空間にたどり着いた。

赤いベルベットのソファーに案内され、差し出された人工的な緑色のメロンソーダの液体が、炭酸水と混ざり切らず、グラスの中でぐにゃりと波打っていた。



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