一人も二人も選べないならどうしようか



自分はいつまで経っても逃げている。その先に今の自分が知らない幸せがあることに薄々気づいているのに。


急に、ふと、家族がほしいと思った。急に周りが結婚したとか子供が生まれたとかじゃない。そんなのは20代に入ってから定期的にあった波だ。考えられる理由はすごくありきたりで、自分が30を目前にしたからだろう。


仕事もそこそこで、趣味もそこそこで、楽しかった日々になんとなく寂しさを感じた。というより寂しいということをやっと認めたんだろう。


ちょっと気持ちが変わったからといって、錆びついてしまった好きを感知するセンサーは反応しなかった。反応しないなら頭で考えて選択するしかない。


この相手ならと思い関係を始めた。最初の頃は久々の感覚に楽しんでいたところもあったが、常に「この人のことを好きなのだろうか」という疑問が浮かんできて、その疑問を消すことだけに集中する時間もあった。


会えない時間に相手を想うこと
ついついスマホを気にしてしまうこと
この人のために時間を作りたいと思うこと
異性との付き合い方でモヤモヤしてしまうこと
声が聞きたい、会いたい、触れたいと思うこと

「好き」が何かを聞くと大体この辺りが出てくる。


「好き」はなんだか大それたものに見えて、みんなの言葉で表現されたものたちでは腑に落ちなかった。それでも相手を素敵だと思うし、こんなことを感じるのは最初だけで数年経てば笑い話になるはずと信じた。それに、語弊を恐れず言えば、手にした"世間的な幸せ"を手放すことを惜しいと思っていた。


相手ができたことで、街中で見るカップルや夫婦、家族を見る度に勝手に劣等感を感じていたのは自分だったと思い知らされた。同時に、あれだけ一人を語っていた自分が二人を選んだことへの敗北感みたいなものに襲われるようになった。


二人を選んだのに孤独なのは好きな相手ではないからなのか、それとも誰と付き合おうがこうなのか、誰も教えてくれなかった。


様子を見ろと言う人もいれば、他に相手がいると言う人もいて、こんな時に頼りの心のセンサーは反応しないどころか起動してるのかすら不明で。こうなったら頭で考えるしかない、きっと様子を見ることが正しいんだろうなと思った時、心のセンサーが特大エラーを叩き出した。


心の奥底に閉まっていた、自分の人生に誰かが入り込むことへの極度の不安が押し寄せてきた。


自分以上に誰かを大切だと思うことへの恐怖
大切な人が目の前から消えてしまう恐怖

ああそうか。特別な存在をつくることが怖かったんだ。気づいたからといって、じゃあ怖さを消して好きになろうなんてできるはずもない。それでも好きになりたくてネットに頼ったけどそんな答えどこにもなくて、長続きする方法に載ってるような「恋人に依存しすぎない」がよくない意味で当てはまっていた。


心のエラーを解決できずに別れを切り出した時「そんな気がした」と言わせたこと、「正直に言ってくれて嬉しい」と言ってくれたこと、胸は痛んだけど、引き留めたいとは思ってないと冷静に見ている自分がいた。


長続きする方法→恋人に依存しすぎない→依存先を分散する

いつからか依存先を分散するだけでなく、どれかがなくなっても自分に影響がないようにたくさん用意していた。そんな中で入ってきた恋人という枠が急に他の枠の分まで持っていくわけもなかった。


恐怖心からきた保険だったと気づいて、今の自分の状態は理解したけど、正直この先のことは自分でも分からない。


一人になった気楽さに大きな幸福は感じているものの、家族がほしいと思う気持ちにも嘘はない。この矛盾を乗り越えられるのだろうか。今回のことで相手の時間を奪ってしまったという気持ちもあるから踏み出すのが憚られてしまう。

でも結局はこの全てが言い訳だってことも分かってるんだよな。


「若林は結婚した方がいいね」と言った。なぜなのか理由を聞くと「一人で自分の内面ばかり見ていないで」とか「責任」とかそんな強烈なワードが速射砲のように鼓膜を襲ってきた。

『ナナメの夕暮れ』若林正恭


若林さんが信頼できる人に「今の僕にこうした方がいいよってあります?」と聞いた時に言われたこと。

ここまで書いてきた今、この言葉たちが自分に向かってきて苦しくなる。だから結局、"今"から逃げてしまう。



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