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俳句チャンネル ~歳時記の時間軸 編~

【はじめに】

今回の記事では、現代『歳時記』に含まれる「陽暦と陰暦」「新暦と旧暦」という2つの時間軸についておさらいしていきたいと思います。

『歳時記』に馴染みの薄い人は当然として、普段から『歳時記』に慣れ親しんでいる人でも普段は意識することの少ない「暦」の違いについて、事例を交えつつご紹介していこうと思いますので、ぜひお楽しみ下さい。

記事を書くキッカケとなった季語

この記事を書くキッカケになったのが、2020年8月6日にYouTubeにアップロードされた「夏井いつき俳句チャンネル」の動画です。

『【助詞シリーズ③:前編】カットの切り替えで季語を強調してみよう』の2分頃に「陰暦と陽暦」について組長が分かりやすく説明しています。

陰暦と陽暦でイメージの変わるタイプの季語がある。

例えば、「六月」という季語。
正岡子規の句で『六月を奇麗な風の吹くことよ』という俳句がある。
陽暦で6月と言えば、梅雨真っ只中だが、陰暦六月と言えば、7月下旬から8月頃に当たることが多く、梅雨明けの夏の陽気という印象が強いと解説。

陰暦と陽暦でだいたい1か月程度の「ズレ」が生じる。と組長は仰ります。

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陽暦の6月と陰暦の六月で、季語のイメージが違うと、句の持つイメージが全体的に異なることを説明しています。

そして、この(本来は脱線部分)話をするキッカケとなった季語『五月雨』も、文字面では「五月」とありますが、陰暦五月は陽暦6月に近く、現代の「梅雨」のことを指す(同様に「五月晴」も、≒「梅雨晴」)ことを説明。

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今回は、「陽暦」と「陰暦」での違いに着目しつつ、『歳時記』に組み込まれた複数の時間軸について、整理をしておこうと思います。

現代の『歳時記』の季節の分類は、「太陽暦」

俳句の『歳時記』は、春夏秋冬に新年を加えた5つの季節で分類されることが近現代では一般的になっています。
特に、春夏秋冬の区分をどこに設定しているかというと、「立春」「立夏」などです。ニュースなどでも良く取り上げられ、「二十四節気」の一です。

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自分も、最近まで少し誤解していたのですが、「立春」や「立夏」などは、太陽の黄道周期に基づいて決められるものなので、『月の満ち欠け』による陰暦ではなく、「陽暦」に基づいています。
現代の『歳時記』を大きく分ける時間軸は実は「太陽暦」なのだというのが一つ押さえておきたいポイントです。

だから太陽暦ベースの季語は悩まずに済む

なので、太陽暦に基づいて日付などが決まる季語は、原則、季節を迷わずに済みます。 例えば、2020年を例に取ってみますと、

2月4日 : 立春(ここからが「春」)
2月14日 : バレンタインの日
2月19日 : 雨水(これも二十四節気の一つ)
3月20日 : 春分
4月1日 : エイプリルフール、四月馬鹿
5月3日 : 憲法記念日
―――――――――――――――――――――
5月5日 : 立夏(ここからが「夏」

など、寒いイメージの「バレンタインの日」や、初夏の陽気のことも多い「憲法記念日」も、「春の季語」に分類されるのです。そういう立て付けになっているので、ここはあまり揺らぐことはないでしょう。

もともとは「陰暦」がベースだった

ただ、日本が「太陽暦」を導入したのは、明治維新以降、1872年に明治政府が「太陽暦」を導入して以降です。それまでは俗に「旧暦」などと呼ばれる『太陰暦』(月の満ち欠けが基準、厳密には、太陽の動きを元に「閏月」を入れる調整を行っていたため『太陽太陰暦』に分類)をもとにして、季節感が長年を掛けて構築されてきました。

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ウィキペディアの『歳時記』の項から、そうした部分を引用します。

1872年12月より日本に太陽暦が導入され、歳時記の内容に大きな混乱をもたらした。1874年の『俳諧貝合』が陽暦による最初の歳時記であり、同年序の『ねぶりのひま』では四季とは別に新年の部を立て、立春を2月において陰暦から1か月遅れで調整しており、現在の歳時記の多くがこの方法を引き継いでいる。

