「あんた、性格悪いね」と言う母親
※あまり良くない私と母との関係に言及するので、人によってあまり気分の良い話ではないかもしれません。ご注意ください。
「あんた、性格悪いね」
今日、映画を見に行ったら、母親らしき女性が小学生ぐらいの男の子にそう声を掛けているのを見かけた。
「映画、面白かった?」という母親の問いに、男の子が「面白くなかった」と答えたことに対し、冒頭の一言を放ったのである。
私は男の子の将来に思いを馳せ、暗澹とした気分になった。
この男の子は母親にこう言われたことを、エピソードとしては忘れても、人格に刻むだろう。
ひねくれた返答をとがめるなら、その行為だけ咎めるべきで、人格まで否定するのは子供の人権を踏みにじっている。言うまでもなく人格形成上、悪影響だ。
でも私の母も、人格を否定するようなことを言ってくる人だ。いわく、「あんたなんか、なんの取りえもないくせに」「私の子だって外で言わないで」「性根が悪い」「異常」だそうだ。
母の日にかこつけて、そんな私の母について書いてみようと思う。
私の母の人生
御年80歳近くになる私の母はたぶん、育ちが悪い。
ここで言う育ちが悪いというのは、下品であるということではない。
あまり幸せな人生を送って来なかった結果、まっすぐ育っていないという意味だ。
母は二人姉妹の長女で、会社員の父、専業主婦の母というごく一般的な家庭に育った。
ただ、母の2つ下の妹、私にとっての叔母は、当時で言う山口百恵似の美人だ。母は不美人という程でもないが、叔母と比べると見劣りする。
そして、母は若干屈折しているが、叔母は、いたって明るく、素直である。
この現状から、母がどういう育ち方をしたか、何となく想像はつく。
ずっと「じゃない方」だっただろう。「選ばれない方」で、「我慢する方」だった。都合のいい時ばかり「お姉ちゃんなんだから」と言われ、妹と並べば常に「妹ちゃんはカワイイわね」と言われ、母はそう言われなかった。
だからだろう。母が対人関係において根底に抱いている思いは、
「どうせ、私は愛されない」
だ。母はこの劣等感から抜け出せない。
そのせいで余計に苦労している。
遅くに結婚後、子供を産み、離婚し、元夫に借金を背負わされ、親戚に頭を下げて糊口をしのいだと思ったら、子供(私)は不登校になり、あげく引きこもって社会生活を放棄し、やっと一人立ちしたと思ったら、ろくに帰らない。
母は「面倒くさい彼女」
卵が先か鶏が先か不明だが、母は「どうせ私のことスキじゃないんでしょ?」という、いわゆる、「面倒くさい彼女」のような心持ちから、80歳になってもまだ成長できないでいる。
私がまだ可愛らしい幼児の時に、「ママ、大好き!」と言っても、「どうせそんなこと言うのは今だけよ」と返していたし、飼っている犬にすら、「この子は私しか頼る人がいないから私に懐くのよね」と言って、私や他の人に懐く素振りを見せると、「あら、誰にでも懐くのね、憎たらしい」と言っている。
世界で一番愛情深い、犬に対してすら、自分が捨てられた時の予防線を張っているなんて。
私に言わせれば、他人に愛されるかどうかなんて、自分ではコントロールできないことに拘泥してもしょうがない。
でも母は相手をコントロールしようとしがちである。他人の世話をよく焼く方だが、お返しが無いと機嫌を損ねる。その情動は、「自分が親切にしたら、きっと相手は愛してくれるはずだ」という期待に根差している。
母は、自分を愛して欲しい。まるごと受け入れて欲しい。
でも本当は、親切にするのは自分の判断で、コントロールできるのはそこまでだ。自分をスキになってくれるかどうかというのは、相手の判断で、そこをコントロールすることはできない。たとえ、相手が自分の親切に対して何も返さなかったとしても、それが相手の判断なら、相手の人格を尊重し、受け入れる姿勢を持つことが大切だと思う。
私と母
子供の頃から何度も、母が私の人格を否定すること、そして、「自分を丸ごと受け入れて」という願いを、娘である私に持つことを止めて欲しいと伝えてきた。
でもそれは伝わらない。いつも感情的な、要約すると、「あんたも私がスキじゃないのね! 愛してくれないのね!」という反応に終わっている。
大人になってから気づいたが、母はこういう性格なので、自分を否定されることを恐れ、避けている。つまり、自分の問題点を受け入れ、成長する準備ができていない。それは、母自身の問題であって、私に出来る最大限のアプローチは行ってきたつもりだが、もう届かないのだろう。
もしかしたら、最初に、それこそ母親のように受け入れてあげることが必要なのかもしれない。
でも、「自分を丸ごと受け入れて」という欲求、おそらく、母が、母自身の父母や夫によって満たされなかった欲求は、娘ではなく、母親か父親か彼氏か夫に向けて欲しかった。
