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ここでしか明かせないから続けてる。

血管年齢の結果で余計に不安を感じるようになった今日この頃。野菜を多く摂ろうと味噌汁を作ったり、外食も野菜多めをチョイスするなどして、食からストレスフルを減らそうと思っている。そんな僕のストレスを考えていると、「昔から辛いことや自分のアイデア、やりたいことを口にしないことが多かった」という背景を考えるようになる。これが少しnoteを続ける理由にもなっている。

封じ込めた背景

昔から親の前で勉強に関することを中心に弱音を吐こうとすれば、否定されることが多かったし、反抗しようとしたら怒鳴られた恐怖で気持ちを無理やり押さえつけてきた。外に出ても、「親友(と呼んでた人)」は闇を抱えて自分以外のことに興味がないからか基本的に茶化されるか世間知らず過ぎて何もわかってくれなかった。SNSを始めてから辛い気持ちを連投し続けたらリアルで炎上してしまったということもあった。これらが「辛いこと」「アイデア」「鉄道員以外でやりたくなった仕事ややりたいこと」を封じ込めることとなって、今でもこれが自分にとって当たり前だ。

消えない、腑に落ちない

とはいっても、辛いことは辛いわけで自己完結で消えるはずがない。言わないと何も好転すらしない。

言ってみるもんだ

なんてこともありはするがあまりそういうことが少ないし、むしろ「言わなきゃ良かった」「やらん方がマシ」と思ってアクションせずに現状維持というのが多かった。なかなか腑に落ちないというのもまた辛い。

noteを始めた変化

それらが今でも継続しているが、noteをやり始めて心の内や辛い過去を自分の言葉、聞いた表現、本を読まない僕なりにやってみると意外にも辛辣な言葉を聞かない。むしろ、そういう複雑な心内を綴ってるnoteの記事の数々を見て

こういう考えしてる人ってこんなにたくさんやあるもんなんや

とホッとした。実は今でも、毎日続けられている理由にもなっている。

傷ついても、大したことなくとも

写真につけた無知な一言を理由にした意見で傷ついたことはあったし、仕事にしようとは思わないし、サポートも1件だけだし、スキも他人に比べれば大したことないと思う。でも、それ以外はそれほど嫌なことは一つもないに等しい。さらに、綴る心内を改めて見ると病みまくったあの頃より大きく変化していたり、他人の幸せをスキと思えるぐらいにはなった。それに良い繋がりも多く生まれたし、自分を捨てたもんじゃないとも思えた。本気で自己満でもいいとも思えるから。

まだまだ、リアルで心内は明かしていない、あるいは本当のことを言っていないことは山ほどあるが、この居場所を見つけて続けられているだけ僕は生かされているように感じる。こういうのを始め、旅の思い出、ニュースなどで思うことなどをこれからも続けていきたい。

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