幼い自分を抱きしめて、大人になる。
小さい頃の話をする。
わたしは保育園の卒園式で、「大人になったらママみたいなお母さんになりたいです」と発表したことがある。
わたしの生まれて初めての夢は「ママみたいなお母さんになること」だった。
今なら、なんでだろう?と思う。
だって、わたしは2歳以降、母とまともに暮らしてなかった。母は発病していたから、会ってもほぼ寝たきりだし、包丁持って暴れる様子もよく見ていた。
当時のわたしの七夕の願いは「ママのびょうきがなおりますように」だった。
幼いわたしは母が病気であることも理解していたのだ。寝たきりになってしまうことも、笑わないことも、時々スイッチが入ったように行動しまくることも、泣きながら包丁を持って暴れることも、腕にたくさんの傷があることも知っていたのだ。
まともにわたしや弟の世話ができないことも、それが病気のせいであることも知っていた。
それなのに、「ママみたいなお母さん」になりたかったのだ。
考えて考えて、思い出した。
わたしは、母が「母親失格」であると誰にも言わせたくなかった。
病気が悪いと知っていても、家族や他所からの風当たりが強いことは何となくわかっていた。
祖母や父、もちろん母本人も毎回わたしや弟に謝っていた。
「ごめんね、ママと一緒にいたいよね。もうちょっと待ってね。病気が治ったらね」とよく言われていた。
母が悪い訳では無いのに、まるで子育てができない母が悪い、子どもが可哀想って思われてることも何となくわかっていた。
だから、当時の小さなわたしにとって、「ママみたいなお母さんになりたい」は『ママはわたしにとってとっても素敵なお母さんだよ』ってみんなに分かってもらうための唯一の手段だったんだと思う。
たとえ1年でも、母はわたしを愛情いっぱいに育ててくれたおかげで、わたしにとって母が愛着対象になっていた。
愛着対象と離れるのは身を引き裂かれるような思いだったのを今でも覚えているし、離れて暮らしている間はずっと寂しかった。
だから、たとえ寝たきりでも、小学校入学前から一緒に暮らせるようになった時は本当に嬉しかった。
世話をしてくれなくたって、病気が悪化して症状が増えてたって、自殺未遂を目の前でやられたって、わたしにとってはそばに居てくれることが1番だった。
悲しくなっちゃうね。でも、わたしにだってそんな経緯があって、母のことがずっと大好きで、離れたくなかったんだ。
小学2年の時、母が強制的に遠くに行ってしまい、一切会えなくなってしまった。
それまでは市内にいたから一緒に暮らしてなくても毎週末会っていたし、小学校入学前からは同じ家で暮らしていたから、本気で離れてしまったのはこの時が初めてだった。
わたし、物の見事に病んだ。夜に毎日「ママに会いたい」って泣いて、心の当たりがギューって苦しくなって眠れなくなった。何通もの手紙を書いて、お電話をする度に泣きながらママに会いたいって伝えた。
あんまり記憶にないけれど、学校でも物忘れが酷くなってぼーっとすることが増えたらしくて、教師たちのセンサーに引っかかったらしい。後に、母子シェルターに入ったきっかけは、当時のわたしの様子がおかしいと気づいた教師たちが母と面談し、家庭内の状況が初めて露呈したからだったと聞いた。
小学3年生になったら母が帰ってきて、見違えるように母がキビキビ動くようになった。わたしにとって1番幸せな家族4人の生活だったけど、それは母が離婚をする覚悟を決めていたからだと後で知った。
母子シェルターに逃げ込んだ後、母から全てを聞いた。「ママと一緒に来てくれる?」と問われて、小2年の頃の苦しい記憶が蘇り、母と一緒にいないとまた苦しい思いをしちゃうと思って、母について行くことに決めた。
たぶん、小学2年の出来事がなければ、わたしはとても悩んだと思う。だって、母が世話をしてくれないのも、3人になったらわたしが母と弟の世話をすることも分かってたから。
一緒に過ごすことが苦しいと感じるようになったのは、親が離婚して母と弟と3人で暮らすようになり、誰も大人が助けてくれなくなった時からだった。
小学校高学年にもなれば、自我も芽生えてるし、親との生活が自分にとっても負担であることがよくわかってきた。
それでも離れられずに、3人で暮らし始めてから10年、もっともっと苦しい生活を送ることになる。
振り返ってみれば、小さい頃からずっと苦しかった。でも、それが当たり前だったから、気づかなかった。
一人暮らしを始めてやっと、自分が本当に苦しんでいたことを自覚した。それまでは息が出来なくてもがいてるばかりで、酸素を探すのに精一杯だったから、「苦しい」ことはわかっても、何が苦しいかは分からなかった。
一人暮らしを始めてから、「厳しい親だったんだね」と言われることが増えた。小さい頃から自立を強いられること、化粧がダメだったこと、ご飯の食べ方、家事をしないとぶちギレられること。さすがに話せる部分しか話さないけれど、そこだけ話すと「厳しいねえ」と言われた。
躾だけはたしかに厳しかったのかな、と思った。理想の娘を押し付けられてきたから、それが当たり前だと思っていた。
わたしはありがとうとごめんなさいが言える。父と母は言えないけれど。
わたしは自分でご飯を用意して食べることが出来る。父と母はひとにやらせたがるし、自分がしなきゃいけないってわかると不満を口にするけれど。
わたしは自分で働いて生活することが出来る。父と母は、何歳になっても親を当てにしているけれど。金遣いもおかしい。
わたしは自分の目標のためにコツコツ頑張ることが出来る。父と母に何度も妨害されたし、「親のために生きること」を強いられてきたけど。
ここまで振り返ると、反面教師では?と思ってきた。
うちの両親、外面を固めることに必死で中身ないから。わたしがまともに育ったのは、紛れもなくわたしの努力だよ。
抜け出したい。抜け出せたのかな?でもまだな気持ちもしてきた。
わたしはまだ、小さい頃の自分が泣いていることに気づく時がある。
泣かないで、もう大丈夫だよって、抱きしめたくなる時がある。
わたしは、小さい頃のわたしに会いたい。そうして、思いっきり抱きしめてあげたい。
あなたは素敵な大人になるよ。安心できる環境にいて、のびのびと暮らせるようになるよ。
でも、まだ不安がある。
大学を卒業したら、わたしは頼れる大人がいなくなる。そんなことないけど、でももうおばあちゃんは当てにできない。というか、そろそろわたしがおばあちゃんを世話する番じゃないのかなとも思ってしまう。
もう自立してるっちゃしてるけど、不安が勝つ。
わたしはどんな大人になるんだろう。幼いころのわたしのような子どもたちを抱きしめてあげられる人になりたい。
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