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essay 3 Anne of Green Gables アンの故郷と母

ふう〜っとため息が漏れたようで、見ると、母がベッドの上で写真集を開いていた。
何?
と母の枕に顔を近づけると、花の香りがするように思えた。それは、真っ白なリンゴの花が写真集のページからこぼれ落ちんばかりに満開になっていて、香り立っているように感じられたが、錯覚であった。

Anne of Green Gables
と小さく母は言った。
女学生の頃繰り返し読んで、もう自分の田舎のようになってしまったグリーンゲーブルス。プリンスエドワード島、と言うのさえ、何か誇らしいような口元である。

いいわね、グリーンゲーブルズ、いつか行きたいわ、
と、ため息まじりで言う。

そうね、秋になって元気になったら行けるかしら、
と私が答える。

3月の末、医師から、末期癌であること、余命は3ヶ月と考えておいたほうがいい、と私は知らされていた。
まだ、本人にいきなり告知、という時代ではなかった。

見たところお父様はとても気のいい方で、お母様が癌であることを知った場合、顔に出さず接しられることは無理のように思います。
お父様にこのことを言うかどうかは、長女のあなたが決めてください。
と私は医師から言われた。

医師の想像通り、父は、少年のような純な心を持ち、真っ直ぐな人で、母に隠し事が出来るはずはなかった。

老人の癌は死の宣告に等しい。
そのことを知って二人でオロオロして、何をしてよいかも分からず、命の終わる日を今日か明日かと日々暗い顔をして待ち、嘆き暮らすのは目に見えていたので、私は、告げない選択をした。
3ヶ月であるならば、私ひとりの中にとどめていよう。

今から四分の一世紀前の話である。

プリンスエドワード島。
あれから時が経った。今ならば、あれこれプランがあって、旅行者が充実した滞在ができるようになっているのかもしれない。

でも、その当時は、

行ってみたけれど、な~んにもないところよ。店もろくになくて、肩透かし食らったように、ただ茫洋としているの。
日本人には小説のせいで人気だけれど、本を読んで、期待を膨らませて行ったら、失望するわ。忠告しておくけれど、過大な期待はしないほうがいいわよ。

と友人は言った。

な~んにもないところなんだって。

それでも、母の枕元にその写真集は2冊もあって、折々に眺めては憧れのため息をつくのだった。

プリンスエドワード島の写真集は、Yという写真家の手によるもので、島の四季の移り変わりを見事に切り取っていた。
草花が咲き、緑が萌え出て、紺碧の空がどこまでも広がり、白い雲が流れ、木々が紅葉し、雪が降る。木枠のある窓。可愛らしい灯台。雪の中にひっそり建つ家。ツリーが点滅する家。

自然や建造物は、撮せば、それだけで絵になる。今は、昔と違ってオートフォーカスだし、出来るだけいいカメラを買い、器械にお任せにして、シャッターを押す。それだけで、まずまずの写真は手に入る。

だが、この写真家の写真は、何か凛としたものがあって、私もとても気に入っていた。

すごく良く撮れているけれど、よほどいいカメラを使っているのかしら?

と失礼ながら、思ってもみた。

風景は壮大で、カメラのファインダーには収まりきらない。その中から一部を切り取ること、やむなく切り取ってしまうこと。
その視点がとてもいい。
そして、切り取られた風景は、その周りの風景を全て含み、さらに、撮影者の息遣いや感性を封じ込めている。撮影する時に、呼吸を止めて集中する様さえも。

私も母と同じようにため息をつく。
いつか行ってみたいわ。

ベッドの上の退屈な時間に、いっときでも、身体の不調を忘れ、夢の中に遊べたことは、幸いなことであった。

全くの偶然、考えられない成り行きで、先週その写真家から、電話がかかって来た。
晴天の霹靂とはこのことか。
名前は知っていても、私には見ず知らずの人である。
たまたま立ち寄ったギャラリーで作品を買い、帰宅してから、作品について、ギャラリーの店番の人に問い合わせはした。

私は、名乗られても、本人と分かるまで時間がかかり、何がどうなっているのか分からず、その時は、「日本で最も美しい村フォーラム」に行くため、九段下の通りをイタリア文化会館に向かって歩いていたのだけれど、立ち止まって斜め向こうの靖国神社の鳥居を見上げた。

大いに恐縮し、堀の上の橋で、前に誰もいないのにお辞儀を繰り返し、
突然に電話を頂いて、声が聞けただけで光栄です、
と返事をしたのだけれど、
翌々日、追いかけるように、
プリンスエドワード島の写真集とカレンダーが送られてきた。

誰かが仕掛けたイタズラだろう。
その張本人は、母であるに違いない。
またギャラリーに寄りますと約束をしてしまった。

余命3か月と言われた母は、その後1年7か月生きて、牧場の隣にあるホスピスで静かに息を引き取った。
干し草の匂い、丘の上の小さな教会。牧師様が出かける時は、車のライトが暗闇の中を動く。
病室の窓の外にある花壇のコスモスが、今日ひとつ、次の日またひとつ、と咲き始めて、虫の音の合唱の中、揺れていた。
グリーンゲーブルズは、結局行けず仕舞いだったが、写真集の中の世界に入り込み、村のあちらこちら、歩き回って、ほぼ住人になっていたと言っていい。

(2018. October)

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8月10日 亡き母の誕生日に寄せて
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