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掌編小説 白い皿

白い皿がある。とんとん、軽く皿の縁を指で叩いて合図すると、何でも食べたいものが出てくる素敵な皿だ。それと知らず、毎月行く骨董市で偶然手に入れた。見たことのない店の前で、なんとなく目が留まって、引き寄せられた。

どこの焼物だろう。土の質感を残して、乳白色の釉薬がやわらかな光を返している。形も大きさもパスタ皿のような感じだ。へりが数センチ立ち上がって、ちょっとした汁物も受けとめるつくりとなっている。特に凝った柄や細工はないが、かえって飽きずに使えそうだ。
「いい買い物だよ。でも使いすぎないで」
黒ずくめでどこか魔女めいたおばあさんが、皿を手渡しながらウインクした。

普通は「たくさん使ってね」じゃないだろうかと思ったが、使いはじめると納得した。つい、使いたくなってしまうのだ。食べたいものが、即座に現れる。初めての時、半信半疑ながらも、お腹を鳴らして、皿の縁を叩いた。すると、瞬きするかしないかの間に、ふわふわの黄色い卵にくるまれたオムライスが湯気とともに現れた。ごはんはベーコンや玉ねぎのうまみでふっくらしている。ケチャップも、普段自分が使っているものとは違い、トマトの甘さがぎゅっと詰まっていて、舌から体じゅうにしみわたるようだった。腹が温まると気持ちも温まり、「わあ、いい買い物だった」と、皿を手に取って横からも裏からもしみじみ眺めた。

和洋中にエスニック、食事だけではなくデザートも。高級レストランの味、地球の裏側の料理。「食べたいもの」というよりは「食べてみたいもの」への好奇心が強くなり、毎食のように皿を使い、いっぱしのグルメを気取った。食欲がふくらむにつれて、体の方もむくむくとふくらんでいった。

皿は、自分の秘密のとっておきだった。それでも誰かに言いたい気持ちが募り、友人を何人も招いて、自宅の庭でちょっとしたパーティーを開いた。
「食べたいもの、何でも言って」
有名店のステーキ、一見さんお断りの料亭の懐石コース、行列ができるカフェのケーキ。どんどん声が上がった。皿に合図する。とんとん。あれ、もう一度。とんとん。おかしいな。何度でも試す。いつもは望む料理がすぐに食べごろの温度であらわれるのに、皿の上はしんとしたままだ。場もしんとして、皿に、わたしに、視線が集まる。
「今日は、調子悪いみたい。ごめん」
みんな一瞬、がっかりしたような、やっぱりとでもいうような表情を浮かべたが、「ケータリングしたらいいじゃない」との声で、皿の一件はおしまいになった。そのあと誰も話題にしないことが、かえって恥ずかしさを募らせた。

ひとりになってから、どうしてもあきらめられなかったわたしは再び皿を前にした。とんとん。とんとん。出た。出るじゃないか。でも、りんごがひとつ。わたし、食べたいなんて思っていない。こんなもの、いらない。庭に放った。息荒く放ったあと、握りしめたこぶしが目に入った。肉づきがよくなったせいで、まるくて、なんだか迫力がなかった。かんしゃくを起こして皿も放った。皿はブロック塀に当たると、皿らしい音を立てて割れた。われに返って、破片を拾い集めた。全部継いでみたものの、皿は復活しなかった。

その後、皿を買った店に相談してみようと、何度も骨董市を訪れてみた。だが、見つけられなかった。常連の店主たちも「そんな店は記憶にない」と言った。途方に暮れたが、仕方ないので、徐々に元の生活に戻っていった。食べたいものがあれば自分で作った。おいしいものをもっとおいしく食べられるように運動に精を出した。何年か経って、体調は皿に出会う前よりもよくなった気がした。

ある朝、ランニングを終えて縁側に腰かけると、何かが視界に飛び込んできた。よく見ると、いつか放ったりんごが育って実っていた。歩いていって実をもぐと、かすかに甘い香りが立った。小ぶりながら、赤い皮に艶もある。手のひらにずっしり重みを感じた。洗ってかじった。酸味のある果汁があふれて、わたしのなかを洗い流していく。もう皿は必要ない。だけど、やっぱりちょっと、もったいなかった。

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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


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