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東長崎のカフェ「MIAMIA」がヤバい。圧倒的な"居場所感"を生み出す振る舞いの魔法。

すごいカフェに出会った。
僕はまだ、その余韻の中にいる―――。

夫婦で東池袋に越してきて早3ヶ月。新しいまちでの暮らしを楽しむべく、週末になると妻と二人で池袋周辺エリアを散策するのが習慣になっている。リサーチ好きの妻は、僕が知らないうちにGoogleマップにたくさんピンを刺していて、それを目印にあっちに行ったりこっちに行ったり、ゆるりとまち歩きを楽しむのだ。

先日、東長崎におしゃれなカフェがあるらしいと妻から教えられ、早速足を運んでみることにした。東長崎は池袋駅から西武池袋線で5分ほどの場所。自宅からは少し距離があるけれど、じゅうぶん僕らの散策圏内だ。

そのお店の名前は、MIAMIA。ミアミアもしくはミャーミャーかと思ったら、マイアマイアと読むそうだ。駅から出てすぐ、体感にして30秒くらいの場所にある。近い。昔の商店街によくあるブティックを改装した建物のようで、ディスプレイにはおしゃれなTシャツが飾ってある。

これはハイセンスな人以外入れない系のカフェかな…なんて思いながら二人でオロオロしていると、突然店内から謎の外国人男性がぬっと顔を出してきた。そして開口一番、こんなことを言う。

「アレ?お兄サン前に会ったヨネ?このへんのヒト?」

どうしよう、全然知らない人だ。絶対この人勘違いしてる。でも、もしどこかで会っていたら失礼だし…。「10年くらい前、学生のころに一度このあたりに来たことがあるかもです」なんて苦し紛れの返答をすると、

「ハッハ〜! じゃあチガウネ!ゴメンゴメン! ところで、コーヒー、のんでいきませんか? パンもあるヨ! 」

違うんかい!なんて心の中で軽くツッコミを入れるも束の間、気がつくと僕と妻は店内のテーブル席に案内されていた。

そして驚いた。

そこにあったのは、一人ひとりがかけがえのない人として存在できる、真のサードプレイスと呼べる場所だった。

それは居場所と言い換えても良いかもしれない。いや、もはや世界と言っても過言ではないかもしれない。

まちづくりに携わる妻の影響で、ここ数年さまざまな地域拠点やコミュニティスペースに足を運んだが、ここまで圧倒的な居場所感を感じた場所は正直初めてだった。

この記事ではMIAMIAの魅力を紹介しながら、普通のカフェやスペースを「居場所」に変えるために何が必要なのかについて考察していきたいと思う。

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MIAMIAは、まちのみんなの"第二の家"

MIAMIAは2020年4月にオープンしたばかりの比較的新しいカフェだ。レトロかわいい雰囲気が漂う店舗は、先述のとおりブティックとして使われていた建物をリノベーションして造られたそうな。ブティック時代の面影をお店の内外に少しずつ残しているところが実に粋である。

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オーストラリアで有名なロースター「PADRE COFFEE」の豆を日本で唯一楽しめるお店だそうで、コーヒー豆へのこだわりは並々ならぬものがあるという。小さなカフェでは珍しく、ベストな状態の豆を使用できるよう、一番美味しい状態の豆を専用のコンテナで冷凍保存するという徹底ぶり。コーヒー豆はテイクアウトで購入することもできる。パンも販売していて、こちらもテイクアウトが可能だ。

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オープンから1年未満にも関わらず、常連客がひっきりなしに訪れ、あれよあれよという間に人気店へと成長。「BRUTUS」や「& Premium」といった雑誌で紹介され、「珈琲時間」の2021年2月号ではなんと表紙も飾っている。カフェやコーヒー関連のWEBメディアなどでも取り上げられ、その界隈では密かなブームを呼んでいるようだ。

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ちなみに店名のMIAMIAは、オーストラリアの先住民・アボリジニの言葉で「家」を意味する。地域の人びとが安らぎを得られる"第二の家"でありたいという願いが、この言葉に込められているのだ。


謎の外国人男性の正体とは?

