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ミシュランへの道 やきとりや人生

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ミシュランへの道 やきとりや人生22

甥からの暴言の仕打ちは、◯さんには非常に効きすぎる過ぎるくらい効き過ぎた。逢うたびに 「なんで?こんなことになったのか?」と いつも嘆いていた。そりゃそうだろう。同情するしかなかった。 期待のホープの甥にここまで酷い仕打をされたら、誰だってノイローゼにもなるだろう。そんな中、 からだの調子も悪くなる一方で改善の余地がない。 食事たびにインシュリンも欠かさず、食べたいものが制限されていた。 グルメの◯さんには、厳しい日々が続いていた。 それでも体重は減らず、100キロ以上の

ミシュランへの道 やきとりや人生21

甥は反省したのか?しないのか?わからないがしばらくは落ち着いたようだ。Oさんによれば、松戸のMマネージャーにそそのかされて、たまたまやってしまった?そうだ? 〇さんは、まるで甥が被害者であるかのような認識だった。勝手に店の食材、酒を飲み食いして宴会したのは、すべて松戸のMマネージャーが悪かったのだ。そういう結論だった。 それはムリヤリ自分を肯定するしかなかった。もう後戻りできない追い詰められた状況だったのだ。 フロアマネージャーになった甥はレジを任されていた。当然会計の

ミシュランへの道 やきとりや人生20

Oさんに会うたびに、弟の愚痴ばかり聞かされていた。誰にも言えない家庭内の問題。一人で問題を抱え込むとノイローゼになる。 社会情勢の話もしたが、ほとんどは北海道の弟の悪行の話ばかりだった。同じことを何度も繰り返すオウム返しのOさんは 「認知症?」 疑ったこともある。 それほど実家の様子が気になっていた。毎月北海道に帰って実家の様子を妹に聞いたり、親戚にあったりしていた。 しかし、自分が話したことを何度も言う人って?うっかり忘れているのだろうか?ついさっき話したこと、数日前

ミシュランへの道 やきとりや人生19

Oさんと弟の溝はさらに深まり、もはや修正不可能だった。Oさんは幼い頃の話をした。いつも人気の的であったOさんは、兄弟の自慢の兄だった。 地元スーパーのモデルになったことがある。当時、弟はそのモデルになった兄の広告を友人たちに見せびらかしたという。 それだけ昔から仲が良かった。トラブルやけんかや一切なく、ごく普通の仲の良い兄弟として一つ屋根の下暮らしていた。 時とともにお互いの生活になり、離れ離れに生活していると、いいことも悪いことも、誰かの責任にしたがるものだ。 弟は

ミシュランへの道 やきとりや人生18

弟は、高齢両親の離婚を企み実行した。その結果、小さな街では珍事となり、ウワサになった。Oさんの母は認知症の初期段階だった。 弟にそそのかされて、離婚届にハンコを押してしまった。まさに実弟の意のままだった。都合いいように弟は母を手なずけた。 高齢になると誰か一緒にいないと不安になるという、心理を利用したのだ。 長年、仲の良かった両親の縁を切り裂き、ただ財産目当てで母親を支配した。さらに母親にもDV 暴力をふるい、金をむしり取っていくようになった。 ある日、郵便局から電話

ミシュランへの道 やきとりや人生17

◯さんの大成功を地元では、不思議に思っていた。 「たかが焼き鳥だろ?」 「新宿で焼き鳥?」 「どうせ安い焼き鳥とお酒を出す店だろ?」 「どうせ失敗するのに決まっている」 「一串500円?」 「焼き鳥屋で新宿で成功するなんて、あり得ない」と 嫉妬とねたみで親戚がウワサしていた。 Oさんは、北海道美〇市という地元に住民票を置いていたので、確定申告の際、納税額がケタ違いで田舎の税務署をビックリさせた。市でもトップ3に入る高額納税者だった。 なぜ?都民じゃなかったのか?それは地元

ミシュランへの道 やきとりや人生16

ミシュラン受賞後、前年比の倍の売り上げで経営状態は順風満帆だった。経営に長けていたというか、Oさんは事業経営に向いていた。 〇〇大学では経営学を専攻していたわけでもなく、ただただ熱意と努力の結果だった。成功したコツとは?誠意とセンスらしい? さらにすごいのは、開業以来赤字を出したことがなかった。そしてOさんのライフスタイルも、どこかのセレブ?のように変化していった。 住居も店の繁盛と同時にエスカレートしていった。代々木時代の当初は新宿御苑の見える上層階のマンションだった

