無気力との付き合い方

「動くと電撃を浴びる箱にぶち込まれた犬はうごかなくなる」
「天井の高さ制限を設けられたバッタは、それ以上は飛べなくなる」
このように心理学の実験でも無気力というのは考えられているらしいです。

自己紹介をします。私は日々ゲームを作ったり、CGをいじくったり、はたまた全く趣味と関係のない文系学問に勤しんだりする学部大学生です。そのように行動の幅が広い上に、共に苦楽を共感する仲間も少ないため、比較的自分を律する必要が高く、自分の行動について考え、実践する機会が多い人間です。
このNoteでは、勉強や仕事、趣味、などの作業に対して無気力で仕方がない人のために書きます。

注意点として
➀ほぼ私の経験に基づく理論
一応心理学の勉強を多少してますけど、専門ではありません。ほぼほぼ経験則ですので、証明は出来てないです。悪しからず。
②内発的動機付けを重視した方法論
動画をみながら、カフェのようなやらざるを得ない環境下に身を置く、というような、『好きでもないことをなんとかしてやる』という方法論は私の主義に反するため考慮しません。あくまで自分と見つめ合い、作業の楽しさを感じれるようになるための考え方です。なので、どうしても短期的な効果は薄く、長期的に見たときに恩恵を得られる考え方です。
③無気力を消すよりも、付き合い方を考える理論
無気力というのは消えませんし、必ずしも悪いものでもありません。ただ苦しみから逃れたい、という人向きではありませんので、誤解のないように。

また、予備知識なしで見れるようにはしていますが、過去のNoteの理論をもとに作成しております。(参考:『やる気出したきゃ、とりあえず行動しろ』理論は不完全である。)こちらを見ていただいた方が、自分の考えが伝わるかと。


【前提➀】好きなことでも無気力にはなる

まず本題に入る前の大前提その➀です。

冒頭で犬やバッタの例を挙げたように、無気力というのはある程度メカニズムがあります。よく『やる気が出ない時点で才能がない』というような、まったくもって根拠がない大振り大ストライクをかます輩がいます。おそらく彼らはあまり作業というものを知らないのか、もしくは常に元気満タン超人間なのだろうと思います。

安心してください。どんなに好きなことでもやる気がでない状況はあります。逆に言うと『やる気がある!』という状態は「やる気がない状態」というのをもとに、相対的に生まれる概念ですので、上手くいかないことがあっても卑下する必要はありません




【前提②】自分と向き合うことなしに、根本的な解決はない

大前提その②です。この章は大部分の人間の否定と、日本社会の否定です。

特には、冒頭で申し上げた「好きでもないことをなんとかしてやる」方法論の否定です。この章に関しては、ほぼ私の思想なので、押し付けるものでもありませんし、一概に正しいものでもありません。適当に読み流してください。

もちろん、好きでもないことをどうにかしてやらないといけない状況はありますし、そういうときはその方法論でも問題ありません。

しかし、あなたが本当に好き・やりたいと思うことに対して無気力なときに、そのような方法論に頼るのは好ましくないでしょう。根拠をいかにまとめます。

➀外発的な動機はコストが高い・信頼性にかける
好きでもないことを無理くりやる方法論では、外発的な動機付けに頼る傾向があります。一概に悪いことではないのですが、考えてみれば分かるように、自分の気持ちではなく社会的な要因に頼るということは、昨今落ち着きがない不安定な社会にふりまわされるということです。
カフェでしか作業が出来ないのであれば、時間やお金というコストに日々追われることになりますし、カフェが潰れるリスクもあります。また、好きな人のために作業を頑張るというような動機で動いていれば、好きな人に裏切られたときに大きな損害を受けることになります。
また、内発的な動機で動く人に、外発的な動機を与えると、パフォーマンスが落ちるという研究もあります(アンダーマイニング効果)

②自分を見つめることはパフォーマンスをあげる
そのような、「無理くり体を動かす」方法論に頼れない時、人は自分を見つめる必要があります。「なぜこの作業をしたいのか」、「なぜ自分はしたいと思っているのにできないのか」というような問いかけをすることになると思います。
このような自省する習慣をすれば、パフォーマンスが上がることは心理学でも言われていることらしいです。(気になる方は自己理論とか自己概念で調べてください)
また、自省能力は計算能力やコミュ力なんかと並ぶ大事な能力だという研究もあります。(multiple intelligencesで調べてください)
自省をするということは自分を知るということで、当然過去のトラウマや自分の弱さを受け入れることもあるので、慣れないうちはとてもストレスです。教育相談の分野では、感情を上手く表現できない子供に対して「紙に感情を書かせて整理させる」というような方法が良く取られるっぽいので、最初はこれがおすすめです。私もよくやってます。

もちろん、魅力ある他人や社会的要因に依存することは一概に悪くありません。しかし、人口が一年で30万も減っていたり、急に外出自粛を求められたりと、最近の社会というのは我々の想像以上に不安定です。今後何が起きてもおかしくありません。最後の最後まで信頼できるのは自分だけです。




【本題】無気力との付き合い方

やっと本題です。
当然ですが、むやみやたらに動き回ると、下手したら逆に自己肯定を下げることに繋がりかねないので、センチメンタルなときは落ち着いて結果を焦らないことが大事です。

