最近の記事

登山がしたい

連携しているTwitterを消したので、ここもすっかり消えてしまったと思っていた。 残っていて驚いた。 今年も5月がやってきて、そういえばと思い出して探したら残っていた。嬉しい。 元気です、とっても。 元気だとかいてしまえば、元気なので。 文面というものはそういう風にできています! と、含みがあるように書いてしまいましたが、その実ほんとうに元気です! 誰へ向けて書いているわけでもないのに、こんな感じの文章をかいているのはなかなか、なかなかだなあ…………と思う訳ですが、

    • シャワーの匂い

      気がついたら5月になっていた。 ここの存在も忘れていたけど、グダグダとメモ帳にお気持ちを綴っていたら、ふと思い出した。 5月はせかいが不安定なのだと思う。安定して不安定な気がする。でも、5月はせかいがいい感じだ、とも思う。だから私は5月が好きなのだと思う。 誰に向けて書いているわけでも、自己開示をしているつもりでもないけれど、(結果的にどうしようもなく自己開示である)コソコソネチネチ掃き溜めのような文章を放り投げる3年目の5月。 最近は生きていることに心地良さを感じる。

      • 校舎裏の魔物

        夏の雷が鳴った。この雷をきくとそれだけでドキドキしてしまう。ワクワクのほうの、ドキドキだ。 あいにく私は雷が怖いタイプの人間ではないので、怖くてドキドキするという訳では無い。そして、雷が落ちるんじゃないか、とか大雨になるんじゃないか、とかいうワクワクでもない。 夏の雷によるドキドキは紛れもなく小学生の時に感じた非日常へのワクワクによるドキドキの後遺症だ。 下校時間に校内放送がなる。 全校児童が薄暗い多目的ホールに集められる。窓を殴る雨。昼の暑さとのギャップ。怖がるこの声。

        • エチオピア

          心のどこかで、きっと、絶対的なそれ(しあわせとか、あこがれとか)の代名詞がみんなにみんなある気がする。 しあわせを、「しあわせ」という言葉を使わずに表現しろと言われた時に必ずこういう風にかいてしまうんだろうな、みたいな。自分の中でのしあわせとかあこがれの比喩みたいなものがある。好きなワード、フレーズとも言える。あれ、私いつもこの言葉つかってんな、とか、めちゃくちゃある。 それは無意識に絶対的で、ある意味呪いだ。「呪い」という言葉も多用する言葉のひとつで恥ずかしい。そのまま

        登山がしたい

          昨日の夢を覚えてる

          ほんとうは私は、スーパーのBGMみたいな人間になりたいんだ。これは酷く狭い表現だ。 言語化してしまうと感情が確定されてしまう。正の感情も、負の感情も。だから本当は言語化なんてしたくないのに、私は全てを言語化したいタイプの人間として生まれてしまった。よくもわるくも。 でも一方で、私は言葉にできない、言葉にしたくないもの/ことのことも信じている。ほんとうにほんとうに大事で、大切で、忘れられない感情って言葉にできないししたくないのかもしれない。 散歩をした。路地の向こう側の明

          昨日の夢を覚えてる

          まどを開けた

          MacBookのうえでクモを殺した。 別に偽善とか可哀想とかそういう心ではなく、シンプルに虫を殺すのが嫌なので、いつもはティッシュでつかんで外へ逃がしている。けど、何故か今回は殺してしまった。銀色のMacBookの上で。 知らない街の匂いが好きだ。パンがやける匂い、洗濯物の匂い。どこでだって嗅げるし、きっと嗅いだことのある匂いなのに、初めて嗅ぐ匂いに感じる。 匂いの記憶というのはなんだか不思議だ。弱いようで、強い記憶だ。私は夏の夕暮れに、誰かの家から匂ってくるシャワーの匂

          まどを開けた

          おや指のつけね

          5月がここに合いすぎている。 5月の思考博覧会。 1年って早いようで遅い。短いようで、長い。 世界はめまぐるしい。今、現実味のない現実を生きている。テレビのニュースをみても、ネットのニュースをみても、どこか別世界の話のような錯覚をおこす。 私は結構元気に生きてる。 今、全ての人間関係がオンラインと化していてなんだか面白いなあ、と思う。InstagramもTwitterも、LINEも知らない友達(今の時代なかなかいないけど)の安否は一切わからないし、繋がっていても連絡を取

          おや指のつけね

          5月のかさぶた

          ふと思い立って、お風呂上がりに髪を乾かすのもそこそこに(もちろんすっぴんで)、スーパーへでかけた。これは一昨日の出来事だ。 この日は本当に本当に暑くて、日中は1歩も外へでなかった。夜になって涼しくなったかな、と思ったけど、全くそんなことは無かった。全身をこうヌルッとした風が撫で付けるというか。熱帯夜なのかなこれは。 私は酷く不安だった。なぜか外へ出たら訳の分からない不安に駆られた。家からスーパーまでの間に踏切がある。ちょうど電車が通った。いつもならそんなことないのに、この

          5月のかさぶた

          魚の小骨

          風邪をひいた。きっとこれは、風邪である。 思考が多くなると、良くない時もある。どんどんその渦に飲み込まれて、底へ底へと沈んでいく。自分の意識が。 悪いことばかり考えてしまうし、嫌な方へ嫌な方へと自分を持って行ってしまう。 きっとそれは、私だけではないのだと思う。と、思うことにしている。身体の調子が悪いと、思考の調子も悪くなる。こういう時は、あまり人と接したくない。些細なことで怒ってしまいそうになるし、そんな私に自己嫌悪する。 あっ、まって、白いいぬ、めちゃくちゃかわい

          魚の小骨

          なんとなく、このコンテンツのことは知っていたし、興味もあった。でも、なんとなくやってなかった。でも、なんとなくはじめた。 昨日の夜、地元の、蔦屋に行った。別に特段思い入れもないし、なんの変哲も無い蔦屋。 そこでトイレに行った。その時かかっていた曲は、名前も知らないアーティストの、名前も知らない、聞いたことも無い曲。(なんて月並みな曲なのだろうか)なのに、なぜだか物凄く懐かしくなってしまって、どうしようも無くなって、ちょっと泣いた。 きっとこれは、昨日書くべきだったのだと