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孤独な心を打ち明ける

「パートナーを殺しました。それが、私の人生を救ったのです」という、日本ではあまり見かけないタイプの記事を読みました。

アーリーン・アダムスは2人の少女の母親でした。彼女は何年も少女達の父親からの、言葉の暴力や虐待に耐えてきました。そして2010年、9月15日、ブルックリンのアパートへ酔っ払って帰ってきたパートナーに何度も何度も殴られ、ついにアダムスの頭の中で何かの線が切れました。パートナーと揉み合いになり、自分を守ろうとして手にしていたナイフが、パートナーに刺さり、パートナーは病院へ向かう途中で亡くなりました。

アダムスはその瞬間、自分の人生が永遠に変わってしまったことを感じた、と言っています。2歳と4歳の子供から引き離され、人生の終わりを感じ、自殺願望が止まらなくなりました。

彼女は囚人の1人の強い勧めで、キリスト教について学び、なんとか希望を持ち、高校卒業と同等の資格を得ました。更に、怒りをコントロールするプログラムを終了し、留置所から出た後に、仕事に付き娘と暮らせるよう食品安全についても学びました。

アダムスは2級過失致死罪で執行猶予5年の有罪判決を受けて、拘置所から出ました。彼女は、監禁や家庭内暴力に苦しむ人を助けたいと、希望を持ち拘置所から出ましたが、面接を受けても、人を殺したことに違いない彼女に社会は容赦なく不採用にしました。

何をしても、自分は子供とは2度と一緒に暮らせないと思ったアダムスは自暴自棄になりかけますが、この孤独感を乗り越えるんだ、とセラピストに自分の孤独や葛藤、後悔や罪の意識を打ち明け、自分が心的外傷ストレス状態にあることを理解しました。そして大学に行き直し、ついには仕事を見つけ、今は理解あるパートナーと出会い新しい生活をしています。

アダムスは「自分の価値に気付き、より良い母親、より良い人間になる為に、自分は全てを失った。様々な障害や難しさはあるが、今もこれからも家族でそれを乗り越えていくんだ」と実名と現在の顔写真を公開しています。

私はこの記事を「家庭内暴力の被害者は声を上げよう」というために訳しようと、思った訳ではありません。「自分に起きたことを言葉にする」ことが、癒しや勇気、誰かの希望の源になることもあるのではないかと思います。そして、自分に起きことを言葉にするか否かも、その人が選ぶことで、その権利は誰にも奪われていいはずが無いと思います。

日本でも家庭内暴力の結果、子供が亡くなったり、親が罪の意識に耐えかねて自殺してしまうこともあります。

“We must always take sides. Neutrality helps the oppressor. Never the victim “という言葉があるのですが”どちらにつくか、選ばなければならない。中立が抑圧を助ける。中立が被害者を助けることはない” アダムスが打ち明けた孤独感は、きっと様々な暴力に悩む人を助ける希望になり、抑止力にもなり得るはずです。

「殺人はダメだ」それはきっと皆んな分かっています。分かっている上で、そうだけれども、家庭内という閉鎖された空間で自律性と尊厳を奪われた傷は、簡単には修復されません。アダムスが見せた”どちらにつくか”決断した勇気と、この考え方が日本にも広がっていくといいな、と思います。

Bibliography :パートナーを殺しました。それが私の人生を救ったのです。













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