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日本のシャープペンシルの歴史4(第一次シャープペンシルブーム)

はじめに

前回はシャープペンシルが日本に上陸した頃の事を紹介しました。そして、時系列的には1回目に紹介した”日本での呼び方”の内容である1920年(大正9年)頃の話が続きとなります。そして今回はその続きとして、新しいメーカーや万年筆を作っていたメーカーが続々とシャープペンシル製造に参入して、日本にシャープペンシルが広がっていった頃の事を紹介していきたいと思います。


ブームのきっかけ

1920年(大正9年)、日本のシャープペンシル史の中で、ターニングポイントとなる出来事が起こります。アメリカから輸入したエバーシャープ(EVERSHARP)のペンシルを、日本の代理店である”五車堂”が大々的に広告を掲載しました。この広告の謳い文句は「万年筆の時代は去れり!」。当時国内には多くの万年筆メーカーがある中でこの広告!かなりインパクトがあったと思います。更に4か月後には全国紙の一面を使い、広告を掲載しました。この広告をきっかけに金属製のシャープペンシルが認知されていきました。

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1920年(大正9年)9月1日の読売新聞朝刊に掲載された全面広告
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アメリカ製のエバーシャープペンシル(EVERSHARP)

この出来事を受け、今まで金属製の繰出鉛筆を製造していた【早川兄弟商会金属文具製作所】(現シャープ株式会社)は「エバーレデーシャープ萬年鉛筆」として、アメリカ製のエバーシャープ(EVERSHARP)に似たフォルムのシャープペンシルを売り出しました。1921年(大正10年)1月の「日本文具新聞」にこの広告が掲載されています。

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1921年(大正10年)1月の「日本文具新聞」に掲載された【早川兄弟商会金属文具製作所】の広告
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1921年(大正10年)頃の【早川兄弟商会金属文具製作所】製エバーレデーシャープ萬年鉛筆(EVER-READY SHARP)

外見は真似していますが、アメリカのエバーシャープとは明らかに異なる点が二点ありました。一点目は、アメリカのエバーシャープは中押し式(芯を出す機構しかついていない)に対し、早川製エバーレデーシャープ萬年鉛筆は繰出式(芯を出し入れできる)であること。もう一点は、先端の作り方が、アメリカのエバーシャープは違う部品を付けているのに対し、早川製エバーレデーシャープ萬年鉛筆は金属の絞り込みで作りこんである事です。

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各シャープペンシルの先端部分(上:アメリカ製のエバーシャープ 、下:早川製エバーレデーシャープ萬年鉛筆)

日本メーカーが舶来品にすぐに追従して、ただ真似するだけではなく、機構を変え、改良し、より使いやすくする技術があってこそ、市場に受け入れられる製品を製造できたのだと思います。


第一次シャープペンシルブーム

・日本文具新聞の広告
1920年(大正9年)アメリカのエバーシャープペンシルの広告が掲載された頃を境に、日本文具新聞に掲載されるシャープペンシルの記事や、広告が多くなっていきました。

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1920年(大正9年)には広告数9件(8社)だったのに対し、2年後には広告数38件(20社)に大幅に増えました。新しくシャープペンシルの製造販売に参入してきた中で、もともと万年筆関係の製品を製造していた会社もあります。

スワン万年筆の製造を行っていたスワン萬年筆製作所も、1922年(大正11年)シャープペンシルの製造を始めました。

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1922年(大正11年)6月の「日本文具新聞」に掲載された【スワン萬年筆製作所】のスワン高級ペンシルケースの広告
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1922年(大正11年)頃のスワンペンシルケース

1922年(大正11年)に初めて広告を掲載したシャープペンシル専門メーカーも多くありました。オーステンシャープペンシル(古川製作所)、バンコシャープポイントペンシル(江藤株式会社)、ネオシャープペンシル(司武川製作所)、機関筆(機関筆総本舗)、NBシャープペンシル(中島武七製作所)、ラバーシャープペンシル(関谷工作所)、ジルコンシャープペンシル(手島製作所)など、後に多くのシャープペンシルを製造するメーカーも含まれています。

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1922年(大正11年)8月の「日本文具新聞」に掲載された”機関筆”の広告
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1922年(大正11年)頃の機関筆


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1922年(大正11年)11月の「日本文具新聞」に掲載された【手島製作所】のジルコンシャープペンシルの広告
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1922年(大正11年)頃のジルコンシャープペンシル


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1922年(大正11年)7月の「日本文具新聞」に掲載された【司武川製作所】のネオ(NEO)シャープペンシルの広告
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1922年(大正11年)頃のネオシャープペンシル


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1922年(大正11年)7月の「日本文具新聞」に掲載された【江藤株式会社】のバンコ(VANCO)シャープポイントペンシルの広告
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1922年(大正11年)頃のバンコシャープポイントペンシル

・読売新聞の広告
また、全国紙である読売新聞にも、1920年(大正9年)にアメリカのエバーシャープペンシルの広告が載る以前はシャープペンシルの広告は掲載されていなかったにもかかわらず、1921年(大正10年)には日本製のプラトンシャープ鉛筆(中山太陽堂文具部)の広告が掲載されはじめました。更に、1922年(大正11年)にはプラトンシャープ鉛筆に加え、エキストラーシャープペンシル(明盛進堂製作所)の広告も掲載されました。

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1921年(大正10年)8月27日の読売新聞朝刊に掲載されたプラトンシャープ鉛筆(中山太陽堂文具部)の広告
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1921年(大正10年)頃のプラトンシャープ鉛筆


1922年(大正11年)12月5日の読売新聞朝刊に掲載されたエキストラーシャープペンシル(明盛進堂製作所)の広告
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1922年(大正11年)頃のエキストラーシャープペンシル

・官報の広告
国が発行する法令公布の機関紙「官報」にも、1920年(大正9年)に初めて1件、シャープペンシルの広告が掲載されました。販売元は東京神保町の博文堂となっていますが、メーカーは記載されていませんでした。しかし、掲載されている絵から「カノエ印萬年鉛筆(森田金属製作所)」だと推測されます。

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1920年(大正9年)11月4日の官報に掲載された広告
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1920年(大正9年)頃の【森田金属製作所】製カノエ印萬年鉛筆

そして、「官報」には1921年(大正10年)には2件、1922年(大正11年)には7件、シャープペンシルの広告が掲載されていました。


おわりに

今回紹介したシャープペンシルはどれもほとんど同じ形をしていて、区別がつかないと思います。このように1920年(大正9年)に輸入されたアメリカのエバーシャープペンシルに似たシャープペンシルを、日本の様々なメーカーが製造し始めたことがわかると思います。この1920年(大正9年)から1922年(大正11年)は多くの日本メーカーがシャープペンシル製造に参入し、日本で最初のシャープペンシルブームが起こりました。最初は真似から始めた日本のシャープペンシル製造ですが、昭和初期にかけて日本独自の進化を遂げていくこととなります。

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