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音楽は素晴らしい、という話

こんにちは。

前回のnoteで、バンドをすることによって人生がより豊かになるということを書きました。

要は、バンドをすることによって人と人との交流が必ず発生するため、コミュニケーションスキルが向上しますというお話でしたが、最後は音楽サイコー!で締めました。

内容が無ぇ!

なので今回は、音楽が常に側にあった自分の人生を振り返ってみようかと思います。ものすごい長文なのでほとんどの方は最後まで見ないかと思いますが興味がある方は最後まで見て頂ければ幸いです。

いくつか章に分けていますが、事細かに書くとキリがないので、その時々でインパクトのあったことのみ書きます。

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はじめに

自分はプロのミュージシャンではありません。あくまで音楽は趣味として楽しんでいます。


生まれ

福井県出身の父親と大分県出身の母親の間に生まれました。

生まれも育ちも兵庫県です。(現在は大阪在住

父親と母親は社内結婚なのですが、たまたま2人の共通の趣味がありました。

父親はギターを、母親はピアノをしていました。いま思えばこの影響は大きかったのかもしれません。


幼稚園から小学生まで 音楽との出会い編

小さい頃は父親の勤務している会社の社宅に住んでいました。社宅なのでもちろん父親の勤務先の会社の家族がたくさん住んでいて、子ども同士の年齢が近いということもあり、家族同士が仲良しということがありました。

そんな中、幼馴染といえるお兄ちゃんが何かをすると自分も真似をして始めるという時期がありました。外で遊ぶと言ったぼくも!ゲームすると言ったらぼくも!

そんな感じでそのお兄ちゃんが言いました。ピアノ始める!ええ、迷わず叫んだのを覚えてますよ、ぼくも!と。

自分の母親もピアノ経験者だったので反対されることもなく、ピアノを習い始めることになりました。これが音楽とのファーストコンタクトでした。

街中によくある、全国展開しているようなピアノ教室とかではなく、お姉さんひとりで自宅を教室してやっているピアノ教室へ習いにいくことにしました。今でも覚えてます、バイエルから始めたのを。。

レッスンが終わり自宅に帰って練習をするのですが、母親がまさかの鬼スパルタで、毎日泣きながら練習したのも今でも覚えています。ただ、頑張って練習して、定期的に開催される発表会で上手く弾けるとそれはそれで良い達成感を得ていました。

小学校を卒業し、中学校に入学のタイミングで社宅から戸建に引っ越すことになったので、通っていたピアノ教室をやめることになりました。そこでピアノとはさよならに。

正直なところ、ピアノがなかなか上達せず、始めのころのモチベーションも保てず、いつかやめたいなと心のどこかで思っていたので、引っ越しを理由にやめれたことが少し嬉しかったのを覚えています。


中学生から高校生まで ギターとの出会い編

中学1年生のときに、またしても幼馴染のお兄ちゃんと遊んでいるときです。ここで衝撃的な出会いがありました。

お兄ちゃんが最近ギターを始めてん!というのです。父親が昔ギターをやっていたので、アコギ(アコースティックギター)が我が家にありましたので、実際に弾いてもらいました。

震えました

かっこええ、、なんやこれ、、やばっ、、

叫びましたよ、やるー!!って

そこからしばらく父親の錆びれているアコギでジャカジャカ練習しました。始めはコードを覚えることに必死で、AmやDやEを駆使して歌謡曲を練習したのを覚えています。

そんな中、突如として現れる壁であるF!

