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脛骨高原骨折、手術後と入院中のリハビリ 1週間目

今から振り返るともう1年と5ヶ月も前の、無事入院した病院で脛骨高原骨折の手術をしてボルトを入れてからの話。ようやくnoteに書けるようになった。やっと自分の中で、1つの区切りのようなものがついたのかもしれない。

ぽつぽつとした日記形式で書いていく。日によって長かったり短かったりするのはきっと、私にとっての記憶の長さと相関している。

ちなみに今回私の場合、手術後2週間は絶対に右足をつけてはいけなくて、その後徐々に体重をかけることになった。まずはその2週間のうちの半分。

手術当日 木曜日
夕方。
手術が終わって部屋に戻ったとき、数日つけたままだったニーブレイスは外れて、変わりに循環を促す器具(血圧計のように定期的に収縮するもの)が両足に巻かれていた。あとはニーブレイスはいらないと主治医は言う。膝の角度を固定するための板が太もも裏に刺さるから痛くて、これがないのなら随分楽になると安堵した。麻酔はまだ効いていて、帰る両親を見送った。
夜。
徐々に麻酔が切れてくる。痛い。鎮痛剤を点滴してもらったが痛い。循環を促す器具が動くたびに膝が引きちぎれそうな痛みがする。泣きながらナースコールを押して外してもらった。それでもまだ痛い。この痛みは膝が伸びているせいだと朦朧する意識で判断して、ニーブレイスを持ってきてもらった。つけたら痛みは収まった。良かった。
その後本格的に麻酔が切れて、ニーブレイスをしていても痛かった。飲む鎮痛剤をもらってもいたくて、骨折した直後より痛くて、泣いても耐えられない痛みだった。ベッドの柵にしがみついて耐えるしかない。何度もナースコールを押して、あと5分で鎮痛剤打てますからと言われ、何度もナースコールを押しては早く鎮痛剤を打ってと訴えた。その後注射で薬を入れてもらって、数秒で眠りについた。

手術翌日 金曜日
朝から痛みでずっと泣いている。今日から車椅子に乗る練習が始まる。昨夜よりは少しマシだけれど骨が折れていたときよりずっとずっと痛い。部屋の清掃担当の人に「痛いなら看護師さん呼んで良いのよ」と言われたくらいだった。
午後、担当する理学療法士さんが来るも「泣いてるし!?」とドアを開けて仰天。今日は痛いことしないから、顔だけ覚えてくれれば良いから、と話ながら足の凝り固まった部分を解してくれた。歳が5つくらい離れた明るいお兄さんだった。明日は土曜日だけれど当番だからまた来ます、といって帰っていった。
この日は1日泣いていた。泣き疲れと痛みで意識を失って、15分後に痛みで目が覚めて、を繰り返していた。眠ったままでいいのに、どうして目が覚めてしまうのかと思った。

術後2日目 土曜日
泣きはしないものの飲む鎮痛剤だけでは痛みがひどい。手術した箇所がズキリズキリと重く痛む。理学療法士さんが来て、看護師さんと二人がかりで私を車椅子に乗っけたものの、とてつもない痛みで(痛すぎて何がどう痛いのかさえ分からなかった)これは無理だね、となる。無理だねと言われても車椅子上の私。3人揃って覚悟して、せーのでまたベッドに戻してもらった。痛すぎて叫んだ。個室で良かった。

術後3日目 日曜日
確かこの日くらいからニーブレイスをベッドの上では外せるようになった。外してもらってベッドで寝ていたら、鬱血防止に足を上げたほうが良いと先生から指示があった、と看護師さんに足首をクッションの上に乗せられ、膝が反り返る方向になり大泣き。すぐ下ろしてもらった。筋力低下と痛みで自力で膝下が動かせないから、地獄かと思った。
寝るときは、膝の外側が下になるように足を捻って寝ていた。本来ならばクッションを膝下に入れるべきなのだが、膝が可動域以上に曲がってしまう高い枕しか病棟になかった。

