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パワハラというソーシャル・スキルについて

不器用な人間なりに長年社会人を続けていれば、社会で生きるうえでのプライオリティみたいなものが自然と組み上がってくる。たとえばぼくなら、仕事に限ったことではないが、利益よりも礼節をこそ重んじたいと考えている。

年長者や上長相手にのみ礼儀正しく振る舞うのは礼節ではない。それは単に媚びか打算である。ほんとうの礼節は、たとえば下請の業者であったり若年者に対しても、等しく向けられるべきもの。だから、ぼくは新卒の若人が入ってきたとしても、ひとりの社会人として敬意を示して、なるべく敬語で話すようにしている。それはときとして奇異にみられることも多いのだけど。

「恐れ入りますが」「たいへん心苦しいのですが」そうしたひとことを枕詞にするだけで、円く収まる局面は少なくない。仕事はバトンリレーのようなもので、けっしてひとりではできない。協力会社に横柄な態度を示していちいち衝突するより、丁重にお願いしていい仕事をしてもらえるなら、それに越したことはない。結局のところ礼儀正しく振る舞うことこそが社会人としての最適解ではないのか――長年、ぼくはそう考えて、生きてきた。

Hさん、という先輩がいた。声が大きく、迫力がある。怒りだすポイントも、よくわからない。職場では頻繁に理不尽な怒号を飛ばす。かれに怒鳴りつけられメンタル不調により潰れた社員は数知れず。さすがに新人がつぎからつぎに辞めるのでは採用コストもばかにならないため、ついにHさんも訓告解雇となった。ただ、かれが辞めたことで業務に支障が出はじめたのもたしかである。このHさん、抜群に仕事はできたのだ。

ぼくとは真逆のパーソナリティだが、いまならHさんの気持ちがわかる気もする。礼節を重んじて物腰柔らかくするぼくの処世術が最適解である局面が多々あるように、Hさんのように協力会社や後輩をパワープレイでねじ伏せることが最適解となる局面も、もしかしたらそれ以上に多くあったのかもしれない。

世の中には悲しいことに、礼を尽くしても礼で返さない人間はたくさんいる。厳しくしなければ舐めた仕事をしだす協力会社。道を踏み外す後輩。礼節というものは所詮、相手の理性と良識を前提とした、人間社会でのみ通用する振る舞いである。理性と良識のない野生の世界では、まるで用を為さないのだ。猿を相手に紳士のゲームはできないし、社会には猿と変わらない品性の人間がじつは少ないわけではない。

たとえば、どうにも歯車が噛み合わない人間が職場にいたとしよう。いわゆるストレス源だ。その人をきらって職場を辞めるのは、良識ある態度といえるし、多くの人が採る選択肢であろう。ただ、同僚をきらって退職するというのは、いささかリスクとコストを被りすぎではないか。社会で生き抜くには、そうした人間を強気で辞めさせる方向で動くほうが、むしろ正しい対応といえる。

そうした一種の気の荒さは、猿の群れで生きぬくためには絶対的に必要な資質である。パワーハラスメントは現代に於いて忌避される悪徳だが、そもそも企業が体育会系/ジョックの粗暴な学生を好んで採用する土壌がある以上、どこの企業で働くにせよ、大なり小なりパワーハラスメントは避けられまい。であれば、自衛のためにそれ以上のパワーをときとして示す姿勢は、絶対必要不可欠である。

ビジネスパーソンとして理想的な姿は、礼節をわきまえた巨漢の黒人ではないか?

それをめざしてぼくはきょうもベンチプレスの限界に挑む。MAXはいまだ50キロ、先は長い。

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