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実家帰省療養

現在、私は埼玉県在住だ。
かねてよりお付き合いをしていたパートナーと同棲している。
埼玉県は良い。都心にもアクセスしやすく、こぢんまりとした公園もあり、心なしか空気の淀みもあまり感じない。
しかし、引っ越してからはまだ1年も経っていない。愛着は、正直まだない。

埼玉に来る前は、東京の板橋区で1人暮らしをしていた。
ここでは1年弱お世話になったし、刺激も多かった。しかしやはり、愛着はわかなかった。

関西から越してきて、ついに2年が経つも、戻りたいという気持ちが常にあった。
仕事で適応障害になり退職したが、疾患要因には仕事以外にもこうした気持ちも関わっていたのだろう。

そんな中、なんとこの7月から働くことになった。もちろん都内で。
無限に思えた無職の期間だが、実は有限であった。こんな当たり前のことを分かっているようで分かっていなかった。

そんな社会復帰を目前に、残された貴重なこの期間をどうしたものかと悶々としていた時、この言葉が頭に響く。

「そうだ、関西いこう。」

『そうだ、京都行こう。』のアレである。
働く前に、関西に、実家に、会いたい人たちに会わなければ。

私は"療養"の名のもと、急遽プチ帰省を決行した。
プチ、といっても滞在期間は1週間。
社会人や学生になり、地元を離れた人が1週間も実家に滞在するのは、結構な長期間の認識になるのではないだろうか。
私自身、社会人になってから1週間も帰省するなんて今回が初めてだった。

帰りたいから帰る。ただそれだけの理由だったので、両親には帰省の理由を端折り
「1週間、そっちに帰るから」とだけ伝えた。
両親の快諾に、私は「久しぶりの娘の帰省。しかも1週間!父も母もさぞ嬉しかろう😏」と、アホを炸裂させていた。
もちろん、急な娘の帰省に、両親は内心大荒れある。
その証拠に、両親は私が帰宅すると共に「(同棲中のパートナーと)何かあったのか?」と気まずそうに聞いてきて、思わず笑ってしまった。
いや、両親にとっては笑い事ではなかったのだが。

さて、こうして突発的な思いつきからスタートした実家帰省療養だが、明日、埼玉に戻る。
1週間。長期かと思いきや、やはり過ごしてみればあっという間だった。

あと何日、両親に会えるだろうか。愛犬に会えるだろうか。生まれ育ったこの家に帰って来れるのだろうか。
両親も私も、元気なうちに会っておきたい反面、生活のためには仕事をしないといけないといけないので、今回のような長期帰省することも難しい。

実家の愛犬黒柴(今年で10歳、人間でいうと50歳)
まだまだヤンチャなシニア犬
地元の風景(愛犬のお気に入り散歩コース1)
地元の風景(愛犬のお気に入り散歩コース2)


今、沢山のものに強い情愛を感じている。
なんなら手元に置いてあるTVのリモコンにさえ感じている。
この情愛は、実は忘れていただけで、帰省することで気づくことが出来たのか、実家を離れていたからこそ強まったのか。
どういう訳かは分からないが、何にせよ今感じているそれを、今後も大切にしていきたいものである。

とはいっても、埼玉の家に帰るまでが実家療養の終わりである。
今回は(も)、上げ膳据え膳の殿様大名王様気分で(はたから見れば療養者と言うより厄介者の態度である)久しぶりにのびのびと過ごすことが出来た。
愛犬との散歩にて、両足の小指を見事に靴擦れさせたのも、クッソ痛いし全っ然治らないが、これもまた味わい深い痛みである。

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埼玉の家でのびのび出来ないわけではないが、実家や関西にいた頃程の情愛や愛着があるわけでもない。
あっちに帰宅をしたらしたでホッとするのだろうが、、、
こういうホッとする瞬間が、安心感に繋がり、ただの情から情愛愛着になっていくのだろう。

関東にきてからは、楽しい出来事よりも、辛くて孤独な思い出の方が多く、
正直もう1週間、欲を言えばもう1ヶ月程、実家療養を延長したいくらいである。
明日戻ることを考えただけで、早くもホームシックになっている。
しかし、自分がこれから住む街のことも好きになりたい。
きっと両親も、
「もう地元に帰ってきたら?」
「こっちで仕事探したら?」
「食べ物には困らせないよ?」
などと言ってくれるが、娘が自分の住む街を好きでいる、そうなることを望んでいるだろう。
良い所がより素敵に見えるよう、情愛眼鏡をかけようか。

今の埼玉の家や街に情愛を抱くにはまだまだ時間はかかりそうだが、“情”の中に健全な“愛”が入るよう、考え方や見方、自分の器を広げていきたい。


以上。
おわり。

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