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日本のシャープペンシルの歴史3(日本上陸)

はじめに

前回はシャープペンシルの誕生から日本に上陸する前、19世紀のシャープペンシルを紹介しました。今回はこの海外の状況を踏まえ、日本ではどのようにシャープペンシルが上陸したかを投稿させていただきます。

当時の状況

当時の状況を紹介している資料はあまりないですが、明治41年発行の「明治事物起源」、昭和47年発行の「文具の歴史」と、平成7年発行の「シャープペンシルのあゆみ」に載っていました。

明治四、五年ころは、只ポット、ロードと呼びて、鉛筆の名もなく、象牙軸の繰出し式のもののみなりし。それさえ甚だ少かりしかば、わざわざ横浜の商館にゆき、一ダース求めて来て、塾生一同それを分配して用いる様の有様なりしという。編者も、郷里の小学時代に、最初に用いしは、このくり出し式のものにて、十一年ころより、三、四年間は、これ一本にて間に合い居しを記憶せり。「明治事物起源」 石井研堂 明治41年1月発行

上記の「明治事物起源」の文は”鉛筆の始”の章に載っていましたが、「象牙軸の繰出し式」というのはシャープペンシルのことではないかと思われます。

わが国に初めてシャープペンシルが上陸したのは、明治初頭に洋行帰りの舶来土産として、ドイツのクリップ会社の製品が持ち帰られたことによると伝えられている。しかしこれは商品ではなかったため、ごく限られた範囲で文明開化の新しい鉛筆として、当時東京浅草方面のカザリ職人の手工的手段で構造制作されたが、市場に出現したか否かは明らかでない。 我が国にシャープペンシルが輸入されたのは、いつ頃か文献が見当たらないので判明しないが、明治四十年(1907年)頃までは国内の需要は、輸入品によってまかなわれていたという。「文具の歴史」田中 経人 昭和47年11月15日発行
ドイツのクルップ社が、その得意の機械力にものをいわせて、大量生産を始め日本にも1877年(明治10年)前後に初めて輸入され、この近代的な筆記具が明治の文明開化の風潮にのり、驚異的な魅力を持って当時の知識人に受け入れられた。・・・わが国においては、アメリカ及びドイツから、このシャープペンシルが輸入されると早速、手先の器用さを発揮して1879年(明治12年)ごろ、当時の東京の浅草、向島方面で貴金属類の細工を業とする飾り職人(錺り職)の手工業的な製作方法で、一本、二本と構造制作されるようになった。 当時のシャープペンシルは、その使用資材がいずれも金属類(銅、鉄等)で、軸に山水、花鳥等の彫刻を施した工芸品的なものが多く、これらのものはその後、大正初期にわが国のシャープペンシルが輸出されるようなった際、その先頭を切った。「シャープペンシルのあゆみ」日本シャープペンシル工業会 平成7年6月7日発行

これらの資料から明治初頭に日本に入ってきたのだと思います。最初は海外のお土産や商館などで手に入れることができ、徐々に日本で広まってきたようです。また、このシャープペンシルを真似て、日本でも作られたようです。

日本で初めて登録されたシャープペンシルの特許は、以前紹介したことがありますが1886年(明治19年)12月25日の特許番号299号のものだと思います。その後、出願された特許の中に、飾り職人の手工業的な製作方法で、花鳥等の彫刻が施されたシャープペンシルもありました。

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「機械工芸会誌(4)」 1896年(明治29年)12月発行

2つの資料に載っているドイツのクルップ(Krupp)社というのは製鉄業、兵器製造企業として長い歴史を持つ、重工業の会社だと思われます。今までこの会社のシャープペンシルを見たことがないので、実際に売られていたものなのかは不明です。もしかしたら、この会社の広告が入った他のメーカーのペンシルだったのかもしれません。実際1870年頃であれば、ドイツ、イギリス、アメリカなどに多くのシャープペンシルメーカーが設立されていました。

実際に輸入されたことが確認できる資料として、三越百貨店の機関雑誌であった「みつこしタイムス」が挙げられます。一番古い資料としては1908年(明治41年)6月発行の雑誌に三越商品として「十八金婦人用鉛筆」の文字が掲載されていました。

写真付きでシャープペンシルだとわかる資料は「みつこしタイムス」の1908年(明治41年)8月発行の雑誌に掲載されていました。下図、左上の「伸縮自在堤物用鉛筆」がテレスコピック型のシャープペンシルだということがわかります。

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「みつこしタイムス 9(20)」 1908年(明治41年)8月発行

どこのメーカーのものかはわかりませんが、イギリスやアメリカで販売されていた下図のようなシャープペンシルだったのかもしれません。

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1800年後期のイギリス製テレスコピック型ペンシル

その後、みつこしタイムスには数回、シャープペンシルが掲載されています。メーカー名がわかるものとしては、ヨハン・ファーバー(Johann Faber 独)などがありました。また、二色、三色のシャープペンシルなども輸入されていたようです。

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「みつこしタイムス 7(1)」 1909年(明治42年)1月発行
(下の文房具セットはヨハン・ファーバー(Johann Faber 独)社製)

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「三越 3(1)」 1913年(大正2年)1月発行
(二色、3色のシャープペンシルが掲載)

明治末期から大正初期は輸入品のシャープペンシルが広まっていたのだと推測されます。というのも明治末期の日本の文房具関係の資料にはシャープペンシルのメーカーの広告等はほとんどないからです。大正に入ると徐々に日本のメーカーの広告等が載るようになってきています。これは1914年(大正3年)からの第一次世界大戦によりヨーロッパからの輸入がストップしたため、日本メーカーがシャープペンシルを製造し始めたからだと思います。

文具新聞191307-2

文具新聞の1913年(大正2年)の広告
(つけペンとコンボ)

文具新聞191401-2

文具新聞の1914年(大正3年)の広告

このように日本でシャープペンシルが徐々に製造されるよになったようです。シャープペンシルの広告数も増えてきて、染谷商店、プラム(中田製作所)、早川兄弟商会、石井英吉商店、秦商会などのメーカーが掲載されてきています。そして、1920年(大正9年)、以前の記事に紹介したように、ある広告をきっかけに、爆発的に広まっていったのだと思います。


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