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2016年の振り返り

2016年を振り返ります。

【映画】
下半期には「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅で」が立て続けに話題をさらっていきました。それらももちろん感動したのですが、ここはあえてそれ以外のものを。

「FAKE」 森達也
ゴーストライター疑惑で世間を騒がせた佐村河内守を森達也が追ったドキュメンタリー。「作者」という一次存在を決して排除することができないあらゆる「フィクション」が、何重にメタ化を重ねても到達することができないであろう「虚構性」の深淵に、「ドキュメンタリー」であるからこそ届き得るのだと考えさせられた作品でした。

「ディストラクションベイビーズ」 真利子 哲也
なにも解決しようとしておらず、目的を持たないただ純粋な暴力が徹底して描かれることに衝撃を受けました。暴力に対する善悪の判断がいかに恣意的であるかが暴かれ、感情が宙吊りにされたまま、柳楽優弥の不敵な笑みが最後に残ります。

「光の墓」 アピッチャッポン・ウィーラセタクン
日常と非日常の落差によるカタルシスは排除され「映画的」なドラマ性は弱いようにも見えましたが、時間の流れの絶妙なコントロールによって没入感と心地よさがすばらしく演出されていました。BGMがほとんどなく、環境音を拾った音響が使用されているのも、様々な繊細さをすくい上げるためにとても効果的だったように思いました。
12月からはアピチャッポン・ウィーラセタクンの展覧会も始まっていて、関連企画の上映会も多数開催中。今、一番見られる時期じゃないでしょうか。


その他、「KING OF PRISUM」(キンプリ)の応援上映が話題に。また「シン・ゴジラ」などでも発声可能上映が催されるなど、映画の楽しみ方がいろいろ広がったようです。


【舞台、ライブ】
「劇的なるものをネグって」
 危口統之(悪魔のしるし)
演出家である危口統之の(たぶん)はじめての展示形式の個展。古代から現代にいたる「劇場」についての考察が、写真やテキスト(というか板書的メモ)、ちょっとした立体物などによって展開されていてそれらがとてもおもしろい。また会期後半にはパフォーマンスも行われてこれを観劇。演劇の「正統」な歴史から、「劇的」なる物を段階的に「ネグ」レクト(無視)してきたのだ、という観点を取り出して、その末端に自らを配置してみるという、飄々としながらも鋭いパフォーマンスを見せてくれました。
彼の作る「構造物」の造形は舞台美術などで見たことがありましたが、この展覧会では平面の作品もかなりいけると確信。某企画で作品を依頼させていただくきっかけにもなりました。(結果的にできあがったのは「平面」ではありませんでしたが。)

「語りの方式、歌いの方式―デモバージョン」 ユン・ハンソル × グリーンピグ
TPAMで見た韓国の伝統的民俗芸能であるパンソリを題材にした作品。その練習の過程を繰り返し見せられているようで、最初?という感じでしたが、反復を重ねるうちに歴史の重みと人々の感情がシンクロしていき、最後には圧倒されていました。携帯電話の音「絶対にNG」で、実際にそのために途中で打ち切られた日もあったようなのですが、幸いぼくは全編見ることができました。

「あなたが彼女にしてあげられることは何もない」 チェルフィッチュ
実際のカフェを舞台にした30分ほどの小品でしたがとてもおもしろかった。
営業中のカフェを利用し、テーブルに付く一人の女性を窓越しに外から眺めるような見せ方や、カフェ内の自然音とセリフの音を重ねる音響の使い方など、演劇を見せる状況の作り方がやはりうまい。
ストーリーは意外にも「現在地」の続編(?)とでもいうべき神話的な壮大さも感じさせましたが、あらゆる基本的な設定によって他愛のない妄言にも聞こえるのがよかったです。


【本】
『地域アート』
 藤田直哉
おそらく過去最多の芸術祭が各地で開催されていた今年、出るべくして出た本ではないでしょうか。運営上のいろいろな問題も噴出してきて、芸術祭の転換を考える年になったように思います。
しかし、同時期に話題になっていた「美術展における規制」の問題と併走する形になってしまい、この本が本来目指したであろう「地域アート」のありかたについての問題提起についての議論があまり深まっていないように感じるのが少し残念です。

『消滅世界』『コンビニ人間』『殺人出産』 村田沙耶香
今年のはじめから、ぼくのまわりでは『消滅世界』の世界観がとても話題になっており、読もうと思っているところで、『コンビニ人間』が芥川賞を受賞しました。『コンビニ人間』は歴代の芥川賞受賞作の中でもかなり売れているらしいですが、選評にもあったようにこれまでの受賞作の中で抜群に「おもしろい」というのがその主な理由でしょう。また、普通であることを強いられる生きづらさが共感を呼んだというのも想像できます。一方『消滅世界』や『殺人出産』はセクシャリティや生殖の部分により深く踏み込んでいて、読む人を選ぶかもしれないですね。