なので、少なくとも、「江戸時代以前」からあった季語に関しては、陰暦に基づく季節感が根底にあることを忘れてはいけません。

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例えば、前述「五月雨」は、平安時代頃から和歌に詠まれた記録があるなど太陽暦の5月が日本に定着してからよりも遥かに古く、遥かに長い歴史があります。
同じく子規が詠んだ「六月」の句も、(正岡子規が1867年生まれで、物心付いた頃には太陽暦が公式だったとはいえ)俳句の世界でもまだ陰暦が今より遥かに身近だった時代背景からして、旧六月を指していたと想像されます。

陽暦と陰暦を併存させた現代の『歳時記』

現代の『歳時記』は、もともと近代以前に培われてきた陰暦をベースにした季節感を、新暦に(無理やり)合わせたという側面があると思います。

それは、俳句『歳時記』だけに限らず、明治以降の民衆が、『七夕』や『盆』を月遅れにしたり、日付を新暦に置き換えたり、旧暦準拠で開催したりと、催し物ごとに対応がバラバラだったことと似ているでしょう。

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旧暦七月七日(新暦ならば8月後半など)に行われてきた『七夕』を、新暦7月7日に開催することで実質的に1か月以上時期が早まり、「梅雨真っ只中で、七夕なのにお星様が見えない」ことになったことと近い気がします。

「◯月」、「五月雨」、「夏深し」などの季語を、使う時(作句)も、鑑賞する時もそうした背景を把握した上で行う必要があると思います。

( 参考 )新暦の出来事を旧暦で表すと?

注意するにしても、新暦と旧暦に、どのような時間軸のズレがあるかを想像できないと、実感も湧かないかと思いますので、参考までに、以下の表を作りました。 新暦の出来事を旧暦に換算すると? という表です。

~春~
旧暦2月7日 2011年3月11日 東日本大震災
旧暦2月26日 2019年4月1日 新元号・令和発表
旧暦3月27日 2019年5月1日 元号・令和に改元
~夏~
旧暦5月23日 2018年7月6日 西日本豪雨
旧暦6月11日 2018年7月23日 平成最高気温41.1℃
~秋~
旧暦7月8日 1945年8月15日 終戦記念日
旧暦7月21日 1923年9月1日 関東大震災
旧暦8月30日 1954年9月26日 伊勢湾台風
旧暦9月5日 1964年10月10日 東京オリンピック開会式
旧暦9月14日 2019年10月12日 東日本台風(台風19号)
~冬~
旧暦12月17日 1995年1月17日 阪神・淡路大震災

気象災害などを中心に取り上げましたが、こうした時期に発生したんだとの時間軸を知る「入り口」にして頂ければ幸いです。

【おわりに】

ここまで陰暦と陽暦などの違いについてざっくりとお話ししてきましたが、実際に句を作ったり、鑑賞したりする際にもう一つ重要になってくるのが、句の作者が「季語」を理解して使っているかという点です。

例えば、「六月」という季語を使った句があったとします。作者が江戸時代の俳人などであれば、ほぼ間違いなく陰暦六月のことを前提として作句したものだろうと想像が付きます。

ただ、例えば、国語の授業や宿題として小中学生が作った俳句に「六月」とあれば、陰暦を想定して俳句を作る子は全国見ても極めて稀で、その殆どは間違いなく陽暦6月を前提としているに決まっているでしょう。

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微妙になってくるのが恐らく昭和以降の俳人たちの作品となってくるのでありましょうが、いずれにしても、同じ季語でもどういった意図で作者が採用したかを正しく理解する必要があります。

そして、俳句初心者や子供に「六月という季語は旧暦で云々かんぬん」などと説教を垂れても、タイミングや理解度を見誤っては逆効果になってしまうでしょう。

最終的には、「誤用も用例の一つ」という方向に収斂していくもの、かとは思いますし、古い習慣は廃れていくものかも知れません。
しかしだからこそ一歩踏み込んで『歳時記』の中に生き残っている伝統や文化を「理解」することは決してマイナスにはならず、ご賛同頂けるのであれば、それを二十一世紀に伝えていくお手伝いを俳句などを通じて、していただければと思う次第です。

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『歳時記』も長い時間を経て、近現代にフィットさせようとしてきたものですから、近現代の日本人らしさに溢れた物になっています。
俳句や『歳時記』の面白さの一つを知るキッカケに、この記事がなってくれれば嬉しいです。ではまた次の記事でお会いしましょう、Rxでした。

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