ミシュランへの道 やきとりや人生17

◯さんの大成功を地元では、不思議に思っていた。
「たかが焼き鳥だろ?」
「新宿で焼き鳥?」
「どうせ安い焼き鳥とお酒を出す店だろ?」
「どうせ失敗するのに決まっている」
「一串500円?」
「焼き鳥屋で新宿で成功するなんて、あり得ない」と
嫉妬とねたみで親戚がウワサしていた。


Oさんは、北海道美〇市という地元に住民票を置いていたので、確定申告の際、納税額がケタ違いで田舎の税務署をビックリさせた。市でもトップ3に入る高額納税者だった。


なぜ?都民じゃなかったのか?それは地元に貢献したいという強い気持ちがあったのだ。そういう田舎への想いがあった。どうせ税務署に税金でむしり取られるのだからと田舎に置いていた。


そして、親孝行ツアーを企画した。母と妹を旅行に招待して、新幹線で博多に行ってグルメツアーを観光した。


〇さんの親は、広い畑を持つ農民だった。毎日働き続けるという当たり前の親だった。贅沢を一度もせず、ただただ働くだけのそんな人生だった。だから、地元から離れたことがなく、旅行などめったにできなかった。実家を離れて東京で30年近く暮らし、そんな懺悔もあるのだろう?そんな親への感謝も含めた親孝行ツアーだった。


ただこの前後から、実弟とのトラブルで話がかみ合わず悩んでいた。弟は本家の財産と親の財産を独り占めにしようと企んでいた。この弟に関して、私は何度も何度も聞いていた。弟は無職で、親の年金を横取りして暮らしていた。


実家に同居しているという理由で、親の財産を「自分の所有物」としていた。Oさんは長男だが、東京に出てきてからと言うもの、30年近く実家には定着していない。


以前、弟が実家の跡継ぎするという事で、子どもを連れて、のこのこと実家に舞い戻って来た。「土地を耕して農作物を作り、父の手伝いをする」という名目だった。


Oさんはお店が順調だったので、親への仕送りをしていた。両親の面倒を見る という約束で毎月社員と同じ給料を弟にも振り込んでいた。しかしこの生活費が全部弟に取られていた。


実家住まいなので、家賃もない、だからいろいろ遊ぶことができた。毎日、なにもすることのないので、弟は毎日パチンコ屋に出かけていた。パチンコ屋に入り浸り、戦績により帰る時間はまちまちだった。近所では有名な遊び人だった。


夜は地元スナックに行く、というルーティーンを過ごしていた。この頃は、両親も実家に生活していた。しかし弟と父は馬が合わなかった。弟は父に虐待を始めたのもこの頃からだ。


風呂場に小柄な父を連れ出し、張ってある水に父の頭を力ずくで沈めたり殺人未遂!、蹴ったり、殴ったりした。日常的に親に暴力をしていた。終いには、電気代がもったいないと言う理由で、真冬にも関わらず、暖房を使わせなかった。


ご飯を抜かれて、食べさせてもらえなかったり。こんな過酷な状況を知ったのは、妹からの電話だった。〇さんは里帰りで時々実家へ行っていた。その時の父の様子が変だった。


元気がなく、なにかに弟に怯えているようだった。顔に痣があり、それを問い詰めると「農作業でケガをした」と言った。これはおかしい?そしてOさんは、父への虐待で弟を問い詰めたが、のらりくらりと話しをそらした。


「なぜ父を虐待するのか?」
弟の言い訳は幼稚な被害妄想だった。
「兄はいつも親から贅沢をさせてもらっていたのに、自分だけ損をさせられた」
「オレは兄にお古ばかりで嫌だった」
「オレは親から可愛がられていなかった」
まるで子供のような言い草で、終いには泣き出す始末だった。


だから父に虐待してもいい理由にはならない。常識的な判断ができないほど、おかしくなっていた。虐待をやめるように叱りつけ、辞めないなら生活費を出さないと宣言した。


すると逆上した弟は殴りかかってきた。100キロの巨体の◯さんに押さえつけられると、泣いていた?そんなちょっと、あたおかな弟で、お金が絡んでくると怒り出すという、わかりやすい反応だった。


それ以後、Oさんは、
「これ以上、実家に父がいたら、気の狂った弟に殺されるかも知れない?」と
判断し、父を実家から無理やり引っ越しをさせた。父は当初困惑していた。なぜ自分の実家を離れなければならいのか?悲痛な思いがあった。


Oさんも、なぜ大黒柱である父が実家を出て、弟に渡せなければならないのか?そんな憤りを感じていた。これ以上、ここに居たらいつか大事件になると確信した。苦肉の策だった。父も息子の説得で、しぶしぶ引っ越しを決意した。


もはや実家は弟に乗っ取られたも同然だった。父が引っ越したと同時に弟は、母と役所に出かけ、父との離婚届けを役所に提出した。役所の人はなんの疑問を持たずにそれを受理した。


70歳を越した両親がなぜ?今さら離婚する理由などなかった。どこからか知恵をつけてきた弟の悪だくみだった。認知症を発症していた母は、弟に言われるがままに離婚手続きにハンコを押した。


認知症と言う都合のいい老化現象を利用した。そして完全に実家は弟の物となってしまった。しかしまだ問題は残っていた。兄妹の二人がやっかいだった。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?