ここに関しては本当に私の経験則に依存します。自分が無気力なときの原因パターンと解決策をまとめますので参考にしてください。

ただし、前にもかいたように、小手先の技術ではなく自分と向き合うことを大切にしてくださいね。

➀情報過多・選択肢が多すぎ
ブラウザのタブを開きまくっているときは大抵これです。私は勝手に「自由研究は不自由理論」と呼んでいます。選択肢が多いと人は疑心暗鬼になり、行動するのが嫌になります。とにかく正解を得ることに焦っているときになりやすいですね。

対応策としては、無理やり情報を制限するブリンカー法(命名:私)がおすすめです。競走馬は集中するために、視界をブリンカーと呼ばれる道具で制限されます。
また、数学者として有名なデカルトさんは「方法序説」において、一から数学の理論を建て直すのに、何度も懐疑主義に陥った経験から、「一度決めたことは決して疑わない」と決めたそうです。参考になりそうですね。

②作業の全体像が見えない
長期のプロジェクトのような、完成像が見えないものは萎えがちですよね。➀と少し似てますが。
対策としては、細部よりも大まかな枠組みから入るジグソーパズル理論(命名:私)がおすすめです。絵を描く人だったらなじみがあると思いますが、顔のパーツのような細かいものよりも、抽象度の高い図形で当たりを取るというのが絵を描くときのセオリーだったりもします。

③行動した結果として自尊心が失われる可能性が高い
これもまた、➀・②と似てます。セットで考えた方がいいかもしれませんね。
教科書を読むのは気分がいいけど、実際に手を動かして書くのが苦手....という状態はこれです。自分の正確な実力を誤認知しているときに、起こります。


④学習性無気力
冒頭に紹介した犬やバッタのような状態です。心理学だとS-R説という行動を説明する理論に基づいていたりします。以前に似たようなNoteをかいているので見てください。
この問題の本質は、行動の結果として報酬が得られていないことです。私は作業というのは以下の二種類あると思っています。

(1)勉強、実験
成果よりも、探求を重視。長い目で見ないと効果を実感できない。
(2)プロジェクト
常に行動に対するリターンを追求している。

まずはあなたが取り組んでいる作業が、本来どちらにあるべきかを考えてみてください。テスト前の勉強のような、同じ作業でも、段階によって性質が異なる例もあります。細かく分解してみましょう。

(1)だろうが、(2)だろうが、長い間成果が得られないと人は無気力になりやすいです。成果というのは、達成感や驚き、発見といった作業に対する内発的な感情のことです。

行動計画を立てるときに、報酬を確実に得られるデザインをすることが大事です。

(1)であれば、最初は未知の概念を習得するような高リスク高リターンな作業よりも、知っている知識を人に紹介をするシミュレーションをしてみる、ブログにまとめる、というような、低リスク低リターンな作業で確実に報酬を得ることが大事です。一時間目が数学や理科よりも、学活やとかのが気分が乗るようなものですね。

(2)であれば、成果を確実に出せる部分と必ずしも出せない部分を区別して取り組むべきです。この分野は成功するか分からないけど挑戦する、この分野は既に習得済みの知識ばかりだかた確実に成功させる、というように切り分けて、一定間隔で報酬を得られるようにしましょう。

⑤脳疲労・飽き
寝ろ

⑥バイオリズム上、調子が悪いとき
調子が良い時があれば、相対的に調子が悪い時もあります。

以前メンタリストdaigoがYoutubeで言ってましたが(daigoさんの動画が多すぎてソースを探せませんでした....)、調子が悪い時は人は細部に注意を配る能力が上昇するそうです。つまり、調子が悪い状態というのは一概に悪いことではないので、さっさとその状態を受け入れて、「結果を出す」ことよりも、これまでの自分や色々なデータを参考にして、自分の進路を変えることを重視すべきです。
馬のブリンカーの例をとりだしますと、どうしようもなく不調なときは歩みをとめて、ブリンカーを外し、自分の進路の確認・修正を行うと良い、という考えです。


まとめ:実用性より陶冶

疲れました。頑張りました。我ながら結構良いまとめだと思っております。

また、また少し分野が別かもしれませんが、作業に調子が乗ってきたときに、そのリズムを大切にするという考えかもあります。それに関しては、25分1セット学習を繰り返すポモドーロテクニックというものがおすすめです。調べてみてください。

このように、人の行動というのはある程度心理学的なメカニズムがあります。しかし、大切なのはそういった知識や技術ではなく、より抽象的な精神だと思っています。

よく「数学なんて社会で使わない⇒勉強しなくても良い」という主張を見ますが、数学の意義というのは実用性だけでなく「陶冶的な目的」も大切にすべきだと、数学教育ではよく言われます。

どんなに勉強したところで、使う機会がなければ因数分解のやり方は忘れます。しかし、磨かれた精神・考え方・概念というのは抽象度が高いので、体に染みつき・長期にわたって残りやすいです。英単語は、ただ覚えるのではなく、音や雰囲気といった抽象的な物で覚えろって言われるのはこのためですね。

知識や技術は、自分や他人、社会を知るための道具でしかありません。大事なのはその道具を使って、自分と向き合うことだと、僕は思ってます。


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