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安心してください。やろうとしていること、ちゃんと見えてます!

noteではお久しぶりです。

先日受けたバレエのレッスン後の雑談から思うところがあったので、しばらくぶりに記事にまとめてみました。



週に1度レッスンを受けているバレエの先生(ここではM先生とします)が、先日別のクラスを代行するというのでいそいそとレッスンを受けに行ってきました。

M先生大好きレッスンメイトさんが他にも何人か参加されていて、レッスン後に

「M先生のレッスン、週2回か3回ぐらい受けたいよね~」

「週1回しか担当されてないの、残念!!」

なんて話で盛り上がりました。

すると1人の人が

「でもね、せっかく先生、あんなに熱心に教えてくださるのに、自分は全然言われたことできるようにならないからなんだか申し訳なくて、だから週1回で充分かもしれない…」

とおっしゃったのです。

別ジャンルとはいえ、教える立場にもある私、これを聞いてびっくり!!

できるようにならなくて申し訳ない?!

私のピラティスの生徒さんがもし「申し訳ない」と思ってしまったとしたら…

逆に私が申し訳ないです。

できるようにならないのは私の教え方が悪いからです。



あれ、でも、そもそも私は

「◯◯ができるようになりましょう!」

そういう教え方はしていないような。

そして、生徒さんを見るときにそのエクササイズの形が

「できている」
「できていない」

という視点ではほぼ見ていません

何を見ているかと言うと

「意識を向けてほしいところに意識がいっているか」

を見ています。

別の言葉で言えば

「言われたことをやろうとしているか」

です。

インストラクター/トレーナー仲間のみなさまにはわかっていただけると思いますが、最終的にできたかどうかは置いておいて、意識が通っている、やろうとしているのは指導者から見るとちゃんとわかるものです。

もしうまく意識がいっていないようなら、身体を痛めるような使い方が改まらないようなら、それは私の意図することが伝わっていない、つまり私が悪いので、生徒さんが意識しやすいように指導者として別の言い方、表現を考えなくてはいけません。

ピラティスの代表的なエクササイズ、ロールアップ(仰向けの状態から、背骨を一つ一つ動かして頭、胴体、と、じわじわと長座の姿勢まで起き上がってくる)を例にしてみます。

単純にロールアップができる/できない、で考えると、一般的に言えば

起き上がってこられる = できる
起き上がってこられない = できない

となるでしょう。

ところが、たとえ起き上がってこれたとしても、肩首にグッと力を入れて、お腹の表面や前腿をパンパンにして、力ずくで起きてくるとしたら、それはやってほしいことができていないので、私から見たら「できていない」になります。

起き上がってこられないとしても、例えば背骨を一つ一つ動かそうとする意識や、肩甲骨を動かさず脇腹から小指のラインをつなげる意識が見えれば、それはやってほしいことができているので、私から見たら「できている」です。

こんな感じで「できる」の定義は、教える側と教わる側との間でギャップがある場合がありそうです。



バレエでも、これは好みかとは思いますが、回転数が増えれば「すごい」「あの人はできる」と思われがちなピルエット、軸がブレブレで肘が落ちた状態で力任せの3回転より、キレイなパッセ、腕のアンナバンをキープして1回転の方がより「正しいバレエ」に近い、「できている」と私は思っています。例え着地に失敗したとしても。

(あと、ピルエットの着地は音楽に合わせてほしいと思います。これでもかって回って、音に全然あっていないの、結構気持ち悪い…)

アラベスクの脚が高く上がる人は「すごい」と(特に大人から組に)褒められがちですが、腰を思いっきり詰めてお腹がべろーん状態だったとしたら、バレエ素人の私が言うのもなんですが、「できていない」。

上げる脚が低くても、大腰筋を上手く使って背骨の伸展が見えるアラベスクの方が「できる」に近いと私は思います。



件のM先生は語彙が豊富で表現の幅が広く、言葉だけでなくさらにご自身、そして生徒の体も使ってあらゆる方法で色々なことを「説明」してくれます。

できあがりの形より、そこに至るまでの過程でどのように身体を使うか、意識をするかをあの手この手で惜しみなくシェアしてくれます。

「こう動きたい、って頭が命令しなくちゃ身体は動かないよ」「頭使って!」「脳死で適当に動かないで!」なんてことをよくおっしゃっているので、おそらくM先生が見ているのも「意識できているか」「やろうとしているか」だと思っています。

現に、うまくいかなくても、「こういうことかな?」とやってみると「そう!!そういうこと!」というお声がかかったりします。

もちろん先生のお手本のように美しくは動けないし、できないことも多いのですが、そういう意識をすれば正しい方向に進んでいけるのだな、と思えるので、できないことは私にとっては特にストレスにはなっていません。

自分が教えるピラティスのクラスでも常々言っていますが、「『わかる』と『できる』は違う」のです。

わかったところで、身体はその準備ができていないことが多いですから(筋力が充分になかったり、柔軟性が足りなかったり、関節の可動域が狭かったり)、少しづつ鍛えていかないといけません。

でも、わかりさえすれば、努力の方向が決まり、成果も感じやすいので、トレーニングやレッスンがより楽しくなります。

そして少しづつ理想とする「できる」に近づいていけます。

おそらくM先生も目先の「できる」にはこだわっていないからこそ、生徒のより良い、正しい身体の動きを引き出そうと言葉を尽くして説明してくれるのだと思います。

そしてM先生好きのメイトさんは、その言葉や先生のサポートで動きの質が変わることを実感しているので、好んで先生のクラスに参加するのだと思います。

(現に好き勝手に踊りたい人は先生の説明を鬱陶しく感じるようで、2度とクラスにやってきません)



「申し訳ない」とおっしゃったレッスンメイトさんは、子どもの頃からバレエを習っていた再開組さんなので(しかもかなりのレベルだったのではと推察しています)、子どもの頃はできていた記憶が身体に残っているので「できない」となるのかもしれません。

でも私から見るといつもすみずみまで気を配ったキレイな動きでとても素敵です。

先生の注意点にも即座に反応できていて、私が思うところの「できる人」です。
(上手が故に先生が求めるレベルがどんどん上がっているということはあると思いますが)

再開組さんには、大人からゼロスタートの私にはわからない葛藤があるとは思いますが、先生の話をきちんと聞いて、言われたことをやろうとしているのであれば、理想通りにできないことを先生に対して申し訳なく思う必要は全くないのではないかな、と思います!!



ピラティスやヨガなどのボディワークを始めたての人も、思い通りに体が動かなくてイライラしたりがっかりしたりするかもしれません。

でも、「思い通りに動かない」ということは、「動きたい思い」があるということ、こう動きたいという意識、意思があるということです。

その意識、意思はちゃんと指導者に見えているので安心してくださいね。

逆に「なんでできないの!!」なんて怒る指導者は指導力不足ですから、離れることをオススメします。(←これ、子どもの習い事でも是非保護者の方に注意していただきたいです)



頭からの命令がスムーズに身体に伝わるようになってくるとより色々な動きができるようになってきます。

身体がよく動くようになってくると、負担がかかかる姿勢もなんとなくわかるようになってくるので、姿勢不良による不調も軽減します。

そして怪我をしにくい身体を作ります。

思い通りにいかない、は思い通りに動かす、の第一歩

そこで自信をなくしたりすることなく、少しづつ進化する自分を楽しんでいきましょう。




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