謎を謎のままにすることはできない。冒頭の外国人男性は一体誰なのか。お察しの方もいるだろうが、何を隠そう彼こそが店主である。名前は、ヴォーンさん。

オーストラリアのメルボルン出身。コーヒーと音楽をこよなく愛するというヴォーンさんは、モデル/文化服装学院の教師/音楽プロモーターという複数の顔をもつ。実はめっちゃスゴい人だった…。
(彼がモデルだと知って、もしかしたらCMのオーディションで本当に会っているかも…と思い至る)

音楽はMIAMIAを特徴づける大切な要素だ。店内には驚くほどたくさんのレコードがあり、都度ヴォーンさんがレコードを変え、お店のムードを演出していく。

ヴォーンさんの詳しいバックグラウンドについては、以下の記事が良い感じに紹介していたのでご参照あれ。

奥さんもスゴい。奥さんのアリソン理恵さんは建築家だそうで、店舗のリノベーションを手掛けたのも彼女だ。

MIAMIAにはYouTubeチャンネルもあり、そこで配信されるトーク番組「MIAMIA talk」のモデレーターも奥さんの理恵さんが務めている。お店に集まるさまざまなジャンルの方々をZoom上に招いた番組で、ラフな雰囲気ながらも非常に多くの学びにあふれている。個人的に特に気づきの多かった回はコチラ↓



何が小さなカフェを「居場所」に変えるのか?

ここまでの情報だけでも、カフェとしての魅力は十分伝わるだろう。味もセンスも人も良い。おかげで波に乗っていて、凡百の個人経営カフェとは一線を画すものがすでにある。

けれど、それだけではないのだ。そこにあるのは、いうなれば圧倒的な居場所感。それが他のカフェと、ひいては地域交流を謳う施設と、決定的に違うのだ。

店内にいた時間は30分くらいだったろうか。決して長い時間ではない。それでも僕は心の底から居場所を感じた。この場所にいていいんだと思えた。

地域の交流を促すまちづくりの拠点は全国に数多くある。行政主導のものから民間企業が手掛けるもの、ごく個人的なものまで様々で、交流を目的として立ち上げられた場所もあれば、結果的にそういった役割を果たすようになった場所もある。

しかしながら、言うは易く行うは難し。交流の活性化を意図するも、すべての拠点が上手くワークしているかといえば、決してそうではないように感じる。特定の層だけが集う内輪な場所になってしまったり、あるいはオープンすぎるが故に単に雑然とした空間になってしまったり。それだけ、居場所と呼べるレベルの拠点をつくることは、誰にとっても難しいことなのだと思う。

そんな難しいことを、MIAMIAは平然とやってのける。

いったい何がMIAMIAに居場所感をもたらしているのだろう?
もしその要素がわかれば、場づくりのヒントになるのではないだろうか?

以下、拙いながらも自分なりの考察を記していく。


①なんの衒いもない、「好き」の放出

MIAMIAはヴォーンさんが大好きなものばかりを詰め込んだ、彼にとっての夢の国だ。コーヒーにせよパンにせよ、自分が好きなものを情熱的に語ってくれる。そこにはなんの衒いもなく、押し付けがましい印象もない。ただ、好きだから、人に伝えたいのだ。その自然な振る舞いが、心の武装を解いてくれる。

「好き」はすべての原動力だと思う。よく言われるように、結局努力や義務感は夢中に勝てないし、人は夢中な人に夢中になるものだ。
(キャスティングの仕事をしていると、切にそれを感じる瞬間がある)

さらに言うと、「好き」が集積されていったものが「スタイル」になり、スタイルが寄り集まることで「世界観」が形作られていくのだと思う。ある意味、MIAMIAに足を運ぶことは、"ヴォーン・ワールド"を体験しにいくことに等しい。

これだけ聞くとかなりアクの強い印象を受けるかもしれないが(笑)、後述の②③の要素と相俟って、独自性と共感性が絶妙なバランスで共存する空間が生まれている。ビビらなくても大丈夫。


②「境界」の曖昧さ

他のメディアでも語られていることだが、境界の曖昧さはMIAMIAの大きな特徴の一つだ。ここでいう境界には、コミュニケーションと空間、2つの側面がある。

【コミュニケーション】
冒頭での突飛な声掛けを思い出してほしい。そう、ヴォーンさんはめちゃくちゃフレンドリーなのだ。他のスタッフも同様にホスピタリティたっぷりの人たちが揃い、一見さんにも常連さんにも分け隔てなく声をかけ、その場の会話を楽しんでいる。知らないお客さん同士が会話をしているのも耳にした。僕と妻も、向かいに腰掛ける外国人男性客と言葉を交わす。

あれ、これほぼ家やんか。親戚同士の集まりやん…。

時折そんな錯覚に陥った。"第二の家"というコンセプトは、伊達じゃない。

おしゃれでフレンドリーなカフェはMIAMIA以外にもたくさんある。けれど、やっぱりどこかでお店/お客の境界線がピッと引かれ、知らぬ間にそれぞれが役割を演じ始めてしまう。MIAMIAでは、そんな見えない関係の境目が上手くぼかされ、謎の一体感を味わうことができるのだ。

