昨日の夢を覚えてる

ほんとうは私は、スーパーのBGMみたいな人間になりたいんだ。これは酷く狭い表現だ。

言語化してしまうと感情が確定されてしまう。正の感情も、負の感情も。だから本当は言語化なんてしたくないのに、私は全てを言語化したいタイプの人間として生まれてしまった。よくもわるくも。

でも一方で、私は言葉にできない、言葉にしたくないもの/ことのことも信じている。ほんとうにほんとうに大事で、大切で、忘れられない感情って言葉にできないししたくないのかもしれない。


散歩をした。路地の向こう側の明るい世界におばさんがいる。そこはきっと店の裏手で、おばさんはタオルを干している。
どきどきした。別に悪いことをしてる訳でもないのに。覗き見と言えるほど長い時間みてたわけでもないのに。

逆上がりがしたい。公園で。小学生のとき、逆上がりができなかった。みんなはできるのに私はできなかった。まあ別にそれでよかった。死なないし。他のことできるし。居残りさせられるわけでも、できるまでやらされるわけでもなかった。だからべつにいい。とおもいながらも、近所の公園でこっそり練習した。結局ずっとできないままだった。
高校生くらいになって、逆上がりをしてみたら、案外スルッとできてしまった。

夜遅くに家に帰った。冷蔵庫に炭酸水がはいっていたので、のんだ。酷く喉が渇いていたので、冷蔵庫を閉める間もなく飲んだ。でも炭酸がつよくて喉を潤す程飲むことは出来なかった。冷蔵庫の怪しい光をただただ眺める、喉の痛さ、冷気、じんわりと汗。

誰も私を知らない街に行きたい、と思う時があるが、そもそも私を知ってる人なんてひとりもいない。私のことは私しか知らない。その方がいいし、それでいい。それがいい。みんながみんなそうだ。私はみんなを知らない。

私は本当はなんにも考えていない。
犬がかわいいことしかわからない。
せかいはひろいし、せけんはせまい。そんなことしかわからない。

これはノンフィクションでありフィクションである。真偽などなく、それが全てなのかもしれない。

2020.5.17

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