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愛したかった母と、愛されたかった娘

小さい頃、怒られることがとても苦手だった。自分が怒られてなくても、学級全体で先生から注意されるのとか、学年集会で怒られるのもすごく苦手だった。

いい子じゃないと自分が否定されちゃう気がして、少しでも悪い子になったら嫌われちゃうんだって思ってた。これは、かなり大きくなるまでずっとわたしを苦しめてきた「いい子ちゃん症候群」だ。

最近、ふとママの声が聞きたくなる。「ママはわたしのこと好きだった?」「今でもわたしのこと好き?」って確かめたくなってしまう。これまで一度もわたしが安心するようなことを言ってくれたことは無かったのに、どうしても心が弱るとママからの「どんなあなたも好きよ」が聞きたくなってしまう。そう言われたことも、感じたこともないのに。

ママは、わたしに好き?と聞かれると、顔をきゅっと歪ませて、苦しそうに「あいしてるよ、愛してないって思ったことは一度もないよ」と言う人だった。ママと喧嘩して家を出る数ヶ月前から、わたしはずっと「嘘だ!ママは本当はわたしのこと嫌いなくせに!」と責め続けていた。

立派な母になりたかったママと、愛されたくていい子ちゃんを演じてきたわたし。似た者同士で、互いに「そのままでいいよ」って相手に伝えることは出来なかった。

わたしは母に愛されたくて、ママは子どもを愛したかった。でも、どちらも出来なかった。仕方ない、ママにとってはわたしは憎らしい相手に似た子どもだったんだろう。

こっちにきてから、父方の祖母に聞いてしっくり来てしまった話がある。わたしが3歳の時、検診で母は「娘のことが可愛いと思えない」と相談していたみたいだ。愛したいのに、愛せない。その頃既に母の心は壊れてしまっていたから、色々と限界だった故に出た言葉だったんだろうけど、それはわたしが成人になってもずっと続いていた感覚だと思う。

母の生い立ちを知ると、これまで見てきた母の姿と照らし合わせて、いくつか答えが見えてくる。母は、親から守られてきたことがない人で、甘えることも頼ることも苦手な人だった。だから、例え自分の娘であっても、母や父、祖父母に存分に甘やかされて、安心して大人に甘えるわたしが、羨ましくて妬ましかったんだと思う。

実際、そういうことを言われたことが何度もある。当たり前のように人を信用するわたしを何度も責め、人に頼ること、甘えることを迷惑だと言い、決してその行為を許しはしない人だった。そして、自分も人に頼りたいがどうすればいいか分からない、と悲劇の渦中にいるかのように泣いている姿も何度も見てきた。

正直、わたしからしたら「知らんがな」って思う。なんであんたの都合で、わたしは親から愛されない子にならなきゃいけないんだよって思うよ。

それでも、愛されたかったなあって思うのです。悲しいことに、今でもわたしは母の愛を渇望している。どれだけ他の人に愛されても、大事にされても、ふとした時に、弱っている時にいちばんはじめに頼りたくなるのは母なんだ。

どうせさらに傷つくだけだから、今までのことを振り返って、母に連絡することを思いとどまるんだけどね。

小さなわたしがいつまでも泣いている。どんだけ自分に優しくなっても、安心できる環境にいても、たくさんの人に大事にされても、母に愛されたかった部分は埋まらないし、埋めようともしてない。他の人の愛がそこを埋めないように、わたしは器用に人からの愛を受け流すところがある。

もう大人なのにね。それでもずっと、母と心を通わせることを願ってるんだよ。笑っちゃうね。

わたしも、ちょびっとばかし自信はない。もしわたしに子どもが生まれて、同じように愛して、愛されることが当たり前だと思ってる子に育った時。きっとわたしも「いいなあ」って思ってしまう。「そのままでいてね」とも思うけれど。

もしかしたら、わたしが子どもを愛した時、小さい頃のわたしが報われるのかもしれないけどね。わからない。でも、怖いよずっと。

子どもと関わる時に、ふと自分が母と同じことをしてることに気づく時がある。自分がそう育てられたように、子どもにも同じように振舞っている時がある。怖いよ、どれだけ反面教師にしたくても、育ちと環境と性格は、人との関わりに出てしまう。

なにより、全てをスポンジのように吸い込んでいくんだから、その子にとって良くないことも、全て全て染み渡っていくんだから。だから、怖いよ。

愛されたかったわたしは、いつまでもわたしの中に潜んでいて、ふとした時に顔を出す。忘れないでね、とでも語りかけるように。

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