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人新世の「資本論」をよむ

『ジブリの本棚』という映像作品があります。これは宮崎駿監督が岩波児童文庫の解説を行うものです。

この中でインタビューパートが印象的でした。

インタビュアーは『聞く力』の阿川佐和子さん。質問は読みたい本は何ですかという簡単なものだが、はぐらかし答えない。

三度問い詰められ、しぶしぶ答える監督。

「資本論。」

聞く力の勝利である。

資本論の壁

宮崎監督は、どうやら資本論に挫折した経験があるようです。彼は『紅の豚』、つまり最後の共産主義者ですが、理論家ではありません。

それがどこかコンプレックスになっているのかもしれません。

この大著は分厚い壁となって私達の前に立ちはだかります。本書は、その資本論の今日的意義をわかりやすく解説したものです。

内容紹介:いまこそマルクス!?

それでは、この本の内容を紹介していきます。

人新世とは、地質学の用語で人間の活動による痕跡が、地球の表面を覆い尽くした年代をさします。

そして現代は、帝国的生活様式と呼ばれる資源やエネルギーの収奪による大量生産・大量消費社会です。

これは外部化社会とよばれる、外部に負担を与えることによって成立しています。それには環境や労働問題も含まれます。

本書では、解決策として市民の共同管理を重視したコモンと、それによる自治の問題としてアソシエーションをあげています。

それによって脱成長をはかることが目的です。

また具体例としてフィアレス・シティとよばれる恐れず問題意識をもって行動する自治体の取り組みをあげています。

こういった行動を始めることが、問題解決の第一歩としています。

マルクスはマルクス?

次にカール・マルクスという人物をみていきます。

私は、マルクスはマルクスだと捉えています。

これはマルクスとはマルス(マース)=火星であって、ギリシャ神話では、戦いの神です。

そうすると、『共産党宣言』の要旨がイメージしやすくなります。

人類の歴史は階級闘争の歴史。団結せよ。

たたかいの神は、受験の神でもあるので、競争社会を皮肉ります。

一方の『資本論』は近代経済学の批判書です。経済学の知識が要求されます。

宮崎監督は経済学に詳しくなさそうです。でも、資本主義的な効率を考えずに作品づくりに没頭します。

私は、これをジブリの資本論と呼んでいます。ここでは自由な発想とフェチシズム(物象化)的な映画のカットへの執着が重要です。

(『アーヤと魔女』という作品は、そういった前提条件を共有しているので可能性を感じます。作品に足りないのはそれの深化です。)

複雑化する現代社会

米国司法省のグーグル提訴は、企業の独占と市場に関わる国家の問題が複雑になっていることに起因します。

企業の独占は、自由な競争を阻害しますが、それを解決する事は、グーグルのサービス低下に直結します。(グー社とグル社に分割?)

ピーター・ティールのように独占のみが価値を持つこともありえます。

(ティールは、リモート・ワークは何も生み出さないと語ります。創造的なものは形式化されたものからは生み出されません。一方、教育のリモート化は、コミュニケーションに注意すれば有効です。テクノロジーには向き不向きがあります。)

生きているのか、死んでいるのか

資本論の活性化によるオルタナティブな方法による改革は、確かにひとつの解決策かもしれません。

ただし前提条件が整わないと機能しません。マルクス主義が、困難な状況におちいっているのは憂慮すべきです。

今日では冷戦後の『世界史の終わり』と呼ばれる西洋民主主義の勝利は揺らいでいますが、かつて世界の3分の1だったマルクス主義も衰退しています。(政治哲学や社会学の分野では主流ですが。フランス現代思想。人間中心主義。ジェンダーなど)

資本論は生きた人間の「労働」が死んでいることに注目した思想です。(外部化、疎外化)

マルクスのどこが死に、どこが生きているか。それが問題です。

というわけで、結論として資本論をひとつの思想として配慮したうえで議論を行う。

そういった議論の場所として、ソーシャル・メディアは、特定のイデオロギーの大きさと強度が重視されてします。個人は流されやすいのです。

そういった危険性を前提に出発することが重要です。

最後に、宮崎監督にこの本をおすすめしたいと思います。

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