『Provoke: Between Protest and Performance: Photography in Japan 1960/1975』
欧米を巡回した展覧会『PROVOKE: Between PROTEST and PERFORMANCE』 のカタログを兼ねた写真集。雑誌「PROVOKE」だけでなくその周辺の前衛芸術や全共闘などについても収録。芸術や政治・社会運動に写真が深く関わっていくようになった時代背景を感じさせます。「PROVOKE」本誌のほか、関連書籍の複写を多数収録するなど資料としてもとても優れています。はじめて買ったシュタイデルの本になりました。

『村上隆のスーパーフラット・コレクション』カタログ
質と量にとにかく圧倒された村上隆のコレクション展。その会場で予約し、今か今かと待ちわびたカタログが予想をはるかに上回るクオリティで届きました。(価格も予約時の倍以上になっていた。。。)


その他、芸術系の研究書が充実していたと思います。
『アルテ・ポーヴェラ:戦後イタリアにおける芸術・生・政治』 池野絢子
『人工地獄 現代アートと観客の政治学』 クレア・ヴィショプ
『J演劇の場所』 内野儀
『GUTAI: 周縁からの挑戦』 ミン・ティアンポ
『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ』 西村智弘、金子遊(編集)


【アニメ】

「僕だけがいない街」
原作の漫画の評判はなんとなく知っていましたが、想像以上におもしろかったです。タイムリープものでありながら「やり直し」の時間的な幅が絶望的なほど広く、その緊張感と伏線の緻密さに目が離せませんでした。原作も同時期に完結、さらに実写映画化もされたようですが、未読/見です。

ところでこの「タイムリープ」という設定は「オタクコンテンツ」と親和性が高かったわけですが、今年はオタク以外の層へも溢れ出し、所謂「リア充」空間で見られるのが印象的でした。

・ アニメ「Re:ゼロから始める異世界生活」 ← これは「オタクコンテンツ」ですが、よくできたタイムリープものでした。
・ アニメ・漫画・映画「僕だけがいない街」
・ 映画「君の名は。」 ← やはりこの作品が結節点になっているような気がします。
・ アニメ「ドラゴンボール超」
・ SMAP解散報道における「木村拓哉タイムリープ説」
・ 少女漫画「Orange」のアニメ化、映画化
・ 映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする』

「ジョジョの奇妙な冒険 Part4 ダイヤモンドは砕けない」
ジョジョシリーズは連載当時はちょっと苦手で読んでいなかったのですが、この第4部のアニメ化は硬軟のメリハリがよくとても楽しめます。特にレストランのエピソードが好きです。健康や回復へ向かう身体変化の表現は、シュールでありながら理解しやすいイメージとしてぼくの中で存在感を持っています。


その他、超越的な主人公とそれを取り囲む人々、という類型が印象的でした。
「田中くんはいつもけだるげ」

「坂本ですが?」

「はんだくん」

「斉木楠雄のΨ難」

「モブサイコ100」
 など


【音楽】
特になし。。。


【テレビ】
「NHK高校講座 芸術/美術1」

シシドカフカが出演するEテレ高校講座の新シリーズ。ファインアート、デザイン、建築、マンガなどあらゆる分野が取り上げられています。どのように芸術のおもしろさを伝えようとしているのかを意識的に見ると、芸術普及的な観点からも参考になります。


【アート】
「サイトスペシフィック疲れと、場所の憑かれ展」
 ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエ
いわきの「カオス*ラウンジ新芸術祭2016」(「地獄の門」(いわき市街)、「小名浜竜宮」(小名浜))、瀬戸内国際芸術祭・女木島の「鬼の家」と、地方の芸術祭でそれぞれの土地に根ざしたストーリーを編んできたカオス*ラウンジ。この展示では、それらの展示物が彼らのアトリエに放り込まれ、いわき/女木島を巡ってきた彼ら自身のストーリーが断片的に紡がれています。それとともに芸術祭で彼らの作品を見てきたぼくら観客もその「疲れ」と「憑かれ」を共有していることに気づかされました。今年とくに多く開催されていた「芸術祭」を、その残骸で総括するドキュメンタリー的(に見える)な展覧会でした。

Chim↑Pom「また明日も観てくれるかな?」
歌舞伎町の取り壊し予定の廃ビルで行われた展覧会。渋谷のパルコがビルの建て替えのために閉館するなど都市の再編が進むなか、Chim↑Pom流の都市論が発信されていました。よく考えれば彼らは「ストリート」を変わらず拠点としてきたわけで、今回はそんなChim↑Pomが築き上げたDQN的公共性が繁華街の一角の壊れゆくビルに結実していたように思えます。

「サイ・トゥオンブリーの写真- 変奏のリリシズム-」 DIC川村記念美術館
絵画とはまた異なる空気感。そっと置かれたようなたたずまいに、自ずと呼吸が深くなります。コト(事)・モノ(物)の内側に深く潜り、現実の余白を記述すること、「詩的」とはこういうことなのだと体感するようでした。


ということで、来年もよろしくお願いします!

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