三十歳を迎えた女の憂うつ。
三十歳を迎えた頃、私は電車の座席で目頭を熱くしていた。
これは過去の話である。
日本で女性が三十歳を迎えるということは、一種特別なものがある。その年齢を境に、未婚だったら嫁き遅れ、オールドミス、売れ残りのクリスマスケーキとか言われる。結婚していたとしても、もう三十か、と憂うつなものがあるようだ。
かくいう私も、二十代前半の頃は将来結婚して子どもを産もうと思っていたし、合コンや街コンなど積極的に参加して彼氏を作っていた。
しかし二十代後半の頃、ちょうど大きなな躁うつをやってしまって人間関係をブチ切ってしまった。結婚を考える余地がなかった。
さらに躁転していた時に引っ越ししたのだが、色々あって資金が足りず、躁状態特有の謎の万能感も手伝って「どうせ返せる」と五十万円ほどの借金を抱えていた。むろん返せたのだが、返し終わるまで貯金もできないし、気が狂いそうなほどイライラしていた。借金は嫌いだ。
なお双極性障害については以下の記事に書いたので、もし興味があれば参照いただけるとありがたい。
そんな調子なので三十歳は「いつの間にか」迎えていたのだけれども、私は否応なく迎えてしまった自分の年齢に対する不安に苛まれていた。
太宰治は小説「斜陽」に
と書いている。持っていたはずの「乙女の匂い」? とやらを知らないうちに失ってしまったらしい。
また以前、もめごとがあった時、年下の女の子から「もうすぐ三十路のクセに」と罵られたことがあった。結構ショックを受けた。今後はさらに悪化して「三十路のオバサンが」と罵られるのだ。
もう結婚願望は無いので、三十歳を過ぎて、一人であるのは構わない。しかし「若い女」という名札を失うこと、女性としての全盛期が過ぎてしまうことが怖い。これから能力や容色が衰えていくと思うと怖い。そして、衰えた自分を愛せなくなることが怖い。
ある晴れた昼下がり、この件について電車の中でつくづく考えた。
なぜ三十歳になるということで、一気に衰えるような気分になるのだろうか。年齢なんてただの数字なのに、それで本当に評価や評判が上下するのか。
でも、他人からの評価など、所詮は通り過ぎていくものだ。自分に対する評価は、自分自身で行うべきだ。自分らしく生きて、自分を肯定できるなら、それだけで充分だ。
とそこまで考えたところで、自分でも驚いたことに目元が熱くなってじわりと涙がこぼれる。
私は生きていていいのだろうか。若い女でなくとも価値があるのだろうか。
若干うつっぽかったのか、自己肯定感が底辺だった私は年を取った自分に価値を見出せなかったのだ。(※「もうすぐ三十路」と罵られたことも尾を引いている)
だから年齢に拠らず、自分を肯定する考えに救われるような気がした。
もし同じように二十代後半で、三十歳になるのが怖い方は、どうか同じように思い直してほしい。
あなたは唯一無二のすばらしい存在だ。その価値は年齢によって上下するものではない。
腰が曲がったシワシワのおばあちゃんになろうと、能力が落ちて仕事ができなくなろうと関係ない。容姿や能力が優れているからすばらしいということではないのだ。
大事なのは、あなたがあなたらしく幸せに生きていることだ。そして可能な限り周りの人にも愛で接することだ。
それだけで充分、あなたはすばらしい。
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