術後4日目 月曜日
動かなければ随分痛みは良い。車椅子練習に来た理学療法士さんに「いける気がします!」と言って、ニーブレイスをつけてもらって挑戦。無事車椅子移動を果たす。本来なら手術後のニーブレイスは不要らしいが、私は膝下の自重で膝が引きちぎれてしまうような痛みがずっと続いて、立つとか座るとか、重力がかかる動作にはニーブレイスでの固定が必須だった。それから血圧を測りながら、片足で立ち上がれるかの練習。寝たきりが続いていたので数秒立つので精一杯だった。

その後ベッドのシーツ交換を兼ねて、久しぶりに外の景色を見るということで車椅子ごと廊下の窓際に移動した。「ナースコールのボタンがないので、早く戻りたくなったら言ってくださいね」と言われる。しばらくは久しぶりの景色を楽しんでいたけれど、段々具合が悪くなり、西日の眩しさのせいか片頭痛まで起こして声が出せなくなった。定刻に(20分だか40分だった気がする)来た看護師さんにベッドまで戻してもらったが頭痛は収まらず、食事もやっとで暗い部屋で死んだように横になっていた。普段なら片頭痛の薬が飲めるが、今回はそうはいかなかった。

術後5日目 火曜日
かねてより希望だった大部屋に移る(個室は毎日かなりの額がかかってお財布がつらい)。4人部屋で、他の患者のために携帯電話の通話はもちろん、面会者との会話も部屋では禁止のはずが、隣にいるご老人(カーテンで誰かは見えない)がご夫婦でずっと大声で話している。ほか2人もご老人で耳が遠いようで、看護師さんと大声で話している。1週間近く静かな個室にいて、かつ昨日起こした片頭痛を引きずっていた私には音とストレスが重い刺激で、片頭痛を再発した。頭が痛いと泣いてばかりいた。多分、続く痛みで精神も弱っていたのだと思う。
お手洗いに移動するためのニーブレイスは看護師さんがつけてくれるが、ニーブレイスを足の下に通す度に足首を掴まれ、膝が反り返り、激痛に叫んでばかりだった。恐怖でしかなかった。理学療法士さんに伝えたら、それは看護師が分かってないと怒っていた。正しくはふくらはぎを持ち上げる、と。それからは間に合えば「ふくらはぎを持ち上げてください」と言った。たまに「足上げますよ」と言わずに持ち上げる看護師さんもいて、決まって足首を掴まれ、私は痛みに叫んでいた。外科病棟だときっと、この程度の患者の叫びは慣れっこなんだろうなと思った。

午後、骨折後初めてシャワーを浴びる。とてもとても生き返ったが、とてつもなく大変だった。せっかくなので以下詳細。

【前提:足の角度が30度(真っ直ぐの状態が0度でそこから膝下がどれだけ曲がるかで測定する)しか曲がらず、真っ直ぐにも伸ばせない(30度固定と思っていただければ)・右足を床につけるのは厳禁・ニーブレイス(服の上からつける)がないと足が微塵も動かせない】
まず看護師さんに車椅子でシャワー椅子のすぐ側まで連れてきてもらう。

左足で立って、看護師さんに支えてもらいつつ、滑らないよう気を付けながらシャワー椅子に座る。そして右足をもうひとつの椅子(実は天板が滑りやすいもののほうが良い。ちょっと怖いが衣服の着脱が楽)の上に乗せて、膝が曲がったり伸びたりしないような体制を取る。

ニーブレイスを外して、あとは膝を曲げ伸ばししないよう気をつけながらシャワー。その後、着替えが濡れてしまうのは諦めて、ある程度タオルで椅子ごと身体を拭き、椅子に座ったまま着替える。ニーブレイスをつけたらようやく動けるので、車椅子に乗り、退場。

と、とにかく着替えがとても大変だった。これは退院してからもしばらく続いて、上記椅子2つは今でも実家にある。

つづく。

2020/11/22 追記
ブログを作りました。新規記事はこちらがメインです



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