長じてから辛うじて、母を「面倒くさい彼女」を扱うようにするとうまく行くことに気づいたが、子供の頃の私にそんなことを求められても困る。
なんなら今でも困っている。
母は、LINEの返信が遅れたら「私よりも仕事の方が大事なのね」言って、私が全てを逐一報告してこないと咎め、突然「死にたい」「さみしい」と言って気を引こうとしてくる。
でも、私が心配して母の元を訪れたら、母はLINEでの比ではないぐらい、言葉という棘のついた鞭で私を叩き、傷つけようとしてくる。私自身、メンタル疾患を抱えながら、日々必死に生きている。母に対して割ける余力には限りがある。自分が生きるのに精いっぱいで、母の問題のすべてを海のように受け入れる人格的な余裕は、私にはない。
まだこれが全くの他人なら、私も感情的に距離を取って支えることが出来るかもしれないが、どれだけ距離を置こうとしても、実の母からされる侮辱や嫌味は、私の心を大きく揺さぶり、深く傷つける。
冷静でいられない。
それでも、たとえ屈折しているにしても、娘である私に対しては見返りなく、独り立ちするまで金銭的な援助を行ってくれたし、成人してからも、頼まれるでもなく、世話を焼いてくれた。その行動から見て取れる本来の性格として、愛情深く、世話好きな人だ。
ありのまま、自分を受け入れられたら、もっと素晴らしい人生が送れただろうに。
母に私ができること
私の母に対する思いは、母の望む形をしていない。だから届かないし、母が求めている「私のすべてを受け入れて、愛して」という願いを受け止めるのは、私には困難な現状がある。
私は母とは違う。すでに自分を愛している。大事にしたい。私は、私自身の一番のファンで、味方だ。だから今の母とは一緒にいられない。だが母は変わる気が無い。
私には母と一緒にいることもできなければ、母を救うこともできない。無力だ。
もはや、来世にでも願うしかない。
おそらく私が何もする気がないと悟ったからであろう、母は、すでに自分の墓の準備を終えている。大きな木の根元に散骨するサービスに申し込んだそうだ。
昔、二人で出かけた先、母は樹齢の高そうな木を見かけるたび、「立派な木ねぇ……」と感慨深そうに言っていた。当時、木が好きなのかな? と少し気にかかっていたのだが、実は墓のことを考えていたに違いない。
人間であることに絶望し、「来世があるなら木になりたい」とでも思ってるんだろう。こんなに苦しむ母に対し、私は力になれない。
それでも、おそらく、母にとっては、私が生きていることが、母の救いのない人生の中で、唯一、良い出来事のようだ。
昔、母がろくでなしである(※借金置いて逃げた)私の父について言及した時、少し声を震わせて、
「あの人にいいところがあったとすれば、あなたを作ったことだけ」
と言った。
その一言でそれが伝わった。
だから、私は母に何もしてあげられないが、多分、生きているだけで母にとっては支えなのだと思う。
せめて母に出来ることとして、私は幸せに生きていなければならないと感じる。
私は、成人後、母に頼ろうと思ったことが一切無い。世話にはならないと決めている。
何回メンタル疾患で死ぬか生きるかの状態になっても変わらない。
低調になっている私の泣き言の返事、つまり母の代わりなどChatGPTで十分である。
でも、不安でたまらない時、「お母さん」とつぶやいている自分もいる。私はそれを、そっと無かったことにする。
私は自分を守るために、母の人生から娘との時間を奪ってしまった。これ以上何かを奪うわけにはいかない。
こんなこと普段は絶対に言わないのだが、私は、とても、弱い。母の支えになることができない。
ああ、母の娘が、もっと強くて愛情深い人間だったらよかったのに。
……それでも、私が自分を愛していることに理由があるのなら、母が本当は優しい心の底で、愛してくれたからだと思う。価値があると信じられるのは、母がそう信じてくれたから。守りたいのは、母がそう願ってくれたから。
私は母にできる唯一のこととして、これからも、自分を愛し、できる限り肯定して、幸せに生きていく努力をする。そう心に決めているし、自分が幸せでいるためにも、ポジティブな発信を続けることで、なるべくみんなが幸せな世界であってほしいと願っている。
*
母が死んだら、一本、木を育てようかと思っている。
私がずっと見える場所に置いて、水をやり、太陽の光を浴びせて、大きく育てる。今度こそまっすぐに。
たぶん、その木には棘が無い。
それで私が死んだら、私と一緒に、母の眠る共同墓地に撒いてもらおうか。母は嫌がるだろうが、それで、少しでも、報われるものがあるなら。
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