人差し指1本で6弦全て押さえる必要があるコードです。
これは難しいで〜と父親にも言われ、見ている本にも「ここで挫折する人が多い」と記載されていました。

それがね、苦なく出来てしまったんですよ。え、普通に鳴ってるやん?と

昔やってたピアノは全然できなかったけど、ギターできるやん?と


あれ?おれ天才ちゃう?と20世紀最大の勘違いをしました。

これにより、ギター熱が爆進し、エレキギターの初心者セット(Fenderのストラト)を両親にゴネて買ってもらい、高校生を卒業するまでほぼ毎日練習してました。

色んな曲が弾けるようになり、割と自信をつけていました。

ただ、このときは家でひとりでギターで遊んでるだけでした。

(余談ですが、高校時代はこんな生活をずっと送っていたので、今となっては暗黒時代となっております


大学生 バンドとの出会い編

大阪の私立大学に入学しました。自分ももう大学生なので何か楽しいことしたいなーと思っているときに、とあるサークルに勧誘されました。

「どもー!軽音楽部ですー!興味ないですかー!?」

ああ、バンドか、、そういえばギターやってるわ俺、、

大学のキャンパス内に軽音楽部が所有している部室とスタジオがあり、いま実際にスタジオで練習してるから見学に来てや!と言われたので、まあ大したことないだろうという冷やかし半分の軽い感じで見学に行きました。しかしそこには、予想だにしなかった光景がありました。。

激しく歪んだギターの音!地響きのように唸るベースの音!耳が吹っ飛びそうな爆音のドラム!そしてカラオケとはレベルの違うボーカル!

またしても震えました。

あのときはそう、メタリカのコピーを見ました。J-Rockしか聞いてこなかった身としては当時はメタリカすら知らなかったです。(この大学の軽音楽部はコピーバンドが主流でした

演奏が終わったあとに先輩たちが、めっちゃミスしたわー、このフレーズむずいわーとか言ってましたが、いまの自分にはそれすらわからないレベル、次元が違う。

ハッキリ言って衝撃でした、自分がいままで家でやっていたのはなんだったのか、完全に井の中の蛙状態とでもいうものか、これがギターか、これがバンドか!これが音楽か!とまで思いました。そのまま入部届けにサインして帰宅したのを覚えています。

人生初のギターをアンプから音を出す、ということを経験したのも軽音楽部に入ってからです。
え、なにこのかっこええ音、アンプから音出すだけで超絶上手くなったみたいに聞こえるやん!と感動しました。

そこからというもの、大学生活は軽音楽部に始まり、軽音楽部に終わりました。

定期的に、他大学の軽音楽部とジョイントライブや学園祭ライブというものがありました。出演枠は限られてるので部内のオーディションに勝ち残らなければなりませんでした。

そのためにみんなで必死に練習して、各パートの粗探しをして意見言い合って喧嘩して居酒屋で仲直りして。オーディションに臨んでライブをするチャンスを掴んで大勢の前でライブして打ち上げして、みんなで笑って反省会して。

まさに青春してました、本当に楽しかったです

ただ、音楽はものすごくお金がかかる趣味です。

機材代、スタジオ代、ライブ代、打ち上げ代が必要になります。普段の生活費から削ってやりくりするので、バンドマンはお金がない、につながります。もうね、こればっかりは仕方ないです。(バンドをやっていく上で必要なお金はまた別noteを書こうかなと。)

このころにいろんな音楽や人に影響を受けて、幅広い音楽を聞くようになり、若干機材厨(機材マニア)になったりしました。ここもギター限定ですが、オススメ機材はまたnoteで書きます。

ちなみに一番楽しかったコピーはpanteraでした!大学でメタラーになりました。懐かしいな〜


社会人 オリジナルバンド編

就活時期、当時は売り手市場だったため、のんびりやっていたらギリギリまで内定もらえませんでした。なんとか内定もらえてまともな雰囲気のありそうなIT企業(ソフトウェアメーカー)に就職しました。

そのころはバンドを続けることを最優先に考えていたため、大阪での就職しか考えていませんでした。働き出してからもモチベーションはバンドを続けるため、バンドの資金作りとしか考えていませんでした。なので新入社員ながら仕事をおろそかにしていたのは今でも反省しています。。

この頃はもちろん大学を卒業していたため軽音楽部も引退していました。でもバンドは続けたいということで、当時の軽音楽部で仲が良くて上手いメンバーに声をかけてオリジナル曲のバンドをやろう!と声をかけました。

