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【日本史#04】飛鳥時代1 - 聖徳太子【歴史】

本日は飛鳥時代1についてです。

飛鳥時代と言えば聖徳太子ですが、皆さんもよく知っている聖徳太子という名前は実は本人が亡くなってから呼ばれるようになりました。

うろ覚えで確かかは分かりませんが歴史上の人物で偉い人、特に天皇は退位してからよく知られる〇〇天皇の名称になると何処かで聞いたような覚えがあります。

廐戸皇子(うまやどのおうじ)生まれる

聖徳太子は亡くなってからそう呼ばれると前述しました。では生前はどのように呼ばれていたのかと申しますと、574年に馬小屋の前で生まれたから厩戸皇子と呼ばれています。

ちなみに聖徳太子の叔母は史上初の女性の天皇となった推古天皇で、その摂政として政治を行いました。

聖徳太子の政治

摂政として様々なことをしましたが、有名なものが2つあります。

冠位十二階

603年に制定されて648年まで行われました。身分ではなくその人の才能や能力によって位を決める制度。貴族など家柄によらず良き人材は良き位を平等に与えるというもの。

十七条の憲法

604年に道徳や心構えを説いた日本で初めての憲法。Wikipediaによると内容は貴族に対する道徳的な規範が示されているそうだ。

聖徳太子は民と貴族の隔たりを埋めようとしていたと見て取れますね!
その心は仏教に注力していたことが大きいです。(次の記事で詳しく紹介)


小野妹子を遣隋使で中国へ

607年に大陸の他国の文化を取り入れることが我が国の発展に必要だといち早く気付き、遣隋使を中国へ送ります。

隋とは当時、中国で最も力を持っていた国の名前です。

日出ずる国

調べてみると遣隋使の小野妹子に持たせた隋の王様に宛てた手紙に
「日出ずる国より、日没する国への手紙です」
と冒頭に書かれており、前半が日本のことで後半が隋のことです( ̄▽ ̄;)

隋が日が沈む国!?
縁起が悪い!

どうしても隋と関係を結びたかった聖徳太子は「日本の国は隋のレベルで対等ですよ」と意図があったようです。隋の王様は怒りましたが交流が断たれることはありませんでした。

渡来人からきた仏教。次の記事はそれを巡って内乱が勃発します!


確認問題

  1. 政治を幼帝・女帝に代わってする役の名前は

  2. 史上初の女性の天皇の名前は

  3. 聖徳太子の能力によって位を決める制度の名前は

  4. 607年遣隋使として誰を送った?





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