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夏囃子のタクト
仕事が終わると勢いよく職場を飛び出しました。まだ17時前。外はまだ明るくて暑いくらいです。出勤時に来ていた上着をクルクル丸めてリュックにギュッと押し込みます。少し重たくなったリュックをグルンッと背中に放って腕を通すと、小走りで坂道を降りて行きます。今日は近所の神社で夏祭りがあるのです。
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夕飯はパスタにします。晩ご飯にパスタは本当は好きではありません。おかわりが出来なくてお腹が空いちゃうから。でも今日はそれがいいのです。屋台の食べ物はちょっぴり高いね。
スーパーの自動ドアをくぐります。いつもは野菜コーナー側の入り口から入るけれど、今日はお反対の入り口から惣菜コーナーを突っ切ってお酒コーナーをとりあえず素通りし、その先にあるハム・ベーコンコーナーから厚切りのすでに切ってあるベーコンを引っ掴んでくるっと華麗にターン、お酒コーナーで頭を悩ませているカップルの傍からニュルっと手を伸ばしてノンアル白ワインをかっさらってレジへ到着。わずか1分弱。新記録樹立。
お祭りって響きだけでワクワクしてしまいます。夏祭りですって。5月なのに。いえ、5月なのがいいのです。8月のど真ん中なんかに夏を想うと、「あちー、早く秋きておくれー」モードになってしまうけれど、5月の今の私が想う夏はとびっきりキラキラしていてアオハルの結晶のような純度100%のブリリアントカット。旧暦に感謝。
厚切りベーコンとノンアルワイン(私たち夫婦は下戸です)をリュックに放り込みます。さらにちょっとだけ重たくなったリュックですが、そんなもので私の足は遅くなりません。昨日特売で買ったズッキーニ。それを輪切りにしてほくほくに焼いてオイルベースのパスタに飾りつけるシミュレーションまでもう終わっています。そうだ粉チーズもたっぷり振りかけよう。
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家についてシミュレーション通りパスタを作り(ちょっぴり塩っけが足りなかった。ベーコンと粉チーズ、どうやらあなたたちには期待しすぎたようね)いつもはすぐ始めない洗い物も口の中をモグモグ言わせながらスタートします。パスタで良かった。洗い物が少なくて助かります。
食事中期待して窓を開けていたのですが、お囃子は聞こえて来ませんでした。
私の理想の「お祭り」は、まず家の外からお囃子や太鼓の音が飛び込んできて、それに釣られるようにして外へ出て、日の暮れかかる道をその音目指して歩いていると、だんだんと同じ方へ歩く人が増えて来て、浴衣のカップルなんかも見えて、そして音が大きくなったところで遠くに橙色の灯りが見える。そんな感じ。
ところが第一フェーズのお囃子が聞こえて来ないのだから、もう仕方ありません。こちらから向かってあげるとしましょう。
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それは本当にお祭りでした。夏祭りでした。神社についてもお囃子は聞こえませんでしたが、代わりに演歌がスピーカーから流れていました。小さな舞台でそれに合わせて踊る着物姿の高齢の女性はとても素敵で様になっていました。
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細い参道の両脇に屋台が出ていて、イカ焼きやお好み焼きなんかの香ばしい湯気にむせ返りそうです。通路には帰りの満員電車よりも人が溢れていて、さらにあっちへこっちへ行こうとするものだからこれまた大変。半袖で家を飛び出した時は少し後悔したけれど、今ではもう人という人から立ち昇る熱気に汗をかいています。
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ひと通り屋台を物色したところで妻はあんず飴を買うことに決めたようです。私もなんだかあの宝石みたいな塊を口いっぱいに頬張りたい気分です。
一度境内を出て遠回りして入り口方面へ歩くことにしました。あれだけ楽しみにしていたのに、2人してすっかり人混みにやられてしまいました。
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東京の入り組んだ住宅街にポツンとあるこの神社は、日々の生活動線だけでは絶対に気づけないでしょう。3階建ての狭小住宅に囲まれて、たまたまそこに迷い込みでもしない限り、こんなところに神社があるとは思いもしません。
気づけばすっかり日は落ちていて、そのギュウギュウにそびえ立つ狭小住宅の隙間からはお祭りの灯りがチラチラとのぞいています。私たちはそれを横目に見ながら、お祭りの喧騒が滲む裏通りを歩きます。
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ふと、頭の中に言葉が浮かんで来ます。めっきらもっきら。めっきらもっきらどおんどん。昔好きだった絵本に出て来た言葉です。話の内容や不思議な言葉の意味は忘れてしまいました。あれ、えっちらおっちら、だったかも。
めっきらもっきらどおんどん。めっきらもっきらどおんどん。なんだか気に入ってしまって頭の中で何度も転がしていると、突然、お囃子は鳴り始めました。ピーヒャラ、ピーヒャラ、トントントン。ピーヒャラ、ピーヒャラ、トントントン。
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ああ、夏が来るね。そんなふうに言葉ではなく、感覚で全身がザワザワっと痺れるような嬉しい予感が身体中を走り回ります。隣を歩く妻も無邪気な笑顔を浮かべています。
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宝石を2つ買いました。300円払ってお馴染みのパチンコのようなゲームをしましたが、残念。2人とも1本だけ。隣で見てた男の子に一本あげたいような気分だったのに。
妻は真っ赤なあんずを、私は真っ青なパイナップルを。そういえば、あんずの「あんず飴」を食べたことってあったっけ。
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神社から離れて家が近づいてもお囃子の音は追いかけてきます。ピーヒャラ、ピーヒャラ。トントントン。
口の中にベタっとしたブルーの宝石を押し込んで、ネチャネチャと味わいます。うーん、甘ったるくて、おいしい。
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あっという間に食べてしまって、残った割り箸。先端にはサファイアのようで身体に悪そうな青色がベタベタとついています。
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私はそれをつまんで、「イッチニッサーンシ」と四拍子を刻みます。
イッチニッサーンシ、イッチニッサーンシ、ピーヒャラ、ピーヒャラ、トントントン。めっきらもっきらどおんどん。
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妻が隣でバカにしたように笑っています。
道端の空き地の茂みの中では夏の虫が鳴いていました。
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