掌編小説 じごく鍋
傍らに横たわる女の肌に頬を寄せる。卵色の毛布からはみだしたその肩先はひんやりしている。
「豆腐みたいだな。白くて柔らかくて」
「それじゃ、そっちはどじょうだね。ひげ、くすぐったい」
女は微かに笑って続ける。
「ねえ、どじょうと豆腐っていえばさ、じごく鍋って知ってる?」
「なにそれ」
女は目を閉じ、記憶を手繰り寄せるようにぽつぽつと説明する。鍋のなかに生きたままのどじょうと豆腐を入れて火にかける。熱さに耐えられなくなったどじょうが冷たい豆腐のなかにもぐる。一緒に煮えたらできあがり。どじょうにとっては、じごくの鍋。
「え、どじょう? 食べるの?」
どじょうなんて、ひさしく見ていなかった。たしか保育園に通っていた頃、下の組の子が「田んぼの脇でとれた」と園にもってきた日があった。洗面器ほどの大きさをした、くすんだ黄色のプラスチック桶に入れて。中をのぞきこむと、揺れて光を返す水面の奥に、ぬらぬらとした泥まじりの紐のようなものが、いくつもすばしこく動いていた。そんなに細くて長い魚は初めてだった。まるく見開いた目と放射状に生えた長いひげに、どことなく愛嬌を感じたことを覚えている。
「なんだか、かわいそうな気がする」
「うーん、その食べ方がねえ。でも、都市伝説みたいなものなんだって。肉食を禁じられている僧侶のための鍋だとか、どじょうをうまく持ち帰るためのとんち話だとか、色々とそれらしい話はあるみたいだけど。実際には、どじょうは豆腐の中には入らないらしいよ。少なくとも、普通の調理方法ではね」
ほら。実験している人もたくさんいるのよ。女は枕元のスマートフォンを少し触り、画面をこちらに差し出す。確かにそのようなブログや動画があり、この鍋を再現しようと試みた人が少なくないことに驚く。あらかじめ豆腐に穴を開けるなど、温度や環境を様々に工夫して。特別うまそうにも思えないのに、何がそんなに人をひきつけるのか。
「どじょう、食べるんだな」
「うん。『柳川』っていうのも時々聞く。ごぼうのささがきなんかと一緒に卵でとじるの。味、どうなんだろう。うなぎとか、穴子とかに近いのかなあ。ちょっと食べてみたいような」
楽しそうに語る女の唇は、化粧もしていないのに赤い。
「――ぼくのことも、食べる?」
「やあね。わたしが豆腐なら、一緒に食べられる側でしょ」
食べるのは誰か。鍋を前に箸をもつ手の主を思い描く。ひとりの男の姿がしだいに大きくなっていく。女の夫で、ぼくの友人。彼に咀嚼され、女と混じりあい、じごくに堕ちる。かえって救われるだろうか。
記憶のなかのどじょうに思いを馳せる。あれは、あのあとどうなったんだろう。もといた場所に帰れたのだろうか。それとも。
豆腐になるなら、どうせなら絹がいいな。女の、邪気のない声が、そこらをふわふわと漂っている。
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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。
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