女の子らしくなれない私の話

 京都には十三参りという風習がある。
簡単に言うと、春頃に、今年度13歳になる子どもたちが、嵐山の法輪寺にお参りする。
帰り道に振り返ってしまったら、授かった知恵を失ってしまう、というものだ。
京都人にとっては、人生に一度の一大イベントである。

 その3日前、私はトイレで絶望した。幼い私は下着に赤々とついた血に、病気を確信した。

 母は娘の初潮に「せめて振袖を用意してなくて良かった」「まだ黒いワンピースなのが幸い」「お赤飯炊いた方がいい?」等慌ててふためいた。
お参りどころでは無くなった私は、案の定帰り道を振り返って、せっかく授かった知恵を見事に置いて帰った。

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 小学校高学年くらいの頃。女の子だけが教室に残され、男の子は遊びに行って、生理の話をされた。
多くの学校がそうなので、マジョリティ的に「普通」なのかも知れない。

 ただ私は、とんでもない馬鹿だった。
授業を全く聞いてなかったのである。
「私は女の子らしくないから、そんなものは来ないだろう」と鷹を括っていたのだ。

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 私は昔から髪を伸ばすのが嫌いだった。
スカートが嫌いだった。フリルが嫌いだった。ピンクが嫌いだった。

幼い私は、自分のことを
「女の子っぽいものを好まない」=「女ではない」
と、謎のレッテルを貼っていた。

 子どもが独りよがりに納得した答えを、わざわざ口に出す訳がない。
だから、「そういう問題ではない」と周りから一切の指摘を受けず、終ぞその日を迎えたのである。

 日本の性教育の甘さを具体的に指摘するほどような、大それたことはできない。
そこまで私は賢くない。
 しかし、先述した通り私は馬鹿だったが、自己の性への認識が曖昧な子どもなんて、今日この日もごまんと居るのではないだろうか?
私のような勘違いした子どもを正しく導くのが、我々大人なのではないのだろうか?

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 女の子らしいものがどうしても好きになれない私は、そのまま大人になった。

 大学生の頃、初めてまともに好きな人ができた。
その人に少しでも可愛く見られようと、私は化粧を始めた。
髪を伸ばそうかと思った。慣れないスカートを買った。ピンクのチークやリップをあしらった。
所謂「男ウケ」に全力で寄せようとした。

 そこで私は「あ、無理してんな」と気付いたのである。

 やっぱり、女の子らしくないと女に見られないのか?
 そもそも、「女の子らしい」って何だ?

 それから、社会人になってしばらくした頃だろうか。自分の好きなメイクを始めた。
 きっちり黒のアイラインを引き、鮮やかな赤リップを唇に載せた。
だってその方が、私に似合うと思うし?

 そして気付いた。メイクって楽しい。

 高校生の頃は「そんな女らしい趣味、理解できない」と、化粧をする女性を敬遠していた。
別に女だって男だって、メイクを楽しんで良いのに。

 相変わらず私は少年の如きショートヘアー、ジーンズ、大好きな青色を身に纏ったまま、20代も半ばに差し掛かった。
今でも髪を伸ばすのも、スカートも、ピンクも苦手だ。

 でも、メイクやアクセサリーが大好きだ。香水が大好きだ。ヒールを履くのが大好きだ。

 これが矛盾してないと気付くのに、長い時間がかかった。

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 私があまりにも「女の子らしい」ものを好まないので、
加えて、男性が苦手で女子大に進学し、同性に対しての憧れや尊敬ばかり口にするものなので、
母親に心配そうに訊かれたことがある。
「好きになる対象も女の子だったりするの?」
私は「(今のところは)違うよ」とノータイムで答えた。すると母は安堵の表情を見せた。

 何だそれ?娘がマイノリティだったらどうしようかと思ったのか?
母のことは大好きで何でも話す仲だが、埋めがたい溝を感じた。

 話は変わるが、前の職場で、40代後半の男性が未だに独身であることを、
「ほら、〇〇さんはコッチ系だから……」
とお決まりのように笑っていた。

 異性に恋できなかったら、同性愛者なのか?
 というかそれが面白いと思ってる時点でもう古いんだよ、気付いてないのかな?

 前の職場は40代以降の大人がほとんどだった。
親を含め、この世代に見られる幸せへのプロトタイプは、
最早世代による価値観の違いと割り切ろうと考えた。

 結局のところ「理解のある大人」のほとんどは「理解のあるフリをしている大人」で、
本当に理解のある大人は、自分の価値観の外側にいる人間のことも考えられる「柔軟な大人」なのではないだろうか?

ならば私は、「柔軟な大人」になれているのだろうか?

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 結局臆病な私の初恋は、噯気に出すこともなく自然消滅した。
結果、それをきっかけにただメイクが好きなだけの人間ができてしまった。

 更に、胸糞が悪い職場から退職したものの、手に職がないくせに趣味のメイク費用が人並み以上になってしまった。

 加えて私は可愛い女の子が好きなので、これからの人生で同性が好きにならないとは言い切れない。
バイセクシャルである可能性も捨てていない。

 グラニフやMUJIlaboなど、ユニセックスのブランドのSサイズを選びがちだ。
性別を問われない服が好きだ。

 自分の体の性とも向き合ってるつもりである。
 まだ妊娠を望まないので生理なんか来なくていいよ!?と体に言い聞かせたいところを、低容量ピルを服用して可能な限り叶えている。

 まあ、月並みな表現ではあるけれども。
 「女の子らしい」「女の子らしくない」、ひいては「男の子らしい」「男の子らしくない」なんて、
所詮は後からついてくるものであって、
自分の選んだものが「私らしく」なるのだなぁ、などと思う。

 こんな風に考えられるようになったのは、プリパラやアイドルマスターsideMと出会ってからなのだが、それはまた別のお話。


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