軽音楽部に所属しているときはコピーバンドが主流でしたので、曲を自分たちで作って演奏しようというのは未経験でしたが、憧れでもありました。自分たちのCDを作って、あわよくば売れたい!とまで考えていました。

当時の自分たちはLinkin ParkやLimp Bizkitといった、いわゆるロック系が好きで得意だったのでそういう曲を目指して作ろう!と方針は固まってました。実際に数曲作り、簡易的なCDも作成し、ライブハウスに出演依頼させてもらってライブもやりました。

楽しかったですが、やはりメンバーによって出てくる温度差、バンドマンあるあるです。もっともっと頑張りたいというメンバーもいれば、そこまで頑張りたくないというメンバーもいます。まあよくあることなんで、またか、、という感じであっさりバンドは解散してしまいます。

ですがそこからバンドマンはやめたくないというのがあり、知らない人とバンド組んでみよ!と思うようになり、ネットのメンバー募集サイトを漁りました。

もともと人見知りだった自分ですが、こういうところに飛び込んで初対面の人と打ち解けてバンドしてとかを何回かしてると、慣れてくるもんです。このときに東京や埼玉、広島といった遠征も経験しました。いろんな人とスタジオ入り、友人もたくさんできました。貴重な経験だったなと思います。

そんななか、とあるメタルコアバンドに加入しました。このバンドはいままでとは違う特別な経験をさせてもらえました。

当時はメタルコアやピコリーモといったジャンルが一世風靡していて、女性ボーカルのメタルコアということもあり、当時は珍しがられました。曲を作成しレコーディングをしてライブ時にCDを販売すると、割と売れました。ライブハウスからも声をかけてもらったり、お客さんも割とつきました。またそのときはtwitterやMySpace(懐かしい)といったSNSが流行していて、色んなバンドの評判がすぐネット上にあがるような時代に入っていました。

あ、余談ですが、バンドマンとお客さんとの関係性ですが、友達みたいなもんです。よく勘違いする人がいるんですが、有名な方々のように、

大勢の群がるファン「きゃー!○○さんー!私を抱いてー!」

こんなことは一切ありません。学校で友達に会うような感じで普通におしゃべりしたりするだけです。たまにファンを食うとか、気を違えてることをする奴もいるようですが、そんなのはごく一部のクズだけです。

自分たちのバンドもその波に上手く乗ることができて、外人バンドの来日ライブに出演できたり、結成1年しないくらいでなんとフェス出演を果たしました。このとき思いました、人生何が起こるか分からんな、と。

このバンドも人間関係が色々あり、わりと早めに解散しました。ですが、自分たちにお客さんがついたり、フェスに出たりと、2度と経験できないようなことを経験できました。


現在

いまでもバンドは継続しています。大学時代の軽音楽部の人たちとは今でも仲良くしてもらってるので、声をかけてバンドしてます。またコピーバンドになってますし、みんな結婚して家庭をもったりしてるので月1回集まれるかどうかという感じですが、のんびり活動してます。

ライブもしてます!年1回くらいのペースですが、同年代の人たちが集まってワイワイするのは本当に楽しいです。


一時期は音楽で飯食えるんちゃう!?とか勘違いしかけてた時もありましたが、世の中そんなに甘くありません。継続していたらどうなっていたかわかりませんが、これもまた運命です。後悔はありません。


バンドの良いところは、年齢性別関係なく出来ることです。

一生続けれる趣味を持ったぼくは幸せだと感じています。


最後に

興味はあるけどなかなか手を出せない、もう年もとったし今更、という方は絶対にやってみてください!めっちゃ楽しいですよ!人生変わりますよ!

最近はYoutubeとかで初心者向け動画とかもたくさんあるようなので、始めやすい環境ではあるかと思います。

長々と書きましたが、最後までご覧頂き、まことにありがとうございました。繰り返しですが、音楽は本当に最高です!このnoteでどなたかの人生の後押しをできたら幸いです。

ではまた!

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