Tsuyoshi Yamada

美術家、蒐集家 只本屋、副産物産店、副産物楽団ゾンビーズ

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劇場版「オルガンを鳴らす」とは?

副産物産店、副産物楽団ゾンビーズで2023年2月24〜26日まで、京都の劇場theatreE9Kyotoにて公演「オルガンを鳴らす」を行うために今は鋭意練習中なのですが、劇場版って何ですか?演劇ですか?演奏会ですか?と色々聞かれることが多いので、ここでここまでの経緯やちょっと中身を教えてしまおうかと思う。 前段としての記事は、以下に書いてあるので、それも一緒に読んでくれるとより理解が早いかもです。 何で劇場公演だったのか? 元々副産物産店を映画化とか、舞台化してみたいと

    • ゾンビ楽器ってなんだろうか?

      副産物楽団ゾンビーズってどんな楽器を持っているんですか?っていうのもよく聞かれる質問です。 主には2種類の楽器を使っています。 ①様々な理由で使われなくなった楽器 ②副産物から作った楽器 この2種類を使っています。①に関しては、別に壊れてるわけではないんです。もちろん壊れてるものもあるんですが、多くの場合は使わなくなった楽器というものが多いです。例えば昔使っていたリコーダーとか、鍵盤ハーモニカとかを想像してもらうと良いかもしれないです。 それから、オルガンとかピアノとか

      • 副産物楽団ゾンビーズってなんですか?

        最近よく聞かれます。循環に興味のある学生たちがやっている楽団?捨てられちゃう楽器を鳴らしている楽団?副産物産店の新しいプロジェクト?全部正解だし、全部が少しだけ違います。 副産物楽団ゾンビーズは、2021年にはじまった活動で。その前身には、2017年に始まった副産物産店というアートユニットの活動があります。 副産物産店について 2017年に京都市立芸術大学の移転建築設計JVの中にいた美術家の矢津吉隆と山田毅によって始められたのが、副産物産店です。これはJVチームと共に新

        • "be strong"

          "be strong" Netflix(ネットフリックス)のオリジナルドラマ「Giri/Haji」で心に残った言葉である。2020年が明けて2021年になって最初に心に残ったのが任侠ものの映画というあたりは自分らしいというかなんというか。 「Giri/Haji」は、警察官の兄とヤクザの弟を中心としたお話で、死んだ弟がイギリスにいるらしいという設定で兄が弟をイギリスに探しにいくという話で、話は任侠だが舞台も映像の作り方も海外映画のような感じである。 ちなみにこの作品は、英国

        劇場版「オルガンを鳴らす」とは?

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        • 京都の日々
          8本

        記事

          次の時代に向けて

          フィジカルな体験をバーチャルを通してどのように伝えるのか。それが次の時代に必要なこと。副産物産店然り只本屋然り、対面でやっていた、成り立っていたものをどのようにオンライン上で成り立たせていくか。 そんな話を今日は矢津さんとしたように思う。

          次の時代に向けて

          明日は朝から起きれそうな予感。

          こういう時だから夜寝れなくなったりして、朝まで起きてたりして、で、朝方やっと眠りにつけたら、夕方目が覚めて。あー今日もうお終いじゃんみたいなのが、永遠にループで続くみたいなやつあるじゃんか。それを断ち切るために今日は寝てない。午前中から動いてた。お昼2時間くらい寝たけど、あとは起きている。そして今もう眠い。 明日は朝から起きれそうな予感。そうだといいな。無理な療法だけど、悪くない療法だと思う。

          明日は朝から起きれそうな予感。

          そういう記憶はいつも良い記憶だ。

          【7days Book Cover Challenge】というのに誘われて、初めて見ることにした。こういう機会がないと本棚を見返したりしないので、それはそれで楽しい。今日は安西水丸さんの本「美味しいか恋しいか」明日は何にしようと飛んだなに目をやると、こんな本あったなとか、これもあるかとかそういうあれこれが見えてきて嬉しくなる。 最近は本を読まなくなった。大学時代が一番読んだかもしれない。村上春樹、それから柴崎友香、前田司郎、貴志祐介、それらの作家には随分と助けられた、多分通

          そういう記憶はいつも良い記憶だ。

          少しづつ少しづつ。

          なんだか少し体がだるい。これは多分よくない兆候で、夜もよく寝れてない。いや寝れてないことはないのだが、昼夜が逆転してきているのだ。これがとてもよくない。やる気が起きないということはそれですごく残念だから、やる気を起こさないといけない。 かつて誰かに聞いたが、お金を支援しても自立できないことが多いそうで、働くことの大切さや喜びを体得するほうが自立するんだそうだ。そんなことを思いながら次に進める方向について考えている。 やっぱり只本屋のオンラインショップはあるよな。少しだが反

