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「鎮痛剤」という名の麻薬に捕えられた街

ここ数年アメリカで大問題になっている鎮痛剤「オピオイド」。中毒性は無く瞬時に痛みを消す薬として、アメリカでは90年代頃から幅広く処方されていました。ところが「中毒性がない」とされていたオピオイドには、実はかなり高い中毒性があり薬を止められない患者が、より安価なヘロイン中毒になるケースが続出。国が安全だと認めた薬が「麻薬」だった、という信じがたい事件「オピオイドクライシス」が現在も起きています。

その「オピオイドクライシス」が特に問題となっているのがペンシルベニア州、ケンジントンという街です。

ニューヨークタイムズ紙によると、ケンジントンではドラッグディーラー達がそこら中でオープンに商売をしていて、ストリートやアイリッシュパブ、中華料理店など人々が日常生活を送る場所で無料サンプルを配布するディーラーまでいるそう。多くの人たちは、最初は交通事故や手術などで鎮痛剤(オピオイド)が手放なせなくなってしまってケンジントンにやって来る。ところが鎮痛剤を購入する余裕がなくなると、最終的にヘロインに手を出してしまい抜け出せなくなります。重度の中毒になった人たちは1日に10回以上ヘロインを使用していて、ケンジントンのリカバリー施設や治療センターに出たり入ったりを繰り返します。これらを数年繰り返した後、女性は大抵の場合、売春婦としてストリートで生活する羽目に。ヘロインを買うために$25でオーラルセックスをオファーした結果、縛り上げられ虐待されたりレイプされることも…。彼女たちにはシャワーを浴びる場所すらないのに、ドラッグや売春で既に逮捕された経験があるので警察には何も話せずにいます。そして妊娠に気がついてもヘロインを止められず、ストリートで出産し、子供を手放してまでもヘロインを求め続けます。彼女たちのほとんどは人生にケリがついているのです。ノックアウトされた彼女たちは、ただただオーバードーズ(過剰摂取)で死が訪れるのを待つ。

小説の舞台は、この悪夢のような光景が日常のケンジントンです。

Bibliography:”ヘロインのスーパーマーケット”に捕われる

主人公のシングルマザーMickeyと妹のKacey。幼い頃はとても仲の良かった2人は、あることがきっかけで全く異なる人生を歩みます。姉のMickeyは警察官になりますが、妹のKaceyはドラッグ中毒に。

ドラッグ中毒者が多いケンジントンでは、警察官は市民の見方ではなく敵だと見なされる中、姉妹は疎遠になりますが、Mickeyはパトロール中にストリートにKaceyが立っているのを視認し「生きていること」を確認していました。

そんな中、若い女性のドラッグ中毒者ばかりが立て続けに亡くなります。警察は「薬物の過剰摂取だ」と断定しようとしましたがMickeyは死体に縛られたような跡を見つけ違和感を覚えます。連続殺人かもしれない、と疑いを持ったMickeyは、何度も薬物を過剰摂取している妹の安否を確認しようとKaceyがいつもいるはずのストリートを探しますが、既にKaceyの姿は消えていました…。

主人公のMickeyは、常に正しいことをしようという正義感に溢れているのですが、母親を早くに亡くし、貧しい祖母に閉鎖的な環境で育てられた彼女は、他人を信用でないが為に精神的に脆く、自分を肯定できない罪悪感に苛まれています。それでも自分の正義を貫こうと、過酷な運命を通過する中で自分にとって本当に大切なものは何かを学ぶMickey。愛する1人息子を守りぬくことを通して、他者の優しさや愛情を知り、他者を信用することでどんどんタフになっていくMickeyにとても共感し、最後の1ページを読むのが本当に惜しいほど大好きな1冊に。今年読んだ本の中では断トツ1番です。

この小説は連続殺人犯を探すスリラー小説の要素がある反面、解決には相当な時間とお金が掛かるといわれている「オピオイドクライシス」問題に正面から斬り込んでいるので、最初から最後まで現実味に溢れていて、とてもダークです。それでも英語圏の読者の評価が非常に高いのは、もう手の施しようが無いほどの暗闇でも、人と人が手を取り合えば必ず抜け出せる、という希望にどこまでも満ちているからだと思います。

ドラッグ売買が組織的に行われている場合が多いことは事実で、組織の罪は重く、当然処罰されなければならないと思います。しかし、ケンジントンのようにまるで世界から切り離され、司法システムの穴に落ちてしまった真っ暗な街で、貧困が原因でドラッグを売り捌き逮捕されている組織の末端のドラッグディーラーたちや、そもそも国が「安全だ」と認めた鎮痛剤が原因でドラッグ中毒になっている人々は、本当に処罰されるべき犯罪者なのでしょうか?

貧困や治安の悪さといった社会的構造、医療システムの間違いから救い出されるべきだ、と本書は訴えているように私は思いました。

「オピオイドクライシス」によって治安が一気に悪化したケンジントンのような街は、アメリカ全土に複数存在しています。これは”ドラッグ中毒”と簡単に割り切れる問題ではなく、社会全体の健康を脅かす公共衛生問題だ、と問題の本質を再定義することで、司法システムの穴に落ちてしまった人を救い出す必要を何度も考えさせられました。

過去にニューヨークでミュージシャンとして活動していた著者。特に会話部分の文章に独特のリズムがあり「次どうなるの?」とページをめくる手を止めさせません。

最後の1ページの最後の1節に、「オピオイドクライシス」がもたらす現実が、この小説の全てがギュッと詰まっています。


日本語版は「果てしなき輝きの果てに」というタイトルでハヤカワ・ミステリから出版されています。


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