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何かの予言があたる時、 何かが終わりを告げる時・・・

先日、今は亡き作詞家の名手、阿久悠さんの本を三冊買った。

阿久さんは、このコロナ禍の混乱を見破っているような、
意味深かつ冷静な助言を、ある歌詞で僕たちに残してくれている。

ふと今思った(最近思っていた)それについて書いてみようと思う。

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阿久さんの書かれた歌、僕の大好きなウルトラマンレオの歌(OP1の2番)に、こんなフレーズがある。

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突然あらしがまきおこり

突然炎がふきあがり

何かの予言があたる時

何かが終わりを告げる時

誰もが勇気を忘れちゃいけない

やさしい心も忘れちゃいけない

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コロナ禍で、苦しい日常を強いられる私達。
皆が自分の言いたいことにこだわりすぎていないだろうか。
また言葉にしながらも、こらえている賢明な人。
そして我慢していても一向に明るい兆しが見えないことから、
しびれを切らしてしまった方もいる。

よく目を凝らしてみると、識者の中にはとても鋭い意見を持っている人もいる。
実際その人たちが予想した、警鐘を鳴らした方向へと、現在の危機は迫ってきた。

レオの歌の中にある、「何かの予言が当たる時」というフレーズだ。
ある意味「何かが終わりを告げた」のかもしれない。
現実として医療崩壊は起こっており、それに起因する死者も出ている。
権力の重鎮たちも一気に焦りだした。

この時僕らに必要なものは何だろう?
単に権力者を批判することだろうか?
しびれを切らした民衆をいじることだろうか?

自分が賢明な人間であると、それでありたいと自負するならば、
本当の勇気、優しい心、を忘れないでいることなのかもしれない。
真心でもって言うべきは言い、手を取り合える部分をつくり、弱いものをいたわっていくことじゃないだろうか?
自分で自分を守るなら、それにも心の中にやむにやまれぬ大義名分もあるはずだ。
身勝手な自己防衛はそれでもよくない。

阿久悠は、このような危険は、時代時代に巡って来るから、
大きな犠牲を出すか、小さな兆候で終わらせるかは、
僕たちの努力次第、つまり勇気と優しい心であると、言いたいのではないだろうか。

敢えて言う、阿久悠はノストラダムスではない。


                       Rose Garnet

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