          少しづつ少しづつ。

          そのサインを見逃してはならない。

          期せずして老いを感じる時があるとすれば、それがまさに今日であった。ミシンである。ミシンを使おうと思ったのだ。余っているブルーシートがあって、それを何かに加工しようと思っていたのだが、ミシンの針にうまく糸を通すことができない。見えないのだ。うまく焦点が合わない。 正直、結構使っていたわけではない。でも裁縫は嫌いじゃないし、ミシンも使っていたように思う。でも見えない。こういうのは初めてで、明らかに視力が悪くなっていた。見えないってことでできなかったのだ。これは結構こたえる出来事

          そのサインを見逃してはならない。

          今日はあんまり日記を書く気分でない。

          筆が乗らないのだ。そういう時もある。 いつものように昼くらいに起きて、ART360の有識者委員会が午後一であったので、オフィスに向かう。夕方まで打ち合わせて帰宅。ご飯を食べて、ゆっくり。 オフィスまでは車で行き、オンラインミーティングを行う。その後金沢の展示の打ち合わせ。 本当に筆が乗らないのだ。そういう時もあるし、そういう時は何も浮かばないなー。

          今日はあんまり日記を書く気分でない。

          何かしらの向上は必要だなと。

          wifiが本当にダメ。 我が家では、wimaxを使用しているんだが、全然電波が入らない状態が続いていて、テレワークだとかなんとかいっているが、wifiが繋がらないというのはちょっと厄介です。 本日はちょっとした打ち合わせがあり、アトリエに持っていって繋いでみると30倍くらいの速度が出る。なるほどうちのも問題ということもある。それから3時間くらい打ち合わせているうちに通信制限のギリギリのところまで使用してしまった。これでは明日制限がかけられるかもしれない。毎日打ち合わせとな

          何かしらの向上は必要だなと。

          それがここの場所に只本屋を残す理由となる。

          単純に体を動かして、ご飯を食べると眠くなる。今がそうで、夕飯後にめっさ眠い。 最近はいい運動だとばかりに只本屋の改装を再開し始めた。何からというとそれはやっぱり土壁からな訳で、のそのそと土壁をこさえている。 竹小舞という竹を編んだものをまず作っているのだが、それが結構地味な割に重労働で、手がビシビシと筋肉痛になるのだ。竹をしゅろ縄や麻ひもで結んでいく作業が結構大変で、力がいるし、今日は手をくじいいてしまった。 ここから只本屋をどうしたいかというと。まずは床を貼るところま

          それがここの場所に只本屋を残す理由となる。

          世界の終わりからの始まり。

          今日矢津さんがkumagusukuの宿泊を5月いっぱいで終わりにするとFacebookで投稿していました。宿泊施設としての機能をやめるということです。人が来ない世界で何を生業にして生きるのか。そういうシナリオからもの語りを始めるしかないのです。休業から閉店への移行が今後増えてくるんだと思います。これを機に引退しますという声も色々聞こえてきます。いろんなものがもう後戻りができないような流れに乗ってしまっているのです。 今は自宅待機をGWまでというようなことになっていますが、ま

          世界の終わりからの始まり。

          こうして世界の終わりは始まったのかもしれないなんて

          在宅しているとすぐにご飯のことを考える。あーあれ食べたい。あーこれ食べたいとそんな感じだ。お昼が終われば夜ご飯なに食べようとなるわけだ。少し時間が開けば、おやつおやつとなり、以前に比べて便の排出量も明らかに増えたように思う。そしてだいたい自炊なのだが、時間があるので作り物もこだわり出す。作ったことのなかったものへと意識が向くのだ。天ぷらにしてみるか。ご飯はきっちり炊きで、早炊きにはせずとかとか。 只本屋の仲間にもらったイチゴを煮詰めてみたり、長崎から送ってもらった野菜で、今

          こうして世界の終わりは始まったのかもしれないなんて

          今日はきっとサラダ記念日になるはずだ。

          実は40を目前にして思うことだが、サラダの作り方をよくわかっていない。そーみなさんがよくご存知のそのサラダである。あんなものはドレッシングをかければ大体サラダになるとも言えるのだが、あまりお酢が好きでないということもあり、何かと避けてきているうちに、サラダというものを知らないできてしまったのだ。 昔、小学校のころだ。みんなが自宅から好きなドレッシングを持ってきて、サラダを食べるという会があったんだが、みんなが持ってきているのはフレンチドレッシングとかで、僕は和風ドレッシング

          今日はきっとサラダ記念日になるはずだ。

          乏しくなった心に栄養をあげよう。

          長崎にいる大学の後輩にお願いしていた物が届いた。イルカパークが休園しているというので、地元の野菜などを送るサービスを始めたというのだ。 こういうサービスは正直ありがたい。支援もしやすいし、配送してくれるので家まで届く。未来に何かを体験するというような支援も多いのだが、それだと今の自分を生かしておけないという辛さがある。明日も食うに困る。これが心情だ。財布というよりは心が乏しくなっているのだ。明日もわからない世の中でこのまま生きていけるかわからないから、今使うべき部分にしか使

          乏しくなった心に栄養をあげよう。