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議論とは何なんだろうか

みなさん、こんにちは!まっきーこと石牧です。5月もいよいよ終わりに近づいてきましたが皆さんいかがお過ごしでしょうか。最近天気が悪くて、梅雨の時期が近いのかなーなんて思っております。しかも暑い!!私は病気みたいに汗をかく人間なので、暑いのは大嫌いなんですよね。。。じめじめして嫌な季節ではありますが、なんとか気分だけは元気でいたいものです。

っということで、今回も早速まいりましょう♪

1. LGBT報道を見ていて感じた違和感

最近、自民党の衆議院議員がLGBTなどを巡って、「生物学上、種の保存に背く」みたいなことを言って叩かれているみたいです。なんか発言に抗議しようみたいな署名をしているのも見ました。こういう報道をみるといつも私はどうしていけないんだろうって思ってしまうんです。

念のため言っておきますが、LGBTの人を差別するつもりは毛頭ないですし、同性婚にも全く反対していません。自民党のしかも国会議員という立場の人がする発言としては不適切だとも思います。でも、意見としてそれを思うのは自由だし、発言すること自体は問題ないと思うんです。人間を単純に生物としてとらえるのであれば、子孫を繋げられなければ種は途絶える訳ですから、言っていることも理解は出来ます。

最近はほとんどテレビを見なくなってしまいましたが、たまーに見ていると本当にこういう言葉尻を捉えたどうしようもない批判にあふれていて、とても違和感を覚えます。私は自分が障害者なので、障害者も健常者も生活しやすい世の中になって欲しいと結構本気で思っています。でも、その上で、障害者がいることで公共サービスの負担が重くなっていると感じる人がいるのもおかしな話ではないとも思っています。

2. 極論を許容しないことの危うさ

もし、社会に障害者がいなければ、社会保険料の負担はもっと少なくすむかも知れない。年金生活者がいなければ、現役世代の負担する年金は少なくてすむかも知れない。少子化を手っ取り早く解決するためにはLGBTとか多様性なんて無視して、とにかく子供を産んでもらうのが手っ取り早い。すごく極端な意見だし、まったく同意しないけれど、そういう風に考える人が社会には一定数いるんだと思います。でも、こういう意見を言った途端にみんなで叩いてその意見を否定する。どうしてそんな発言をしたのか、その発言の真意を聞くことなく頭ごなしに否定する。

そもそもなぜLGBTは種の保存に反するなんて発言をしたのか。理由は分からないので想像するしかない。

例えば少子化対策に悪影響だと思っているのなら、セクシャルマイノリティーは社会全体からみたら恐らく10%程度なので、社会全体から見たときにそこまで影響はないと言えるかも知れない。

人口減少を懸念しているのであれば、人口が減っていくことを前提に社会インフラや公共サービスを維持していくのか、生産性を上げるのかを考えないといけない。

そもそもLGBTのことをよく知らないで印象だけでものを言っているのなら、当事者がどういう人たちなのかを知ってもらわないといけない。

言葉尻だけとらえて批判されることで、思っていることが言えなくなる方が気持ち悪いと思う。それに、相手が腹の中で何を考えているか分からないのはすごく怖いと思う。

3. まとめ

すいません、何言ってるか分かりませんよね。何となく言いたいことをまとめます。私は、どんなに極端な変な意見もテーブルの上に出して、その上で議論するのが健全だし、結果的に分断も生まれないんじゃないかと思う。言ってもらった上で、その前提は間違ってるよねーとか、意見は違うけどこういう所は協力できるよねーっていうのが本当の意味での議論なんじゃないかと思う。それが真の意味で多様性を認め合うことなんじゃないかな。すごく手間はかかるし面倒だけど、そういう地道なことをやっていかない結局誰かが納得しない形で我慢しないといけない社会になってしまう気がしています。

ただ、こういうことを誰も言っていないので、私がめちゃくちゃズレているのかも知れない。そのときは自分が変人ということですね。。。

今日はこんなところで。

楽読のインストラクターやってます♪興味があったらぜひ。


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