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気になるこの日

11月10日が来るといつもソワソワして仕方がない。

それは、僕が猛烈に初恋したあの人のバースデーだからだ。これまでに何度か忘れられないというエピソードを綴っているが、あれから何か大きな変化があったわけではなく、消息は未だにわからないまま。どこかで何事もなく生きててほしいなんて希望を見出したりも。

探したり、思い出したり

人混みの中で探そうとしたり、地元を旅してみたりしたり、彼女が好きを公言する「あいみょん」のライブで探してみたりしたが、結局会えないまま。彼女と同じ苗字、あるいは下の名前を見かけるたびにそれを思い出してしまうこともあったりするし、誕生日と同じ数字が並んでいる電車を見てそうなることも。

一歩踏み出せず、夢にも

最近では夢にも頻繁に出てくるようにもなった。忘れようにも忘れられないし、出会いが人より少ない。出会いがあっても、過去を思い出したり、自分からアクションを起こすことに極端な恐怖を感じることでなかなか新たな恋愛が芽生えてこない。「ヨルシカ」など音楽で「恋」することはあるのに。

なぜこだわるか

今では「マッチングアプリ」が流行ってるらしいし、そういう出会い方もあるし、音楽方面で好きなもの同士で繋がる方法だってある。でも、僕はこだわってしまうのはいくつか理由がある。

昔はコミュニケーションに怯えて、親を困らせたり、傍若無人で孤独な人を「親友という体」で接したり、その人や親から言われることを真に受けて、反抗心を捨ててしまったりしていた。それに自分と相性の良い人を探そうとせず受け身になってしまっていた。

そんな中で中学生でよく話しかけてくれた彼女は少しばかりは自分にとっては希望のようで、誰よりも一緒にいて楽しかった。言ってみれば“太陽”のような。でも、一緒に遊ぶことや誘うことをしたことはなく、高校生でいきなり告ってしまい撃沈。違っていたし、早過ぎた、焦り過ぎた。そのまんまアプローチをかけても「怖い」と言われるだけなのもうなづける。

復活し、また絶たれ…

一時は成人式二次会で話しかけられて、安心感が出て、彼女の路上ライブを見に行ったりしたものの、3年前を境にめっきりやらなくなった。インスタアカウントも消され、それっぽい新垢をフォローしようとしたら断られた。最早これまでかと涙を飲んでしまったが、なぜか諦めきれず思い続けている。

放っておいても

「もういいだろ」「自分のことやれよ」と言われるのが大半だと思うし、自分でも記事を書いて情けなくなる。打ち込むを指も強く躊躇していたし、いろんな怖さで気分が悪くなる。でも、誰に話したところで肯定されるかどうか分からないし、否定されたら逆効果というのがありうる。かと言って、放っておいても消えるわけではないし、一旦書かないと逆に自分を苦しめ続けることにもなる。それに呪ってしまいかねない。

呪ってはダメ、祈りなさい。

と今日のラジオでパワーワードを聴いてストーンと腑に落ちたぐらいだもの。

そんな僕だから、幸せを願うのと誕生日を祝うことだけは全力でさせていただきたいし、せめて「心の便秘」はスッキリさせたい。そして、繰り返しにはなるが、生きてまた会いたい。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。