ミシュランへの道 やきとりや人生15

あれから、ミシュランの電話があってから数か月が過ぎた。その間にもミシュラン関係者が来店したのか?していないのか? わからないが、実際に連絡があるまで、期待と緊張そわそわした落ち着かない興奮がつづく毎日だった。この時期のOさんは、会うといつもミシュランの話をしていた。 うれしさと期待が交差していた。 「もし落選したらどうしよう?」 という不安があった。だからこの時期は店のスタッフ全員に、 「どんなお客さまにもそそうがないように・・・」 と以前よりも強く言っていた。 そして

ミシュランへの道 やきとりや人生14

開業して6年目になると、口コミや食べログなどで評判になり、そんなウワサを聞きつけた外人さんや、日本全国から、さまざまなお客さんが来店するようになった。 その中にはミシュラン関係者もいた。ミシュランとは、評判いいのお店やグルメ店を紹介する世界一有名な情報誌だ。 ミシュラン関係者が来店した理由は、〇〇〇がオリジナリティに溢れたメニューで、お店のコンセプトや雰囲気が、ミシュランが評価すべき対象にあると言う基準があり、〇〇〇に目にとまったのだ。 ミシュラン関係者は一般客に紛れ、

ミシュランへの道 やきとりや人生13

いくつものトラブルを乗り越えてきた。お店の経営が順調にいっていたので、どこか?2号店を出そうと考えていた。そしてこの話に乗ってきたのが、生活保護の保証人になっている、おばさんの息子だった。 自分より年下のいとこだった。昔は家を行き来して遊んだりして楽しい経験がある。ホス狂になるくらいのおばさんの素質を持つ体質なので、いとこもおばさん遺伝子を持っていた!? いとこが考えたのは、焼き鳥と高級ワインを組み合わせたお店というコンセプトだった。 それも銀座!?銀座はバーやクラブ、

ミシュランへの道 やきとりや人生12

当時はアルバイト、社員の出入りが激しかった。時給がよかったので、応募に「明日来ます」というものの、時間がたってもまったく来ないというバックレがしょっちゅうあった。だから毎日面接の日々で〇さんは忙しかった。 自分はベテラン??という触れ込みで、一方的な条件を言ってくる人や「有名店で修業してきたからなんでもできます!?」と言う人がいて、実際に焼きをやらせると、まったくのド素人でただの料理が趣味の人!?だったことも。 当時の板長には、40万円という給料を払っていた。主役だからこ

ミシュランへの道 やきとりや人生11

西新宿本店に移転してお店は順調に滑り出した。しかし頭痛のタネが一つ二つ・・・人を雇うというのは、簡単にはいかないものだ。 機械じゃないし、意志があるし、生活があるので、めんどくさいイロイロな個性を持っている。◯さんの言うことを、素直に受けてテキパキ動く人がいなくなった。 社会経験のない学生であればなんとか、社会に厳しいOさんの叱咤激励にもめげず、反発せず「ハイ」と言うのだが、社会を経験している社会人や特ア留学生は、なかなかうまくいかない。 言えば反発されることもしょっち

ミシュランへの道 やきとりや人生10

ネットシステムを取り入れ、自宅でのんびり監視カメラで店内を見てスタッフの動きを監視した。店内でなにか気になることがあると、すぐ店に電話した。スタッフの動きが鈍いと、電話でダメ押しした。監視することで店の動きを見て、バックヤード的の役割をしていた。 やがて西新宿で安定してくると、さまざまな営業が毎日出入りしていた。そしてとうとう、ある事件が発生した。 それはごくふつうの営業日だった。数人の会社帰り風?の男女数人のお客が来店した。ごく普通に飲んで食べて、飲食を済ませ、ふつうに

ミシュランへの道 やきとりや人生9

新店舗を探しに新宿を中心に探した。なぜ新宿なのか?それは人口数と居住数が一番比例する場所だからだ。慣れ親しんだ場所ということもあった。 商売するうえで、場所は一番重要だ。自分がその場所に愛着を持つか?持たないか?で結果が現れる。 そこで西新宿を目をつけた。なぜここ?この場所は再開発のうわさがあり、10年後には区画整理されるらしい?という話を小耳にはさんだからだ。 都の再開発ともなれば、撤去に伴う費用も多額になるので、事業資金になる。この可能性に期待した。彼はここに未来の