【空間】
特徴的だなと思ったのは、キッチンと客席の境界がないこと。これが家にいる感を醸成する空間的仕掛けになっている。普通はカウンターで作業したり、あるいは客席から見えない場所にキッチンがあったりするけれど、MIAMIAは全部見えてしまう。それが、スタッフとお客の境界をぼかす働きをしている。

加えて、天井を背骨のように貫く一本の長いライトも印象的だ。テーブル自体はセパレートされているものの、同じ灯りを共有することによって一つの食卓を囲んでいるような感覚が生まれる。
(窓際の席もあるので、あくまで店内中央の席のみだが)


③「いま・この場で起きていること」に目を向ける

店内でのヴォーンさんの動きは、まるで音楽のジャムセッションのようだ。

来店する人たちに声をかけるのはもちろん、窓際で写真を撮っている人に「すごくヒカリが、シャインニングで、カッコイイヨ!!」なんて褒めてみたり、盛り上がってるテーブルの話に突然入り込んでみたり。僕らにも折を見て話しかけ、他のテーブルの会話と接続しようとする。そのタイミングが本当に絶妙で、まるで音楽のようにリズミカルに駆け抜けていく。店内でかかるレコードも、ヴォーンさんがそのときのお客さんの表情や雰囲気に合わせて即興でセレクトしているそうな。

つまり何が言いたいかというと、情況把握力がスゴいのだ。

いま・この場を共有する人たちの小さな機微をもらさず掬い上げ、それをすかさず場にフィードバックしていく。それが関わりのグラデーションを生み、場に多様性がもたらされる。独りの時間を楽しみたい雰囲気の人にはそれを邪魔しないコミュニケーションをするし、交流を望む人には良いタイミングで気持ちいいパスを出す。それでいて、その場をみんなで共有している感覚もちゃんと感じられる。金子みすゞ風に言えば、「みんな違って、みんな居て良い」的なことだろうか。いま・この瞬間を大切にするマインドフルなファシリテーションによって、絶えず心地よさがチューニングされていくのだ。


一人ひとりをまちの「登場人物」にしてくれる振る舞いの魔法

MIAMIAでとりわけ心を動かされたのは、入店・退店時のコールだ。誰かがお店に入るたびに、「要町の一流シェフが入りマス!」とか、「この人はスゴい建築家さんデス!」というふうにヴォーンさんの紹介のコールが店内に響く。僕らも、「素敵なカップルがお帰りデス!」なんて言われながら店を後にした。

別にこれはお店でマニュアル化されたことではないと思う。たぶん、ヴォーンさんのノリだ。それでも僕は、そんなふうに声をかけられた瞬間、住んでもいないまちの「登場人物」になったような気がした。

なぜ僕はそんなふうに感じたのだろう?

それはたぶん、名前も肩書も関係ない、その場を生きるひとりの人間として扱ってくれた感覚があったからだと思う。MIAMIAに根付く、この「存在論的安心」が、単なる小さなカフェを最高にウェルビーイングな場所に変えているのだ。

わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践』(渡邊淳司/ドミニク・チェン 監修・編著)によれば、存在論的安心とは、人間が道具化・機械化してしまった現代社会において、自己と自己を取り巻く環境が「いま・ここにたしかに存在する」という実感から得られる安定した充足感のことを表す。「公共性」や「社会創造ビジョン」とならぶ、公共とコミュニティのウェルビーイングを実現する重要な要素の一つとして数えられている。

地域交流や多様性を謳う他のまちづくり拠点を傍から見て猛烈に違和感を覚えるのは、この存在論的安心が欠けているからかもしれない。まちの住人を「プレイヤー」なんていうファンクション(機能)でひと括りにしてしまう野暮さが、どこかで人を遠ざけている。そんなふうに感じるのだ。

存在論的安心は、仕組み(構造)や仕掛け(企画)で補うことができず、むしろそれらの根底にある定量性や合理性を求めるマインドが、どんどん安心感を奪っていく。だからいつでも僕らは不安で、存在論的安心を取り戻せる場所を無意識に求めているのではないだろうか。MIAMIAが人を惹きつけてやまない理由も、実はそこにあるんじゃないかと僕は思う。そういう意味で、MIAMIAはまちづくり・場づくりを生業にする人たちにも大きな示唆を与えてくれる場所といえるだろう。

ヴォーンさんの一つ一つの振る舞いは、別に特別なものなんかじゃない。その場その場で生まれては消えていく、些細なやり取りだ。それでも、この小さな振る舞いの積み重ねが、いつの間にか魔法のように心を満たしてくれる。

*  *  *

曰く名もなき"素敵なカップル"であるところの妻と僕は、魔法にかかったまま帰り道を歩く。道すがら、何度もあの店のことを語り合った。僕らが欲しかった場所は、あんな場所だったんだと。

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