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本、映画、ロックダウン(3)

3日目。ロックダウンに入ってから初めての週末だったけど、いつもと変わらずに図書館へ行って勉強をした。俺の住むFalmouthは本来イギリス中からたくさんの観光客が詰めかけるリゾート地であり、週末の大通りは結構な賑わいを見せるのだけれど、今日の街は本当に静かだった(時期的にローシーズンだということを加味しても)。先日書いたように、他の地域と比べると感染者数は少なく、ロックダウンの影響を肌で感じるようなことはなかったのだけれど、今日やっと本当の意味で、ああ自分は非常事態の中にいるのだなと理解した。いつもは交通情報が表示されている街の掲示板にはSTAY HOME ESSENTIAL TRAVEL ONLYという文字が。

粗忽長屋

この動画で、太田光と伊集院光が立川談志による粗忽長屋が凄いという話をしていたので、実際に見た。そういえば春先は柳家小三治の粗忽長屋を聴きながら徹夜で大学の課題を仕上げていたなあ、と思い出してこっちも改めて聞いてみたんですが、俺はやっぱり小三治のとっぽい落語が好きだなあと再確認しました。俺の好きな中尾彬の名言に「美味さを語れば野暮になる」というのがあって、これは料理だけでなく何についても言えると思うので、小三治の落語のどこが良いのか事細かく語るつもりはないけれど、ああ昔の江戸っ子はきっとこんな感じの話し方をしたのだろうなあというのが感じられるところが、俺にとっては小三治の一番の魅力です。

伊集院光の凄さ

とまあ粗忽長屋の話はここまでで、俺が本当に話したいのは、談志の粗忽長屋を語る伊集院光、もっと正確に言うと伊集院光とそのバランス感覚の凄さ。動画を見てもらえば分かるんだけど、太田光が談志の粗忽長屋がいかに哲学的であるかを語るのに「要するにデカルト、「我思う故に我在り」みたいなところまで表現するのよ談志師匠は」と言うと、伊集院光は「面白いうえに、ちょっとオエッてなる」という表現で太田に同意する。俺はこの一言に伊集院光の真髄を見た、多分(この多分は「今から書くことは俺の勝手な推測だから話半分で聞いて下さい」って意味の多分です)。

サルトル『嘔吐』

太田の発言を聞いて、おそらく伊集院は頭の中でサルトルの『嘔吐』を思い浮かべたのだ。しかしここでは太田がすでにデカルトという哲学者の名前を挙げている、そしてほぼ間違いなく、ここで「サルトルの『嘔吐』」と発言しても、ほとんどの視聴者には理解されない(そもそもデカルトが通じているかも怪しい)。よって「ちょっとオエッてなる」という一言で視聴者に「哲学的な問いを考え始めると怖くなって気分悪くなるよね」というメッセージを発信したのだ(繰り返すけどこれは俺の勝手な推測でしかない)。なんと普遍的で、シンプルで、分かりやすい一言だろう、しかも太田の発言のあと、伊集院は間髪入れずにこの言葉を発している。凄すぎません?

Knock Down the Houseレボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-

図書館から帰ってきた後、夕食を摂りながら『Knock Down the House(邦題:レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-)』を観た。Alexandria Ocasio-Cortezをはじめ、大口の献金元を持たず、草の根運動でestablishmentに挑む女性たちの話。90分以下で見れるので是非観て欲しい。彼女が映画の中で言った「もはや右対左ではなく上対下」という言葉は良くも悪くも今の選挙を表しているなと思った。

大統領選

やっと大統領選が終わった(厳密には公式発表はまだ)。隠すことはない、俺は特にバイデンを支持しているわけではないけれど、トランプは論外だとずっと言い続けてきたので、結果にはハッピーである。4年続いた悪夢からやっと解き放たれたアメリカ人の友達には心の底からおめでとうを言いたい。そしてガラスの天井がまた一つ破られたことは本当に喜ばしい。

が、未曾有の公衆衛生の危機にこれだけマズい対応をし続けたトランプの再選を願った人間がこうも多く、そして日本では話にならないほど質の低い陰謀論が吹き荒れていたのを考えると、まあそこまで祝勝ムードに浸ることはできない。

第一次世界大戦終結後間もなく、詩人ポール・ヴァレリーはテュービンゲン大学における講演で言った。

「諸君、嵐は終わった。にもかかわらず、われわれは、あたかも嵐が起ころうとしている矢先のように、不安である。」

トランプという嵐は終わった。にもかかわらず、他の人はどう思っているか知らないが、私は、あたかも嵐が起ころうとしている矢先のように、不安である。

おしまい

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